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「単刀直入に聞くけど、桟君とどうして仲が悪いの?」
GRAPE・GRAPE店内。
二人でピザを注文し、それを食し終えた後のアフタヌーンティー。情けない話だが、わたしは結局立花ち ゃんを前に作戦など思いつくことはなく、言葉通り直で切り込んでしまったのだった。
「話したいことってそれだったんですか?」
立花ちゃんは紅茶を優雅に一口啜って、カップを静かにソーサーに乗せて微笑した。
その表情を見てわたしは安堵し、頷く。良かった、この話題はどうやら彼女を怒らせたり悲しませたりするような話題ではないようだ。
これで世界から狙われなくて済む。
「今日も桟君と、あと友達の楓って子と部活をしてたんだけど……楓が立花ちゃんの名前を出したら、途端に桟君が怒って帰っちゃって……」
わたしは今朝部室で起きたことをかいつまんで伝えた。
一瞬、楓を殴ろうとしたことも伝えようと思ったが、そこは控えておいた。さすがに桟君の沽券にかかわるからだ。
「わお。八原君でも怒るんですね」
わたしの話を全て聞き終えた後、桟君が怒ったという点が少し意外だったのか、立花ちゃんは青い目の中の瞳孔を拡大させた。
「へ?」
わたしはそれを聞いて疑問符を脳内で約200個ほど発生させる。
「え?桟君が立花ちゃんのことを嫌ってるなら、桟君は立花ちゃんにいつも絡んだりしてるんじゃないの?」
桟君と立花ちゃんは同じクラスだ。だからいつもお互いにいがみ合って教室内でバチバチと火花を散らし合っていると思っていた。
「えーっと、それは一個誤解がありますね」
立花ちゃんは人差し指を小さな顎にあてて、目を中空に彷徨わせながら言う。
「八原君は私のことを嫌っていますが、わたしは別に八原君のことを嫌っているわけではありませんよ。というか、学校内で私と八原君は話したことがないのでほぼ無関係と言ってもいいくらいです。私から八原君に抱いている感情はクラス内のただのおちゃらけた人、というくらいですね」
「え!そうなの⁉」
わたしは唖然とした。
「はい。たぶん9月に転校してきてから私達は一言も会話を交わしたことすらないと思います」
何ということだ。もし立花ちゃんが桟君に成績面以外で何かしているのだとしたら、それを取り除いて二人を仲直りさせようと思っていたのに。これじゃあどうしようもない。
完全に桟君が立花ちゃんを逆恨みしているだけということになってしまう。
「何やってんだ桟君は……」
わたしは完全に頭を抱えてしまった。
これじゃあわたしは彼に何もしてあげられない。
成績など気にするななどと頭の悪いわたしが言っても何の慰めにもならないだろうし、かえって桟君を傷つけてしまう可能性すらある。
どうしよう。八方ふさがりだ。せめて文化祭くらいまではいい空気でいきたかったのに。
楓と桟君は喧嘩すると長引くんだよなあ。
考え込むのもよくないと思い、気分を落ち着かせようと、手を付けていなかった紅茶を口内に流し込んだ。
独特の渋みとマスカットの匂いが口いっぱいに広がる。ここの紅茶はかなり上質な茶葉を使っているため、紅茶本来の香りであるマスカットのような匂いが際立つのである。
おいしい。やはり紅茶はダージリンに限るなあ。
そんな風に、わたしが心を紅茶によって浄化していると、立花ちゃんが突如小さい声で呟いてきた。
「あの、愛美先輩」
「ん?」
「ちょっと失礼します」
そして、そのままわたしの耳にその瑞々しい唇をそっと近づけてきた。
流れる銀髪からフローラルな香りが漂い、わたしの鼻腔をくすぐる。
その紅茶以上の香りを堪能するのも束の間、立花ちゃんはわたしの耳元で優しく囁いた。
「愛美先輩は八原君が好きなんですか?」
「ぶっ!」
わたしは飲んでいたダージリンを思いっきり机の上に吐き出した。
「ま、愛美先輩、大丈夫ですか⁉」
「ゴッホゴホ!」
大丈夫ではなかった。机を紅茶でびしょびしょにしていく。人目もはばからずおっさんみたいな大音量で咳き込む17歳JKがそこにいた。後輩の前で恥ずかしいとかそういうことを考える余裕は一切なく、口元に掌を当てて、何とか立花ちゃんのティーカップにわたしのウイルスが入らないように配慮するのが精一杯だった。控えめに言って死にたかった。
「だ、大丈夫ですか?」
「う、うん、もう平気」
数分後、ようやく平常運転に戻ることができたわたしに立花ちゃんが優しく声を掛けてくれる。
ちなみに咳き込んでいる間にも立花ちゃんは立ち上がって健気にわたしの背中をさすり続けてくれていた。天使だ。
「その、すいません。なんか変なこと聞いちゃったみたいで」
紅茶をげろってしまう原因になってしまったことに罪悪感を覚えているのか、そう言って頭を下げる立花ちゃん。いやいや、さっきの背中さすり(?)でわたしのあなたに対する好感度はむしろプラスになりましたとも。あれをやってくれるならたとえ肺炎になってしまってもわたしは幸せなんじゃないかと思いました。
「別にいいよ。実際事実だし」
わたしは謝る立花ちゃんに頭を上げるように言う。そして、素直に先ほど指摘されたことも認めた。
即ちわたしが桟君を好きだという事実を。
「やっぱり、そうなんですか」
頭を上げた立花ちゃんは、さほど驚いたという風でもなく、ただ事実を受け止めるといった
感じでそう言った。落ち着いたのか、顔には例の微笑が戻っていた。
わたしはその表情を見ながら新たに頼んだ紅茶に口を付ける。
この反応からして、立花ちゃんは前々からわたしの桟君の気持ちに気が付いていたのかもしれない。でも、それも当然か。これまでさんざん立花ちゃんには桟君の話をしてきたのだ。むしろ今日までそのことを訊かれなかったことのほうが不思議なことなのかもしれない。
「あ、でも、私に言ってしまってよかったんですか?」
そんな風に一人クールに考察していると、立花ちゃんが真摯な表情でそう尋ねてきた。
だが、その目には少しばかりの不安の色が宿っている。
「ん?どういうこと?」
わたしは言われた意味がさっぱり分からず即座に聞き返した。やっぱり頭の良い人間というのは、する質問も難解なものが多いもなのだろうか。
そう思ったが、しかし、質問の意味はそこまで難しいモノではなかった。
立花ちゃんはジャーナリストが説明をする際に行うようなジャスチャーを交えながら、馬鹿なわたしでも分かるように教えてくれた。
「ほら、私と八原君って同じクラスじゃないですか?これから彼と話す機会もあると思いますし。そうなれば私が八原君にそのことをうっかり言っちゃう可能性もあるわけじゃないですか」
「ああ、そういうこと」
わたしは得心した。
立花ちゃんは要するにわたしに気を遣ってくれているのだ。「私は桟君のことを好きなことを言いふらすかもしれないが、それでも大丈夫か」と。そう言ってくれているのだ。
うう。なんていい後輩なんだ。思わず涙がちょちょぎれそうだ。けれど立花ちゃん。心配ご無用。わたしは立花ちゃんが言いふらすなんて微塵も思っていないし、なんなら桟君に言ってくれたら言ってくれたらで、わたしの好意が桟君に伝わってアピールできるのだからそこまでマイナスにもならない。よって立花ちゃんが気に病む必要など全くないのだ。
「いいよいいよ。わたし立花ちゃんが言いふらすなんて微塵も思ってないし」
強いて言えば楓にばれることだけが懸念事項だが、今まで見てきた感じ、楓と立花ちゃんが知り合いということはない。そこは今は心配しなくてもいいだろう。
「そうですか……ありがとうございます」
わたしの率直な言葉が少し面映ゆかったのか、下を向いてぽしょりと呟く立花ちゃん。白い
頬を僅かに赤くして、スカートを指で抑えてもじもじしている。普段は飄々としているのにも関わらず他人の率直な好意には弱いのは相変わらずのようだった。かわええ。
わたしがその様子をにやにやにまにましながら眺めていると、立花ちゃんはとうとう耐え切れなくなったのか、
「そ、それはともかく!先輩は告白とかはしないんですか⁉」
と無理やり話題を変えてきた。頬は餌をため込んだハムスターのように大きく膨らみ、上目遣いも相まって、その表情はまるで本物の小動物のようである。……さすがにいじりすぎたか。
まだもう少し立花ちゃんをからかってもよかったのだが、これ以上立花ちゃんをからかうと彼女の親衛隊(千神親衛隊という彼女の校内ファン達のことだ)に何をされるのか分かったものではないので、わたしはその気持ちをどうにか抑えて、立花ちゃんにとっさにすり替えられた話題に乗っかってあげることにした。
幸いこの質問にはすぐに答えることができる。
「うーん、それはまだ全然考えられないんだよね」
「え、どうしてですか?」
立花ちゃんはものすごい前のめりになって聞いてきた。その目は爛々と輝いて好奇心に満ち満ちているのがありありと感じられる。……意外とこういう話好きなんだな。うん、それもそれで可愛い。
さっきのにやにやがまたしても再発しそうになったが、わたしはそれもどうにか堪えて、わたしなりの告白しない理由を語り始めた。
御一読ありがとうございました。