第一打 え?
古鳥 鷲雄、三十六歳、独身。
北陸で雪と付き合いながらも、ゴルフ練習場でフリーのゴルフレッスンプロとして、生活している男。それが、俺だ。
今日も朝から、常連になっているお爺さんの生徒のレッスンを行なっている。
「グリップの親指と人差し指で作る三角の向きは、右手も左手も右肩に向くようにですよ」
「おぉ、そうじゃった。気ぃつけとるんじゃがなぁ」
「仕方ないですよ。グリップ含めてアドレスは、一球打つごとに一ミリずれれば、十球で一センチと気付かずに狂いますから」
「ほんとになぉ。世界の管理も、気付かぬうちにえらいことになっとることがよくある。それと一緒じゃな」
「スケールが違いすぎて、よく分からないですが、まぁそんな所でしょうね。知らないですが」
「いやいやいや、実際よう似ておるのじゃ。世界の均衡が酷くなって、取り敢えず異世界から勇者でも召喚して、力の均衡保つことにしたら、今度はそいつらが均衡を崩すことになるんじゃよ、全く」
「ワンポイントでスイングを直すと、同じようなことは起きやすいですね。その場で帳尻を合わせるので、メリットとしては効果が早く出ることですが、レッスン受けた後に、何か自分で動きを加えちゃうと、元に戻るどころかもっと酷くなるケースもありますから」
「そうなのじゃ。割とすぐに問題が解決したん感じに見えるでの、管理神達でもそれをようやっしまうのじゃがなぁ。で、結局元の木阿弥という訳じゃ。本当にゴルフのスイングと一緒じゃな」
「取り敢えず、素振りしたら三球連続で打ってくださいね」
「そうじゃった」
俺に言われた通りに、素振りを一回した後に、三球連続でショットをする生徒の姿を見ながら、俺は思う。
自分の管理する世界の愚痴は程々に、スイングの矯正ドリルをしたらすぐに球を打て、と。
何故、異世界ファンタジーよろしくな事を真顔で愚痴る爺さんを、俺は軽く流しながら普通にレッスンをしているのか。
それは、俺が開いているゴルフスクールが十周年を迎えた日の事を語らなければ、理解することは難しいだろう。
「実は今日、このゴルフ場にお世話になり始めて、ちょうどまるっと十年経ちまして。これからも、どうぞよろしくお願いいたします」
「あらぁ! もうそんなに経つ!? 早いわねぇ」
打ちっぱなしゴルフ練習場〝ゴルフプレイス斗葉〟の事務所に、社長の奥さんの声が響き、旦那さんである斗葉社長もまた軽く驚いているように見える。
「僕もびっくりですけどね、ははは」
大学四年の夏に、酷いパターの酷いイップスにかかった俺は、選手として生活することを諦めた。
一般企業に就職する事が出来たが、それでも夢が心の中で燻り続ける状態を四年続けた結果、あることをきっかけに会社を止め、再びプロとなる道に挑んだ。
そして何の因果か、今ではゴルフのプロコーチとして生計を立て、十年を迎えた。
この日は、朝からレッスン予約が入っており、その相手はスクール開始から通ってくれている常連さんだった。
「銅賀美さん、このスクールなんですけど、実は今日でちょうど十周年なんですよ」
「なんと?! そらぁ、めでたいの! ということは、ワシも先生のレッスン通い始めて、十年も経つということじゃな」
「えぇ、銅賀美さんは僕の初めての生徒さんですから、そうなりますよ」
人懐こそうに笑う爺さんに、俺も笑顔を返す。
「先生にあの時出会ってなかったら、ワシはゴルフをやめていたであろう。ほんとうに感謝じゃよ」
俺がゴルフスクールを始めた日に、練習場に偶々練習に訪れていた銅賀美さんは、この練習場の従業員さんにお試しにと勧められ、俺のレッスンを受けることにしたそうだ。
俺のレッスンを受けにきた時の銅賀美さんは、ドライバーの高さが出ず、飛距離も落ちているという事だった。
自己流のゴルフのスイングであったとしても、スイング自体に間違いはないというのが、俺の持論だ。しかし、スイングには特徴があり、〝飛びやすいスイング〟や〝曲げやすいスイング〟、〝筋力がないと飛ばないスイング〟など、様々なスイングが存在する。
銅賀美さん含め、アマチュアゴルファーの多くは筋力で飛距離を出している。そしてそれは、筋力が〝あれば〟飛ぶという事であり、加齢と共に筋力が低下すれば、飛距離を維持することは難しい上に、スイング自体も崩れてしまう。
そしてこの日、俺のレッスンを受けた銅賀美さんはこれまでにない打感と弾道の高さ、それに飛距離を経験することになった。
十年経った今でも、あの顔は忘れることはない。
打った直後、俺を顔をこれでもかと見開いた瞳でそして涙を浮かべながら見て、そして驚くその顔は、俺に選手ではなく、指導者としての喜びを教えてくれた。
「ふむ、十年か……」
「どうかしましたか?」
レッスンを始めようと銅賀美さんの正面に俺が立っているが、銅賀美さんは構えようとせずに、何やら考え込んでいた。
「先生、ちとワシと握手してくれるか?」
「はい? 別に構いませんが、本当にどうしたんですか?」
「いやぁ、もしかしたら、先生に謝らなくてはいかんかもしれんくてのぉ」
「謝るですか? 何を、って熱っ!? 銅賀美さんの手、熱すぎませんか!?」
唐突に握手を求められ、それに対して違和感を感じながらも、特に躊躇なく右手を差し出したが、銅賀美さんが俺の手を握った瞬間、思いがけないほどに銅賀美さんの手が熱く、驚いた俺は手を離そうとしたが、それを銅賀美さんはさせてくれなかった。
「はぁ、やっぱりじゃ。加護がついてしもうておる。ん? これは……なるほど、ホッとしたわ」
「銅賀美さん? そろそろ、本気で火傷しそうな感じに熱いんですが!?」
「こりゃ申し訳ない。もう大丈夫じゃ」
銅賀美さんの握手から解放された右手を、すぐさま冷ますかのようにぶんぶんと降っていると、銅賀美さんは打席のマットに球を置き、何事もなかったかのようにクラブを構えていた。
「先生、レッスン始めてもらえるかの」
「……先程の流れに対して、説明はしてもらえないのですか?」
「ワシ以外にもやらかしとる奴がおったしの。一先ず、棚上げでことでいいじゃろ。ほれほれ、仕事の時間じゃぞ、先生?」
「すごく気になるんでけど、僕も仕事がありますから、その辺の疑問は棚上げします。それでは、今日もよろしくお願いいたします」
「よろしく頼むの」
いつも通り頭を下げる俺に向かって、銅賀美さんがいつも通りに言葉を返し、レッスンを始めたのだった。
そして、この日の午後に異変は起きた。
練習場の壁側に設置している俺のレッスン受付向かって、一人の女性が歩いて向かってきた。
流れるような黒色の長い美しい髪をたなびかせ、美人秘書を連想させるようなスーツを着こなし、まるで二次元の女神が顕現したかのような顔立ちと身体付きに、その女性から目線を外すのには、強い意志が必要だった。
「まさか、俺のレッスン受けに来ないよな……」
ただでさえ女性のレッスンは気を使うというのに、映画ですら見たこともないような美人に、俺は小さく呟いたが、その願いは神に聞き入れられることはなかった。
「〝アルヴァルキュロ〟を管理する十八柱の神々の一人、シャフレアと申します。この世界においては、車 由利亜と名乗っております。主神ドゥーガミの薦めにより、マスターバーディーのゴルフレッスンを受けに来ました」
「……はい?」
地方の打ちっぱなしゴルフ練習場で、フリーランスとしてゴルフスクールを始め、ちょうど十年が経ったこの日。
異世界の女神と名乗る絶世の美女が、ゴルフレッスンを受けにやって来たのだった。