6
6
「……というわけなの。だからわたしには告白はまだ早いかなって」
引き続きGRAPE・GRAPE店内。わたしは、立花ちゃんにわたしなりの桟君に告白しない理由を口下手ではあるが語り終えた。
あまりにもくだらない理由なので詳細は伏せるが、まあ要するに今の距離が心地よくてそれを壊してもいいのか不安、みたいな感じのありふれた理由だった(楓のことは話さなかった) 。
我ながらつまらない女だとは思うが、しかし立花ちゃんはそんなつまらない女の話すつまらない理由にも真剣に耳を傾けてくれていて、改めて彼女の天使ぶりに驚かされた。そろそろ背中に翼とか生えてくるんじゃないだろうか。
「なるほど……」
決して分かりやすかったはずはないであろうわたしの弁舌を、それでも一度聞いただけで理解できたのか、立花ちゃんはそう言って頷く。
「……先輩はこれからどうしたいと思っているんですか?」
軽く微笑み、柔らかい口調でそう聞いてきた。ここで自分の意見を述べないところが彼女らしいと思った。
わたしはその気遣いに内心で土下座をかましつつ、ずっとずっと一人で考え続けてきたその問いに対する答えを口にする。
「正直なところ、いつかは告白したいと思ってる。けど、どうしても踏ん切りがつかなくって」
これはわたしの偽らざる気持ちだった。わたしが桟君のことが好きなのは確かで。桟君がもしわたしの気持ちを受け入れてくれる証拠があるのなら、わたしはいつでも桟君を愛するつもりで。楓の気持ちを裏切る準備もできていて。しかし、もし桟君がわたしの気持ちを拒絶したらと考えると、恐怖がつま先から髪の毛までを侵食してきて、わたしの体は蛇に睨まれた蛙のように立ちすくんでしまう。
想像の中では何度も桟君に告白しているのに、わたしの口は思うように動かず、酸素を求める金魚のように、ただパクパクと、音にならない愛の言葉を部室内で囁き続けてきただけだった。
「でも、先輩は二年生です。あと半年もしたら受験生になって、勉強も忙しくなるし、部活もいずれ引退ですよね?だったらもうそろそろ決めた方が良いんじゃないですか?」
悩むわたしを少しでも助けてあげたいと思ってくれたのか、立花ちゃんがそんな風にアドバイスしてくれる。「決める」とは言わずもがな、桟君に告白するか否かの判断のことだろう。
わたしは俯き、スカートの裾を両手で握り込んだ。
「うん、それは、そうなんだけどね……」
スカートに無数の皺が刻み込まれていくのを見ながらしどろもどろなことを口にする。その皺には時間がないことへの焦りや、せっかくアドバイスしてくれた立花ちゃんには悪いが、気にしないようにしていたことに再び目を向けさせられたことに対する僅かな怒りのような感情が、わたしの指を伝って描きこまれていくような気がした。
いや、分かっている。立花ちゃんの言うことは分かっているのだ。告白しなくちゃいけないってことは。言葉にしないと気持ちは伝わらないってことは。
でも、どうしても告白に失敗してしまうことで関係が壊れてしまうのが怖くて。失われた自分の気持ちのやり場が無くなってしまうのが嫌で、だったらこのまま永遠に失敗も成功もない恋をし続けていた方が幸せなんじゃないかって、そう思うと、メデゥーサに見つめられてしまったかのように体が硬直して動かなくなる。だからわたしはいつまでも桟君に告白できないでいるのだ。それはまるで何かの呪いのように。
「やっぱり怖いよ……」
後輩の前なのにも関わらず情けなく感情を吐き出す先輩。でも、わたしはどうしてもこの気持ちに抗うことができなかった。
恋人ができている人はいったいどうやってこの呪いを解いてきたのだろうか。それとも呪いにかかっているのはわたしだけで、世界中にいる恋人たちは全員が両想いで必然的に結ばれた幸せな人たちなのだろうか。そんなはずはないと分かっているのだけれど、そうでも考えないと、わたしは自分だけがこの世から仲間外れにされて、邪険にされているようで気が気でなかった。
「ねぇ、立花ちゃんは好きな人いる?」
だから、わたしの口は勝手にそんなことを目の前の立花ちゃんに訊いていた。わたしの他にもこの呪いに罹っている人はいるのか。同族を求めてわたしの舌は醜く動いたのである。
立花ちゃんは、顔を上げ突然そんなことを訊いてきたわたしを見て多少驚いた様子だったが、またいつものあの微笑でわたしに微笑みかけてくれる。紅茶を一口啜ってから立花ちゃんは、
「誰にも言わないって約束してくれます?」
と言った。
「うん、約束する」
わたしは即答した。立花ちゃんの頼みだ。よほどのことがない限りわたしは二つ返事で受け入れる。立花ちゃんは僅かに顔を赤らめた。そして、一呼吸置いた後、心の底から幸せそうに微笑んでこう言った。
「実はいます……それと婚約を申し込んでます」
「そっか、やっぱり立花ちゃんにも好きな人が……ってえぇ⁉」
まさかの発言。わたしは周りの客の存在すら忘れて大声で叫んだ。いったい何を言っているんだろうこの子は。自分が聞いた言葉がまるで信じられない。
「プロポーズ⁉しかも立花ちゃんが⁉」
もしかするとわたしの聞き間違いかもしれない。わたしは真意を問うため、もう一度念入りに確認した。
しかし、もしそれが本当なら、さっきまでのわたしの些細な不安などあまりにちっぽけすぎる大事態だ。立花ちゃんに好きな人がいるっていう事実だけでも学校中がざわめき、男女問わず血で血を争う戦いに発展しそうなビッグニュースなのに。しかもそれがプロポーズまで済ませていて、しかもそれが立花ちゃんからだなんて。そんなことをウチの学校の誰か(主に男子)が知ったら間違いなく暴動が起きる。どうか間違いであってくれ。
「はい、そうです。私から彼にプロポーズしました」
「立花ちゃん、わたし今日はこれで帰るね。どうにかして虐殺を止めないと」
わたしはカバンを持って立ち上がった。伝票を持ってレジに向かおうとする。わたしが救世主にならなくては。
「ちょっと、まだ話終わってないじゃないですか。それにそんな物騒なことは起こりませんよ」
わたしの鞄の紐を両手で掴んで止めてくる立花ちゃん。わりと力が強い。
「離して立花ちゃん!もし立花ちゃんの好きな人がそのことを誰かに言ったりしてたら間違いなくその人は死よりもきつい拷問を受けるよ。そんなのはこの法治国家では許されないことなんだよ。この国は平和であるべきなんだよ」
「何でそんな夢を語る政治家みたいなこと言うんですか⁉」
さっきまでのシリアスな雰囲気はどこへやら。わたしは立花ちゃんに羽交い絞めにされ、店員や他の年配のお客さんに白い目で見られながら、数分間店内で暴れまわったのだった。
御一読ありがとうございました。