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こぼしたままに

作者: 藤村きょうすけ

外を走る電車の音が、築十五年のアパートの壁を揺らした。

数人の男たちの笑い声が窓の隙間から聞こえてくる。窓の傍に設置されたベッドは、物が散乱している床を除けば唯一散らかっていない空間だった。

キッチンからちらりと目をやると、彼は大きめの毛布を体に絡み付け、文庫本を手にベッドに寝そべっていた。大きめのスウェットに印刷された横文字は胸に置かれたスマートフォンで隠れて見えない。

ベッドと壁の隙間には床に置くことのできる白い勉強机が立てかけてあり、彼の頭はヘッドボードから少しはみ出したそれに枕を挟んで預けられていた。

床に置かれたゴミ箱にはスナック菓子や空いたペットボトルが詰まっている。教科書がすぐそばに積まれており、まるでゴミが溢れてしまっているように感じられる。

壁には本棚があり、漫画と小説がぎっしりと収納されている。ベッドのあるたった一つの大部屋までは短い廊下でキッチンとつながり、その間に洗面所の扉が佇んでいた。電気が付いておらず薄暗いそのスペースにも本や脱ぎ捨てた服などが散らばっていた。


コンロが二台と洗い場があるだけの小さなキッチンスペースで、里奈は鍋の中で煮詰まる料理を混ぜながら何もせずただ寝ているだけの彼氏に文句を言おうと口を開きかけたが、先週喧嘩したことを思い出し、思いとどまった。

ベッドとは逆方向の玄関に目を向けると踵が踏まれた大河の靴が目に入る。

ため息をつき、目線を再び鍋に戻した。

「カレー?」

 大河の声が聞こえる。

「・・本読んでる暇があるなら手伝ってよ。」

 口に出してから、また始めてしまったという後悔が押し寄せる。喧嘩になると分かっていて、言わなかったことが反射的に口から漏れてしまった。

彼に目を向けることができず、鍋の中でぐるぐる回る具材をただ見つめる。

「もう盛り付けるだけっしょ。」

 そういうことじゃないんだけど。言いかけてグッと堪えた。彼の表情は本に隠れて見えない。声色からは怒っているようには感じない。

けれど、同棲2年目に入った今、大河の機嫌を察することは以前より簡単だった。今は、あまり話しかけてほしくなさそうだ。

「お皿とか、スプーンとかさ。出してくれたっていいじゃん」

 また、失敗した。指先が震え出している。

「まずテーブル出てなかったら置けないし!」

 次々と言葉が出てきてしまう。鍋を混ぜるスピードが少し早くなり、具材がコンロ台に溢れてしまった。

「先週も言ったけどさ、二人で生活してるんだよ!? 前みたいに泊まりにきてるわけじゃないしさ、こっちが料理してたら部屋片付けるとかゴミまとめるとかさ、あるじゃん!」

 カレーから彼の方に目をやると、少し音を立てて本を閉じた彼と目があった。

無表情で疲れた表情の彼。まるで、話の長い先生や口のうるさい母親を見るような目で、私を見ていた。

「さっき大学から帰ってきたんだよ。」

 彼はゆっくりとした口調で疲れを訴えてくる。いつも喧嘩の時には冷静を装ってこの口調で喋り出す。それが余計に私をイラつかせる。

「だから、疲れてて気づかなかった。ごめん。」

 そう言って彼は体を起こした。攻撃的な言葉を予想していた私は少し面を食らってしまった。

ギシッと音をたて、彼が立ち上がり、床に落ちているものを器用に避けながら近づいてくる。

「ごめん。」

 少し、大きめの声が出てしまった。大河は足を止め、こちらを見ていた。その目は、やはり面倒臭そうだった。

少しすね毛の濃い足を見ながら次に言う言葉を慎重に選ぶ。

「テーブル出しといて。 あとスプーン。お願い。」

そう言って私は足元の食器棚から大きく浅い皿を二枚取り出した。小皿が上に重なっており、少し取りにくかった。

「…りょーかい。」

彼は小さく呟き、床の本をどかしにかかる。本棚に立てかけたアコースティックギターの周囲に物が押し寄せている。

ただ、周囲に積み上げ、スペースを確保する大河に私はもう一度口を開きかけた。

その時、カレーが煮詰まりゴトゴトと音を立て始めた。

慌てて火を止め、冷蔵庫の電子レンジで静かに回っていたパックを取り出し、皿に白飯を乗せる。

その上に、カレーを注ぎ入れた。ゆっくりと、ドロリとした液体は白い山々を飲み込んだ。

彼の組み立てた机の上にそれを置き、本棚を背にして座り込んだ。

少し時間が止まる。

反対側に座った彼は私の顔を見つめた。

「あ、スプーン・・。」

そう呟いて彼は再び腰を上げた。

「箸もいる? 」

「・・・どっちでもいい。」

自分にイラついてしまう。彼にとって私は今、ただのうざったい人間でしかない。

 再び座り込んだ大河の目線に気まずくなり、左に目を逸らす。

クローゼットの扉が開けっぱなしになっている。ハンガーにかけられた洋服が、斜めに入り込む夕日に照らされていた。もう着なくなった服。

「・・いたっきます」

 彼は一人で食べ始めた。私を待っていてくれた彼の表情が、少しだけよぎる。

「いただきます。」

 私もスプーンをつける。線路を通過する電車の音が聞こえる。

壁が震えている、ように感じた。

読んでくださりありがとうございました。

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