誰と誰が婚約破棄をするの?
一度は世間の流行に乗って、悪役令嬢でざまぁなお話でも書いておこうという、若干頭も軽い感じで考えたお話です。
楽しんでいただけたら、嬉しいです。
「シャロン・イェシェント侯爵令嬢! わたしはお前との婚約を破棄する!」
シャロンが通っている貴族学院は十歳から十五歳の子供たちが通う五年制の学院だ。
この学院では、毎年の社交シーズン時期に学院主催のパーティーが開催される。
これは、学院に通う子息、息女たちが、十六歳で社交界デビューを果たした際に、マナーなどに困らないために開催されるパーティーであり、生徒たちは余程の理由がない限りは全員参加となっている。
シャロンは現在、最終学年の五年生だ。
パーティーも五回目の参加となり、下級生たちの手本となるべく、そして自分の来年の社交界デビューに向けての仕上げとなる。
そんな記念すべきパーティー終盤のダンスフロア、どこからともなく突然高らかに宣言された言葉に、友人たちとグラスを片手に談笑していたシャロンは、一瞬目を見開いて驚いた表情を見せたものの、すぐにグラスを友人に預け、扇子で口元を隠し、冷ややかな瞳を相手に向けた。
「どなたかと思えば、ラフタークレーン・ミスパーソン公爵令息ではございませんか。一体どういう意味ですの?」
「しらばっくれるな! わざとらしい! 貴様の悪事はすでに暴かれている! わたしの可愛いキャンディへの仕打ち、到底許されるものではないぞ!」
しらばっくれたつもりなど、シャロンにはないのだが、可愛らしい赤髪の女を連れた顔を真っ赤にして怒鳴るラフタークレーンには通じなかったらしい。
どうやらこの女がキャンディという名前らしい。
シャロンは相手に気づかれないよう、扇子で口元を隠しながらため息をついた。
正直言って、このキャンディという名の女のことは知らない。
シャロンの記憶にもなく、あまり見たことがない顔ということは、恐らくクラスの違う下位貴族なのだろう。
周囲の生徒たちは、何事かと自分たちの様子を窺っている。
まさか学院のパーティーでもこんな事態に巻き込まれることとなるとは。
全く予想にもしていなかったことに、やや食傷気味だ。
さっきまで会話を楽しんでいた友人たちは心配そうな顔をシャロンに向けている。
目線で自分は大丈夫だと告げると、察しの良い友人たちはうなずいてみせた。
「シャーリー! 一体どうしたんだ!?」
そんなとき騒ぎを聞きつけて、人をかき分けてシャロンの元へやってきたのは、幼馴染でもあるレオン・ドラーレット公爵令息だった。
「レオ! どうもこうも……わたくしにもよくわからず……」
レオンはシャロンの隣に立ち、彼女の肩を抱く。
その様子を見たラフタークレーンはさらに激怒した。
「貴様! 本当にどうしようもない屑だな! キャンディをいじめていただけではなく、浮気までしていただと!? どこまでわたしを馬鹿にすれば気が済むのだ!」
怒鳴っているラフタークレーンを見て、レオンはぽかんとした。
「ねぇ、シャーリー。こいつ何を言っているんだ?」
「そんなこと、わたくしに言われても……」
「貴様ら! 何をこそこそと! 堂々と話さないか!」
ひそひそと話す二人に、唾を飛ばしながらラフタークレーンは怒鳴り散らした。
周囲も冷静さを欠いた様子のラフタークレーンに、胡乱な目を向けている。
そもそも、最近こういったパーティーで片方が一方的に婚約破棄を告げる事案が多発していて、国内でも問題になっている。
発端は他国で発行された恋愛小説らしく、それを読んで感化されたその他国の子息たちがこぞって流行りに乗って、国中がパニックになったらしい。
そこから遅れて、シャロンたちの国にもそういった流行りがどこからともなく入り込んできて、このようなどうしようもない行為が発生している。
去年も何だか同じようなことを第三王子がやらかして、婚約者の令嬢からこてんぱんにやり込められていたのに、どうして人は懲りないのだろうか。
自分ならば大丈夫、完璧に事を済ませるという自信からなのか。
どれだけ周囲がとんでもないことかを説明しても、誰かしらがやらかすのだ。
そしてまさか今年のターゲットが自分だなんて、シャロンは思わなかったのだ。
だって、シャロンはラフタークレーンと婚約者という間柄ではないのだ。
「ミスパーソン公爵令息。確認させてもらいたいのだが」
「何だ? 部外者が我々の話に入ってくるな!」
元々同じ公爵家でありライバル視している相手であるレオンの言葉に、ラフタークレーンはイライラとした調子で言い放った。
「俺は部外者ではない! そもそも俺の婚約者を勝手に自分の婚約者呼ばわりしておいて、一体何なんだ!? 貴様の頭には何も詰まっていないのか!?」
「へぁ……? シャロンがお前の婚約者だと……?」
ラフタークレーンは思ってもみなかったレオンの発言に、度肝を抜かれた様子だった。
そして周囲から失笑が漏れる。
それもそのはずだ。シャロンとレオンが幼馴染でもあり、互いに好意をもって婚約を結んだ話は、学院内でも有名だ。
高位貴族の恋愛婚約として、憧れている生徒たちも多い。
だからこそ、ラフタークレーンの最初の宣言から、周囲は胡乱な目を向けていたのだ。
『こいつ、何を言っているんだ……?』
と……。
周囲の失笑が段々と大きなざわめきとなり、生徒たちがラフタークレーンを馬鹿にしたように笑った。
その様子に耐え切れなくなったのか、ラフタークレーンは急に地団駄を踏み始めた。
「うるさい! うるさい! うるさーい!! 母上が言っていたんだ! シャロンと婚約を結ぶと!」
「ええ、確かにミスパーソン家から婚約の打診はありましたが、すでにレオンとの婚約を整えていたので、お断りしたのですよ。そもそも、わたくしはレオン以外の殿方との婚約なんてごめんですわ」
「ありえない! お前ごとき侯爵家の人間が、我が公爵家の申し出を断るだと!?」
「我がドラーレット家もお前と同じ公爵だがな」
シャロンとレオンに言い負かされて、ラフタークレーンは顔を真っ赤からどす黒い状態まで変化させた。
「そういったわけで、わたくしは貴方と婚約などしておりません。ですから、最初におっしゃっていたそこのキャンディさん? とおっしゃられる方にした仕打ちと言われても、全く身に覚えがございません」
わたくし、貴女に何をしたのかしら? と赤髪の女に目を向けると、女は表情を無くしていた。
「キャンディさん? お答えになって? 婚約者でもない殿方の想い人に、わたくしは何をしたの? そもそもわたくし、貴女のことを今この場で初めて知ったのだけれど?」
「えーっと、あのぉ……そのぉ……」
キャンディと呼ばれた女は、視線をさまよわせながら口にする言葉を考えている様子だった。
「あたしのぉ、勘違いだったみたいですぅ! でもでも! あたしがラフターさまの婚約者に嫌がらせをされていたのは本当なんですよぉ! ただ、ラフターさまがシャロンさまを婚約者だっておっしゃったんで、そうなんだ! って思っただけでぇ……」
「そもそもミスパーソン公爵令息には婚約者などいなかったと、俺は記憶しているが?」
レオンの言葉にキャンディは固まった。
問題行動の多い、ミスパーソン公爵家のお荷物である三男のラフタークレーンは、いくつもの家に婚約の打診をしては断られていることで有名だ。
それを認めたくないミスパーソン公爵夫人はシャロンを婚約者ということにして時間を稼ぐことを選択した。
そしてあまり人の話をよく聞いていないラフタークレーンを騙して宥めたのだろう。
それがかえって裏目に出てしまったというわけである。
いないはずの架空の婚約者。
いないはずのいじめを行った婚約者。
目立つことが大好きで、人よりも優位に立ちたいラフタークレーン。
高位貴族の庇護を受けたい、下位貴族のキャンディ。
有名な恋愛小説になぞらえた断罪劇は、杜撰な計画でものの見事に破綻した。
その後、騒ぎを聞きつけた教師たちがダンスホールへとやってきて、あっという間にラフタークレーンとキャンディを回収していった。
そしてシャロンとレオンにも事情説明のために同行してほしいと頭を下げられ、二人は了承して、その場を後にした。
当事者たちを失ったダンスフロアはしばらくすると、その喧騒を取り戻し、パーティーはその後何事もなく無事に終了した。
パーティー会場から連れ出された当事者たちは、その後それぞれの家から家族が呼び寄せられ、事情聴取と説明が行われた。
被害者側である、イェシェント侯爵家とドラーレット公爵家はミスパーソン公爵家に対し、徹底抗議の状態だった。
ミスパーソン公爵家は息子が仕出かしたことに申し開きも出来ず、両家からの抗議に耐える他なかった。
キャンディはシャロンの予想通り、男爵家の庶子らしく、最近男爵家に引き取られたとのことで、流行りの恋愛小説のような自分の立場に酔いしれていたようだった。
結局、男爵家は責任を取るということで、キャンディを平民に戻し市井へと帰すこととなった。
ラフタークレーンも、このままではミスパーソン公爵家の害になると、修道院へ入れられることとなったらしい。
いつの間にかに学院へは退学届が出され、人知れず学院からは姿を消していた。
そして、シャロンとレオンはというと……。
無事に学院を卒業し、騒動から一年後に社交界デビューを果たしていた。
「これでようやく一区切りね」
シャロンは真っ白なドレスに身を包みながら、エスコートをしてくれているレオンに微笑みかけた。
あの騒動のあと、さすがにあの恋愛小説は生徒の間では下火になっていた。
あれを参考にして自分が恥をかくなど、あってはならないと、皆が反面教師にしたらしい。
その代わり、最近では悪役側の大どんでん返しで仕掛けた方が不幸になるという恋愛小説が流行っているらしく、作家たちは転んでもただでは起きないのだなと、シャロンは密かに思っていた。
「そうだな。社交界デビューを果たして、一年したら俺たちも正式に結婚だ。これから忙しくなるぞ」
「そうね。準備しなければならないこともたくさんあるし、お義母さまから公爵夫人の心得を学ばないといけないし」
「俺も父上の事業を手伝って、ゆくゆくは公爵となる準備をしないといけないしな」
パーティー会場への入場待ちの間に、二人はひそひそと話しながら笑った。
「本当に、あのときはどうなるかと思ったけれど、この一年は何事もなく平和で、無事にデビューを迎えられてよかったわ」
「俺も、シャーリーをエスコート出来て嬉しいよ」
「まあ! わたくしもよ、レオ。貴方と一緒に入場出来て幸せだわ」
レオンはシャロンのこめかみにそっとキスを贈り、二人は幸せそうに微笑みあった。
「ご入場のお時間でございます!」
会場の扉を守っていた騎士が、本日社交界デビューを果たす、入場待ちの子息・息女に向けて声を放つ。
二人は背筋を伸ばして、扉が開くのを待った。
扉が開いた瞬間。
「シャロン・イェシェント侯爵令嬢! わたしはお前との婚約を破棄する!」
という、とんでもない台詞をもう一度聞く羽目になるとは、少し緊張している二人はまだ知る由もなかった。