第九打 ご安心ください
「先生、おはようさん。ほれ、飲んで」
「銅賀美さん、おはようございます。ありがとうございます!」
予約の時間になる十分程前に現れた銅賀美さんは、いつもどおりに自動販売機で買った微糖コーヒーを俺にくれた。
奢ってもらったら、元気にお礼は基本です!
車さんの事は気になりつつも、特に銅賀美さんが話題に出すまでは、俺から話題を振る事はしない。
興味がないわけではないけども、知ったところでどうなんだって、正直思っちゃうし。レッスンには、全く関係ないので、俺から生徒さんのプライベート情報って聞くことないんだよねぇ。
しかし、そんな俺のポリシーを曲げるような事が、起きてしまうのだった。
「耳にタコが出来るでしょうが、練習するときは矯正ドリルを三回程繰り返したら、すぐに素振り、そして三球連続で打ってくださいね」
「おぉ、そうじゃったの。鉄は熱いうちに打たねば、魔剣を創る際は魔力が上手く混ざらんからの」
「……ん?」
「ん? そういう事であってるじゃろ?」
聞き流したい。いやいやいや、待て待て。これは、アレだ。冗談ってやつだ。
「あぁ、はい。矯正ドリルは、身体に正しい筋肉の動きを学習させる為のもの、所謂〝癖付け〟ですから、それを覚えているうちに、ゴルフスイングに落とし込まなくてはいけませんからね」
顔だけ笑顔にして、魔力云々はスルーした。
「そんなに、露骨にスルーしなくても良いじゃろ」
「いやいや、鉄は熱いうちに打つという認識で合ってますよ。特に、無視したつもりはないですよ」
後半部分以外は。
「後半部分をスルーしたじゃろ」
「……後半……ん? えっと、後半ですか?」
「いつから難聴系転生勇者になったのじゃ、お主は」
そんなのじゃのじゃとか、お主とか言う喋り方じゃなかったですよね? 銅賀美さん? そんなのじゃのじゃいう人、実際に会ったことあまり無いですよ?
急にキャラ変されても、受け止め方が本当に分からんのよ。
「ちょうど、レッスン時間も終わったところなので、何でも聞くんですが、そのぉ、銅賀美さんと車さんとお知り合いなんです?」
「そうじゃよ。シャフレは、わしを主神とした十八柱の神々の末席におる女神じゃの」
おふぅ……もう誰か教えてくれませんか? 真面目な顔で、こんな話をする爺さんと若い美女とかさ。正直、心折れても仕方なくないか?
「なるほど……わかりました」
だから、わかったという事にしないとついて行けないよね。でも、プロだから。俺は、ゴルフのプロコーチで、生徒はお客様だから!
男神も女神も邪神も悪神も主神だって、お客様は神様だって昔の誰かも言ったらしいし!
俺、その言葉嫌いだけど! 仕方ないじゃない!
「お客様は、神様ですね」
「上手いこと言うのぉ。ふぉっふぉっふぉ」
ふぉっふぉっふぉって笑う人、初めて見たな。俺は、全然笑えないけども。
「アレは、真剣にゴルフをするつもりでおる。先生には、十八の異世界の命運がかかっておるのじゃ。大変な重圧をかけてしまって、申し訳ないと思うておる」
設定がね、見えないんですよ。どんなロールプレイをしているかさ、全く見えないんですけども!?
「それは……ヤバいですね」
ヤバいって何だろうね? もうね、言葉のボキャブラリーが死んじゃってるよね。プロになって、初めてお客さん相手に、ヤバいなんて言っちゃったよ。これ、夜にやけ酒だよ。
「ヤバくても、先生には、何としてでもシャフレの腕を上げ、コンペに優勝出来るようにしてもらわねばならぬのじゃ」
ファンタジーな会話に、ゴルフコンペが入り込むから、世界観が統一されないんだよ? いっそのこと、ゴルフコンペもファンタジー的に言ってくれた方が、まだマシだよ。
「頼んだぞ、神々に愛されし英雄よ」
「……それが僕の仕事ですから、全力を尽くします。それと、次の予約はされていきますか?」
「来週の同じ時間は空いているかの?」
「ちょっと待ってください。っと、来週のこの時間は……」
震える俺の手よ、止まれ! 手帳が震えて、予定が読めないじゃないか! 怖いよぉおお! これからずっと、この感じなのかよぉおお!
「空いていますね」
「なら、よろしくの」
「こちらこそ、またよろしくお願いします」
こうして午前中に、俺のメンタルゲージはごっそり削り取られたのだった。
「はぁ……マジで何なんだ? 銅賀美さんまで、急に中二発言しまくるんだが……お、美味いな」
冷凍スパゲッティの新商品が当たりだった時の喜びは、また格別の幸せを感じるな。
「えっと、最新話は更新されて……るじゃん! いいねぇ」
この昼飯食べながらのアニメが、堪らんのよなぁ。
「ふぅ、美味かった。そして、面白かった。からのぉ、そろそろ行かないとな……」
時計よ、そんなに急いで十三時に向かわなくても良いんだよ?
そして、俺は車さんのレッスンに遅れないように、家を出たのだった。
「マスターバーディー、私達に残された時間は少ないわ。そして、後付けで更に糞爺ぃ達が、遊びのルールを付けたして来やがったの。貴方の肩に乗る責任は、勇者並み、いえ、十八の異世界を救うのだから、勇者なんて目じゃない程だと、意識しなさい」
生徒の成績は、プロコーチの評価である。
生徒が結果を出した時は、本人の努力の賜物。そして、結果が出なかったときは、コーチの指導力不足だと、俺は考えている。
「僕は、いつでも全力で生徒さんのゴルフを支援しますので、ご安心ください」
さて、俺の心は、どうすれば安らかになるのだろうね?