第6話 『泥臭さの先にあるもの』
酷く鈍い音の連鎖が、その場を支配していた。
最初は一番油断していそうな、小柄の相手に狙いを定め、全力疾走から本気の飛び蹴りと拳を、腹と耳付近にそれぞれ叩き込んだ。いきなりそんな動きをされれば身体の準備も出来ていなかったのだろう。相手は受け身も取れずに吹っ飛び、それから身動きをしなくなった。
そのあまりの展開の早さに呆気にとられた残り二人のうち一人は、裕太の拳が迫っていることに一瞬反応が遅れ、それがもろに顔面に直撃したことでよろける。そこに彼の足蹴りが相手の腹を襲撃し、なんとか沈めることに成功した。
ここまでは、その場の勢いと気合で何とか上手くいったようだった。しかし――
「ハッ!!」
彼の右拳が残り一人の頬に勢い良く刺さる。効いてはいるものの、流石にそれで倒れる気配はない。つまりここからが、本当の、お互い無傷では済まない殴り合いによる勝負。
「くっ......調子に乗んなよ!!」
相手はすぐに体勢を立て直し、苦悶の表情と共に強力な足蹴りを繰り出してくる。刺し違える覚悟で、裕太も全力の回し蹴りを相手の腰に叩き込んだ。強烈な痛みが彼を襲ったが、相手もまた同じだろう。
「はぁっ......はぁっ......」
拳という拳、蹴りという蹴り。
もうこの相手とは何度やり合っただろうか。最初の方はお互いアドレナリンが出ていて無我夢中で殴り合っていたが、いつしかそれも薄れ、疲労と蓄積した傷によって二人は立っているのがやっとのような状態になっていた。実際は数分なのだろうが、この時だけは時間の経過が酷く遅く感じた。
そして本気で殺意を持った人間を相手にすること。それがどれほど難しいかを嫌というほどここで思い知らされた。だが、
「まだ......まだだッ!!」
ボロボロの状態で助走をつけ、本気で繰り出した右拳。右手の感覚は、もはや痛いかすら分からないくらい感覚が麻痺していた。おそらくこれが、自分の最後の攻撃になるだろう。そんな思いで固く握りしめた拳を振っていた。相手もまた、全身全霊をかけたような凄まじい形相で、自分と同じく助走をつけ、同時に右拳を振ってくる。
「これで......終わりだッッッ!!!!」
もう後悔はしたくない。全てを出し切ろう。拳が砕けてもいい。そんなのはそうなってから考えればいいことだ。
「――ッッッ!!!!」
――何かが潰れたような、砕けたような音が響いた。裕太は遅れて、自分が吹っ飛び宙を舞っていることに気が付く。意識が朦朧としている中で、彼は自分の限界を感じた。これ以上は体が動かない。がむしゃらに挑んだにしてはよくやっただろうと、戻って作戦を考え、もう一度落ち着いてやり直そう。初回がこれなら今度は出来るだろう。そう珍しく、前向きに考えることが出来ていた。やり直せなかったということは失敗ではあるのだろうが、何故か不思議と心は苦しくなかった。そして相手が自分の意識を明確に刈り取る、その瞬間をしばらくの間待っていた。
だが――いくら待っても相手は襲ってこなかった。彼は不思議に思い頭を傾けて目の前を見ると、そこには先ほどの相手が倒れていた。その近くに最初に倒した二人も倒れている。
「ぁ......」
これらの状況が意味するもの。それを理解した瞬間、とても言葉では言い表せない程の様々な感情が沸き上がり、思わず声が漏れてしまう。
自分は本当に――
「僕は......勝てた、のか......」
奇跡は起きるものなのか。やはり神様はいたのか。そう、勝てたと実感した瞬間、かつてないほどの安堵感が芽生え、全身の力が一気に抜ける。
思えば長い道のりだったように思う。あまりに長い時間をかけて、ここまでやってきたのだ。
あの状況からここまで浮上することが出来た自分自身。まだまだ低いが、初めて我ながら頑張ったと思える。いつもの自分であれば絶対に成し遂げることは出来なかっただろう。肝心な時に逃げ出してばかりだったから。自分もほんの少しは成長できたのか、そんな気持ちが湧いていた。
これが自分の考えに行動が一致した、覚えている限り初めての瞬間だった。
こうして、野嶋裕太の最初にして最も後悔していた事件。あの日、自分の人生が変わるきっかけとなった出来事。その清算が出来たのだった――。