第10話 『向き合うことで気付くもの』
再びやり直す時の肌感覚は、妙に心地のいいものだった。意識がはっきりせず、自分が浮いているのか、水に浸かっているのか、はたまた何かに揺らされているのか。覚えているはずもない。しかし、どこかで感じたような懐かしさもあった。
そんな感覚と共に、再び屋上へと続く階段の踊り場に戻ってくる。
「――」
裕太の頭の中は、彼女が自分の思い描いていた像とはあまりにかけ離れていた事への衝撃。そして改めて自分がここで何をすれば良いのかなどの思案が浮かんでいた。
確かに冷静に考えれば、話したことの無い人間と自分の心情が同じようだなんてまず有り得ない話である。所詮は希望的観測でしかなかったということ。それならばそうと諦めがつきそうだが、彼の心には妙な何かが引っ掛かっていた。
「後悔、とも言い難いような……」
一度目を踏まえて、今回自分は一体何をするためにやり直すのか。果たしてこの不確定で言い表せない感情は後悔と言えるのか。はたまた別の何かなのか。
初めての、しかも成す術のないまま二度目を迎えてしまったこの状況。ただ、分かっていること――それはあのまま終わらせたら確実に後悔するという事。
「後悔による後悔なんて冗談じゃない」
そんな想いを抱きながら、再び屋上に続くドアを開ける。
「――」
目の前には前回と同じく、今にもそこから飛び降りそうな一人の女子生徒がいた。裕太は何と声を掛ければいいか一瞬迷うが、前と同じように声を掛ける。
「――西原さん......だよね」
そう呼ばれ、彼女はゆっくりとこちらに振り向く。
「……私に何か用?というか何でこんなところに?話したこと無かったよね?」
前回とは少し言葉が異なっているが、ここに自分がいる事を訝しんでいるのは変わらないようだ。しかしそれになんと返したらいいだろうか。それが結局分からないまま、気付けば思っていることを口に出していた。
「うん、そうだね。確かに......何で、だろうね」
この言動だけ見ればあまりに意味不明なため、すぐに冷たい言葉を吐かれ更に問い詰めてくるだろう。そう予想していたのだが――
「は――......なにそれ」
彼女はそんな裕太に拍子抜けしたような、それでいて呆れたような表情でそう呟いた。そして言葉を続ける。
「まあでもあんたのその気持ち、分からなくもない」
「え?」
「私も今、そんな感じだからさ」
「――」
裕太は、その言葉が意外に思えた。決心が付いたと思ってここに来たとしても、いざその瞬間まではどうしても心が揺れ動いてしまうのかもしれない。彼女の前回の言動からしてそうは見えなかっただけに意外だった。
「ほんと、嫌になるよね。色々と」
「そうだね」
「ねぇあんたはさ、今の人生楽しい?」
「いや......全然」
「はは、だと思った」
彼女は軽く笑いながらそう呟く。
「自分は本当は何をしたいのか。今やってることは本当に正しいのか。とか色々考えて、迷走してるような気がする」
実際、何のためにこの瞬間をやり直しているのかも曖昧になっている。やり直す理由は単純で明白なはずなのに、ここにきてぼやけてしまった。しかしやり直そうと思えるこの気持ち、やり直さなければ後悔につながるというこの意識はどこから来るのだろうか。
「私もあんたと同じでそれは感じてた。でもようやく答えが出て今ここにいる」
彼女はそう言い、更に言葉を続けた。
「薄々感じてはいただろうけど、私がここにいる理由は自殺するためよ」
「――」
裕太は彼女の言葉を黙って聞く。
「私はね、不治の病を患ってるの。それも3年前から。手術をしても治らない。薬を飲んでも、病気の進行を多少抑えるだけ。副作用も酷い。飲まなかったら、毎日生き地獄を味わいながらそのうち死ぬだけ」
彼女のその苦しみは、前回も彼女の口から説明された。その想像を絶する過酷な状況下にいることに、言葉も出なかったのを覚えている。
「だからこそ、こんなにも生きるのが辛いなら、もう自分の手で終わらせた方が遥かに楽なんじゃないかって思ったの。そしてそれが、今日――」
彼女は、どんよりとした薄暗い雲、その先を見つめながらそう呟く。
「そっか、君はそう決心したんだね」
「そう。もうこれ以外道はないの。だからあんたが止めようとしても無駄よ」
裕太は彼女の決意の表れた瞳を見て、はっきりと理解する。
「――なるほど、分かった。確かに俺は、君のその苦しみが分かるなんて全く言えないし、多分君が一番君自身のことを分かってると思う。だからこそ、そんな君が出した結論を否定する資格なんて、俺にははなからなかったんだ」
「へぇ。案外、反対されるかと思ったらそんなことないのね。まあ反対されたところで今更考えは変わらないけど」
彼女は裕太が反対しなかったのが意外だったらしい。
「じゃあ、そろそろお別れね。なんだか、最後に話せたのがあんたでよかった。自分の気持ちを再確認できたし」
そう言うと、彼女は柵から身を乗り出そうと、前腕に体重を掛けた。あとわずか数秒後には、彼女は自分の目の前で、ここから飛び降り命を絶ってしまうと思うと、当然心に来るものはある。しかしこれも、一人の人間がもがき苦しみ考えに考え辿り着いた結論。そこに介入することは、やはり今の自分にはできなかった。ならば、今できる彼女への最大の誠意は、その意思を汲み取って尊重し、送り出すこと。
そう自分の中で認識してからか、さっきまでずっと感じていたはずの違和感がいつの間にか消えていることに裕太は気付く。そして、何故か今は心が落ち着いている。はっきりとした理由は不明だが、彼女と話しているうちに自分の中で何かが腑に落ちたのかもしれない。この違和感は先が全く見えないという不安から生じたものだったのか、自分のしたいことが分からないという一時的な不確かさから生じたものだったのか、はたまた別の何かか。しかし、何かしらネガティブな感情から生じ、それが解消されたというのは間違いないだろう。
「あ、そうだ。最後に一つだけ、ここであんたに会ってからずっと気になってたことがあったのよ」
「え?」
今にも飛び降りそうになっている彼女から、不意に放たれた言葉に、裕太は少し驚く。一体死の直前になって自分に対し気になっていた事とは何か。そんな疑問が渦巻く中、あれこれと心当たりのあるものを考えていると、
「――あんたさ、前にもこの場所で会ったことない?」
そう、まさかのこのタイミングで、予想のはるか斜め上の質問をしてきたのだった――。




