のけ者ミーツ嫌われ者(長めの回想 ②
私は恋多き女だ。
というか、妄想多き女だ。年がら年中、あらぬ妄想にふけってはボンヤリしている。
すれ違った女性が私の方を見ると「すわ一目ぼれか」とはしゃぎ、ベンチで横に薄着でセクシーな人が座ると「ついに大人の階段を昇るときがきたか」と色めき立ち、ケーキ屋の店員にお釣りをもらうとき手を握られると「あなたが私の生涯の伴侶。という認識でよろしいのですね」と覚悟を決める。
そんな私だけど、ケイに対して色ボケ妄想を発動させることはしなかった。
しなかったというより、自分に禁じていた。
妄想のネタにしたら失礼だろうとか、そういう気遣いじゃない。もっと自分本位の理由だ。
妄想が、本気の恋心に育つことを恐れたのだ。
本気になったら、いつか傷つくことになる。
冴えない私の恋が成就する。それが非現実的なことであるくらい、もうわかっていた。
好きになった人が、同性愛者であるとは限らない。同性愛者であっても、私のことを好きになってくれるとは限らない。この二つの関門を、私なんかが突破できるはずはないのだ。イトウミクの二の舞はごめんだ。
だからケイとは、あくまで友達(と、当時は思っていた)として付き合っていた。そしてそれは、結構うまくいっていた。
バランスが崩れたのは、出会ってから一か月後くらいだ。
非は、明らかに私の方にあった。
その日の昼休み、私はクラスメイトのナントカ君(名前覚えてない)に、しきりに話しかけられていた。「はぶられ女なんてちょっと優しくしてやりゃイチコロ」と考えているのが見え見えだった。迷惑だったけど、無視してキレられたりしたら怖いので、私は適当に相槌を打っていた。それでも勘違いさせてはいけないと、極力笑顔は見せないよう気を付けていた。
しかし、愚にもつかないことをぺらぺら喋っていたナントカ君が、急に意表を突くことを言った。教室のドアの方を見ながら。
「あれ、あいつ2クラの殺し屋ぼっちじゃん。なんでこの1クラにいんの?」
「ぶふっ…。」
不覚にも私は、ナントカ君の言葉に噴き出してしまった。いや殺し屋はたいがい単独行動でしょ、と思ってしまったのだ。
するとナントカ君は身を乗り出し、私の机に手を突いて「おっ」と言った。
「え、なになになに、今のウケた?ウケた?殺し屋ぼっちって、実は俺が考えたフレーズなの!2クラに友達いっからさ、そいつに話聞いてさ!そしたら、あっちゅう間に浸透してさー、俺のワードセンスやばくね?!」
「まあ…。」
「つーかやべーよ、クミンちゃん、身ぃ隠した方いいぜー?あいつバンバン人殺してっから、俺らも目ぇ合ったらやられちゃうかもよー!ぎゃははは!」
(うぜー。)
笑ってしまった自らのミスに悔みつつ、私はその殺し屋ぼっちとやらの方に目をやった。
衝撃が走った。
そこには、ケイが立っていた。
こっちを見て、怖い顔をして。先日「今度クミンに貸してあげっから」と言っていた本を抱えて。
私は、横っつらを殴りつけられたような気分になった。そうだ、なんで気がつかなかったんだ。1-2クラスのぼっちと言ったら、ケイに決まっているじゃないか。
「ケイちゃん…!」
思わずつぶやき、立ち上がった。怖かった。今の会話を聞かれてしまったのか。ナントカ君とともに陰口を言っていると思われたのか。傷つけてしまったのか。嫌われてしまったのか。
その私の不安に「そうだ」と答えるように、ケイは、ふいっと教室から出ていった。
私は急いでそのあとを追いかけた。ナントカ君がなんとかかんとか言っていたが、もはや耳に入ってこなかった。
幸いすぐに追いついた。あまり人通りのない、錬金術準備室の前で。
呼びかけたら、ケイは立ち止った。でも、私と目を合わせようとしなかった。ちらりとこちらを一瞥したあと、プイと横を向いてしまった。
「ケ、ケイちゃん、あの…。」
「あー、ごめんねぇ、なーんかお邪魔しちゃったみたいでー。」
「邪魔って…?」
「楽しそーにお話ししてたじゃん、男子とー。てか、クラスにちゃんと友達いんだねー。」
「と、友達ってわけじゃないけど…。あの人とは、そんな…。」
「あははー、クラスメイトの男子に『あの人』、だってー。なーんか、特別な間柄って感じー?仲良さげだったもんねー?」
「お、怒ってる?ケイちゃん、怒ってる…?」
「てゆうかクミンさぁ、友達いませーんって言ってたけどさぁ、意外と『友達はいないけど男はいます』ってタイプだったりー?」
髪をいじりながら、ケイがぶっきらぼうに言った。
やばい、めちゃくちゃ怒ってる。やっぱりさっきの会話聞かれてたんだ。そう思い、私は青ざめた。
このときまでケイは、私に対しては、そんな嫌味っぽい言い回しをしてこなかったのだ。それなのに、このつっけんどんな態度。怒っている証拠だ。私が、ケイのことを嘲笑したと思ってるんだ。違う、誤解だ。殺し屋ぼっちがケイのあだ名だなんて知らなかったから。でも、笑ってしまったのは事実だし、言い訳するのも卑怯な気がする。言い訳したら、もっと印象悪くなる気がする…。
なんと言っていいかわからず、私は口をつぐんでうつむいてしまった。
それから少し間があって、いきなり、バンと音がした。
ハッと顔を上げた。ケイが、持っていた本を手のひらで叩いた音だった。
「……あ、そーなんだ、ふーん。へえー。ふぅーん…。まぁあんたみたいなうじっとしたタイプ、けっこう男受けしそうだもんねー。きっもち悪いマザコン男とか、頭ん中ピンク色のスケベ野郎とかにめっちゃ好かれそーだもんねー。ははー。」
壁の方を向いたまま、彼女が渇いた笑いを漏らした。ちょっと何を言っているのかわからなかったが、とにかく悪意だけは伝わってきた。私を傷つけてやろうという意志だけは伝わってきた。
自分が悪いにも関わらず、私はちょっと、その態度にイラっとした。陰口言ってた(のを笑って聞いてた)のに腹が立ったなら、素直にそう言えばいいじゃんと思った。
「ケイちゃん、あの…。私とあの人との…」
ケイが、ゆっくりとこちらを振り向いた。
その瞬間、私は言いかけた言葉を飲み込んだ。
ぞっとした。
私をみつめる、彼女の眼差し。あまりにも、冷たかった。
友達を見る目ではなかった。自分とは全く関係のない、赤の他人を眺めるような目だった。
仲良くなろうとも、対立しようとも思っていない。「自分は今から、あなたとのあらゆる関係性を拒絶します」、そう告げているに等しい眼差しだった。
途方もない恐怖が、私を襲った。
このままでは、私はこの人を永久に失ってしまう。そう思った。揺るぎない事実のように思えた。
私はパニックになりつつ、思案した。どうしよう。どうにかしなきゃ。謝らなきゃ。でも謝っても、形だけ仲直りして終わりになるかもしれない。心にしこりを残したまま惰性で付き合いを続け、そのうち疎遠になるような気がする。ただ謝るだけじゃだめだ。もっと、一歩踏み込んだ謝罪をしないと。
私は覚悟を決め、彼女と向き合った。それから、謝罪の意を表した。
「ごめんなさい、ケイちゃん!」
「はーあ?なーにぃ?別に謝るようなこと…。」
「あの人の陰口止めなくてごめんなさい!でも、ケイちゃんのこと言ってるってわかんなかったんです!」
「は?……あー、あっ、そう。彼と、あたしの悪口で盛り上がってたんだー。よかったじゃーん。あんたの青春のお役に立ててマジ光栄っすわー。」
かれ?彼。ケイとナントカ君は知り合いだったのか?と、一瞬思った。しかし、すぐに「それどころじゃない」と、その考えは頭から消し飛んだ。
彼女は、すっとぼけて「今初めて知りました」みたいなことを言った。絶対そのことで怒っていたくせに。逆に、よっぽど腹に据えかねている証拠だ。そう思った私は、「やっぱりあれしかない」と決意を新たにした。
ケイは、本を手の甲にポンポン叩き付けながら、こちらを見ていた。私に貸してくれるはずだった本。「たぶんクミンあーいうの好きだと思うからさ」って言って、持ってきてくれた小説。この一カ月で育んだ、私と彼女との親愛の証拠。
「ケイちゃん…。」
「なに。」
「私が悪かったです、だから、だから…。だから、その本で、私をぶって!」
「…はあっ?!」
私の提案に、ケイは目を丸くした。
そのリアクションに、よしいいぞ、と心の中でガッツポーズした。
上手な謝罪のコツは、相手が想定するより一段階上の謝り方をすること。「ごめんなさい」を期待している相手には、頭を下げる。頭を下げることを期待している相手には、土下座。そうすることで相手は気持ちよくなって、許してくれる。
という法則を、イトウミクのパパが言っていた。それを思い出し、試みたのだ。でもビンタとかされるのは嫌なので、本でぶってと提案したのである。ケイが目を丸くしたいうことは、正に一段階上の提案だったというわけだ。
「ば、馬鹿じゃん?別にそこまでさあ…。」
「馬鹿じゃないよ、そうでもしないと、私の気が晴れないの!ぶたれたいの!」
「ええぇ?ぶたれたいってさー、えー?いやあたしは別に、そんな、そういうの別に、あれだけどさー、えー?」
「ね、お願い!おしおきして!」
「おしお…。ふ、ふうーん?じゃあ、まあ、そんなゆーんなら?お、おしおきぃ?やってあげてもいいけどぉ…?」
気圧されたみたいに、ごくりとつばを飲み込み、ケイが了承した。
予想外の展開に、すでにもう、ちょっと怒りが薄らいでいる感じだった。他人を見るような眼つきじゃなくなっていた。しめしめと、私は心の中でほくそ笑んだ。
もはやこの時点で、仲直りはできたも同然だ。
そんなことをのんきに考えていた。
彼女がにわかに浮足立ち、興奮気味にそわそわし始めた理由も知らずに。
「じゃーあー、始めよっかぁ、おしおきぃ…。」
ケイが、ねっとりとした口調で言った。




