ピンチなので悲しい
ケイが学校に来たのは、あの日から五日後。全校闘幻大会本番の日だ。
大会ではクラスごとに観覧席に座って、クラスメイトを応援しなくちゃいけない。席を立っていいのは基本的に、自分の試合のときだけだ。
なので、私がケイと顔を合わせたのは、試合三十分前の控室だった。
控室に行くと、すでに彼女は選手用の椅子に座っていた。硬い表情をしていた。試合前で緊張している、ってわけじゃないだろう。緊張するほど、闘幻に真剣に取り組んでいるはずがない。私と会うことに対して身構えているのだろう。
私の方だって、負けず劣らずけっこう緊張していた。
なんせ、あのとき以来の再会だ。もう、いじめていじめられてという関係性じゃない。そして今後どういう関係性になっていくかは、ここでの会話で決まるかもしれないのだ。どきどきする。
しかしよく考えたら、他人とこんなマジでコミュニケーションを取らなくちゃいけない場面は、(前世の告白を除けば)生まれて初めてだ。他人と本気で向き合う。今まで私がずっと避けてきたことだ。怖い。脚がすくむみたいだ。
いや、そういえば、似た状況は一回だけ前にも会った。
ケイと初めて会って、一緒に学校から帰ったとき。「もしかしたら友達になれるかも」と、コミュ下手ながら必死に話した。ガチガチに緊張しながら。まさかその数カ月後に、こういうことになろうとは。そういや最初の一カ月は、普通の友達みたいな時期もあったっけ。遠い昔みたいな気がする。どのみち今は関係ないけど。
「ひ、ひさしぶり…。」
「んー…。」
ケイはちらっとこちらを向き、小さく頷くような仕草をした。ひとまず隣に座る。さて、何から話したものか。とりあえずは無難な話をするべきか。
「や、休むから、ぶっつけ本番になっちゃったじゃん…。」
と言うと、ケイは「え?」みたいな表情になった。ありゃ。きっと、私が何言ったか聞き取れなかったのだろう。ただでさえ声ちっちゃいのに、緊張で更にか細くなってしまったのだ。
ケイがいつものように、今度はちゃんと聞き取れるようにと、耳を私の口元に寄せてきた。
「ぶ、ぶっつけ本番だね、休んだから…。」
「はぁー?しょーがないじゃん、具合悪かったんだからさぁー。」
「別に、いいけど…。」
「……。」
会話はそれで終わってしまった。
沈黙。
やばい。次は何を話したらいいんだ。
そもそもケイと日常会話することなんて、今や滅多にない。「やめて」だの「やめない」だの、「痛い」だの「もっと欲しいの?」だの、そんな会話ばっかりだ。入学当初の頃は、二人で普通ににこやかに話してたってのに。
てか、私はそもそも、何を話したいんだっけ?試合の作戦?なわけない。そうだ、ラブストーリー。私のラブストーリーを推し進めなくちゃ。だから、そう、ケイの気持ちを確認するんだよ。聞いて確認するんだよ。「私のこと好きなんだよね?だったら付き合ってあげてもいいけど。」って。
いやいや、違う違う、それはもっと先だ。ラストシーン的な場面でのセリフだ。今はいわば一ページ目なんだから、もっとジャブぐらいの。「きれいだね」って褒めるくらいの。あ、いいじゃんそれ。無難なラブストーリーの序盤って感じ。それだ。
よーし褒めるぞー。きれいだねって言うぞー。急に言うぞー。って、だめだよ。そんな流れじゃなかったじゃん。時期尚早だよ。軽い挨拶のあとでする話題じゃないよ。もっとこう、気の利いた会話の応酬のあとでさりげなーく褒めないと。気の利いた会話、気の利いた会話。って、どんなん?「猫ってかわいいよねー」とかそんな感じ?いやいや、こんなときはとりあえず天気の話題だ。天気の話しときゃ間違いないんだ。天気天気天気。今日はいい天気だねーって。あれ、いい天気だったっけ?なんか、うすぼんやりと曇っていたような。危ない危ない。トンチンカンな会話を繰り広げるところだったよ。今日はうすぼんやりな天気だねーって言えばいいんだ。いや待てよ。そしたら「それはひょっとして、あたしがうすら馬鹿だとでも言いたいのか」って変な誤解をされてしまうかもしれない。比喩かなんかと解釈されちゃうかもしれない。違うんだ。そんなつもりじゃないんだ。誤解だ。話を聞いて!
などと、一人でぐるぐる目を回していると、ケイが急に立ち上がった。立ち上がり、背を向けた。何ちょっと、こっちは全然考えがまとまってないんだけど。
「てゆうかさぁ、い、いちおー確認しときたいんだけどさぁー。」
こちらに背中を向けたまま、ケイが言う。ひっきりなしに、自分の長い髪を手でいじくっている。
「な、なに…?」
「あー、のー。なんてーかさぁ…。い、五日前の更衣室のあれさぁ、あんなん見た上で、それでもあたしとペア組みたいって、よ、よ、よーするにクミンはさぁ…。あたしのこと…。」
「うん…。」
「あーっと、そのぉ…。」
恐ろしく歯切れが悪い。一体私から、何を聞き出そうとしているのか。こっちから察してあげればいいんだろうけど、気の利いた会話や天気で頭ぐるぐる状態なので、とうてい不可能だ。
「て、てゆうかぁ、クミンってひょっとして、あれ?お、男でも女でも、どっどどっ…どっちとも、恋愛できるタイプだったり、とか…?」
「はあっ?!」
なんだなんだ、急になんだ。こっちが気の利いた会話しようって必死なのに、そんなセンシティブな話題をぶっこんでくるって何さ。唐突だよ。天気の話はしなくていいの?それともこれが、一般的な気の利いた会話ってやつなん?いや、それよっか最初、靴嗅ぎの件について話しようとしてなかった?その話どこいった?
まあ、なんだかよくわからないけど、でもその質問に対する答えは決まっている。
「そんなわけないじゃん!」
混乱しつつも、私はビシッと即答した。
そう、私の恋愛対象は、男も女もじゃない。女だけだ。女性専用だ。女性専用女性だ。それだけはいつだって自信をもって断言できる。頭ぐるぐる状態でも。
「……あー、そう。ふぅーん。」
「そんなわけない、だ、だって私は…!」
「わーった、わーった。そんな何回も言わなくっていいっつーの。うるっさいなぁ。」
うざったそうに、ケイが手を横に振る。聞いてきたのそっちじゃん。なんだっての、結局。この会話なんだったの。
でもまあ、いい。それより、いいことを閃いた。
私はケイのセリフから、今言うべき気の利いた会話を思いついたのだ。
靴嗅いでたケイかわいかったよ。
こう言えばいいんだ。
そうすれば褒めて好感度上げることもできるし、「靴嗅いでたってことは私のこと好きなんだよね。わかってるよ」とプレッシャーをかけることもできる。正に一石二鳥。さあ、ラブストーリーの開幕だ。
「と、ところで、私の靴…」
「あれはあんたが来ることを見越した上で『靴のにおいを嗅がれる』って嫌がらせをかましてやろうと思っていたの。そしたら思いがけずドッペルにコピーされちゃってだから焦って『自分の靴だと思って』なんて変な言い訳しちゃったの。変な誤解をしたかもしれないけどそれが事実よ。それだけの話よ。」
いつもだらっとした口調で話すケイが、早口でよどみなく言った。
「この件に関して、他に何か質問は?」
「…ないけど。」
「そ。」
絶望。
夢も希望もない。
開きかけていた運命の扉が、すごい勢いで閉じていくのを感じた。いや、元々そんなもの開いていなかったのだ。
そうか、そうだったのか。あれは変態行為じゃなく、嫌がらせだったのか。
なんて理路整然とした言い分なんだろう。まるで三日三晩寝ずに考えて作ったかのような、隙のない説明だ。ってことは、完全なる真実なのだろう。
つまり、私の勘違いだったのだ。
ケイが靴を嗅いでいたのは、同性愛者で私に好意があるから、じゃなかった。いつもの嫌がらせの一環だったのだ。
全身から力が抜けていく。
椅子に座っていたけれど、床にへたり込みたい気分だった。
数分前まで浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。なんだよこれ。現実ってなんでこう、こんなんばっかなの。
私の光り輝くラブストーリーは、開幕する前に終わりを告げた。
何もかもおしまいだ。
もう、何も話すことはない。話す必要性がない。
ケイはこちらに背を向けたっきりだ。うなだれているように見えるが、単に私の気分が反映して、そう見えるだけだろう。私は顔を手でぴたりと覆い、背中を丸めた。メガネに指紋がついてしまったが、そんなことはどうでもよかった。
お互い無言のまま、時が過ぎる。時計の針が進む音だけが、やけに大きく控室に響く。
館内放送で、私達の名前が呼ばれた。試合の時間だ。
勝てるはずもない闘いのために、のろのろと腰を上げた。私は一体どこで間違ったんだろう、そんなことを考えながら。ケイと出会ったときのことなんかを思い出しながら。
というわけで、次回から長い回想が始まります(五話分)。




