第一章 園本愛美
第一章 園本愛美
八月八日 日曜日。
今日も部室に平和は訪れない。
「だーかーら!何度も言ってるじゃないですか!JK殺人鬼は死体を見ることに愉悦を覚えるシリアルキラーなんですよ!二週間程度の期間を空けて殺人を犯す理由がそれ以外にありますか?いや、ない!そして、その方が断然面白いし、ロマンがある!楓先輩はそれをまったくわかってない!たしかにシリアルキラーは普通一か月以上の冷却期間を置いて殺人を犯す者のことを言いますが、それはそれで違いがあって面白いんです!」
「はぁ?何言ってるの?桟君は馬鹿なの?馬か鹿のお腹から生まれてきたの?あれはそういう風に見せかけた百合物語なんだって何度言ったら分かるの⁉その証拠に被害者は全員若い女性でしょ!『花はしぼまぬうちこそ花である。美しい間に切らなければならぬ』。太宰治も小説でそう言ってた。花!そう、何度でも言うけど、Jk殺人鬼は、シリアルキラーに見せかけた、女性への行き過ぎた愛を殺人でしか表現できないレズビアンなんだよ!」
早朝。鳥鬼高校ミステリー研究部部室にて、
普通の人間が朝から話す内容とは思えないグロテスクな議論を、あろうことか高校生の男女が、部室の真ん中に置かれた机を挟んでバチバチと火花を散らしていた。
「ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ」
「ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー」
唾やら気持ちやらその他諸々やらを飛ばしながら拡声器を通したみたいな音量で延々とくっちゃべる男女。
二人が丁々発止している内容は、最近、わたしたちの高校の近所で発生している連続殺人事件の犯人のことである。
二か月前から始まったその事件は既に8人もの人間が殺されていて、その殺人犯を捕らえたカメラがセーラー服を着た高校生くらいの少女であったことから犯人がJK殺人鬼と呼ばれるようになった。
「ごほん!」
わたしは、彼らが部室に来るやいなや始めた、朝まで生討論ならぬ、朝から生討論を、20分ほど経った
ところでようやく、わざと大きな咳をぶっこむという高等テクニックで中断させた。
「う……すいません……」
「あ、ごめん」
まだ舌を動かし足りないのか、一瞬、不満そうな顔を見せた二人だったが、それ以上に不満そうなわたしの顔を見て、そろって頭を下げる。普段はいがみ合う中なのに、こんな時だけ息が合う。
「分かればよろしい」
わたしは借りてきた猫のようにおとなしくなった二人を席に座らせ、先ほどまで続けていた9月の文化祭に出すための文集の執筆に戻った。
「ほら、文化祭までに時間ないんだから、二人とも早く自分の分を書き上げちゃいなさい」
「「はーい」」
またしてもそろって返事をしてくれる二人。なんだか仲がいいんだか悪いんだか分からなくなってきた。
先程述べたように私達ミステリー研究部は、9月に行われる文化祭に文集を出すことになっている。文集の内容はもちろんJK殺人鬼についてで、その文集の締め切りが8月15日までであるため、今日はこうして朝から部員総出(総出と言ってもここにいる三人しかいないが)で各々の持ち分の執筆を行っているというわけだ。
わたしは20分ほど自分の分の執筆を続け、一段落着いたところでノートパソコンから顔を上げた。二人の進捗具合を確認するためだ。
まず、向かって右側の席に座る男子に声を掛ける。
「どう?桟君、調子は」
「絶好調です。上手くJK殺人鬼の残酷さと変態性を捏造できてます」
桟君はプロのピアニストも真っ青の高速打鍵を一旦中断してそう言った。
桟君――本名、八原桟。
金髪のくせ毛が特徴的な男の子で、人がマンボウの赤ちゃんのようにばったばった死んでいく小説と、血がとめどなく画面いっぱいに溢れかえる映画が大好きという変わり者。
二年生であるわたしの一個下の後輩で、かつミステリー研究部唯一の一年生である。
捏造というのは果たして絶好調と言っていいのか些か疑問があったが、別にわたし達はそれを有料で出版するわけではない。なのでわたしは、締め切りに間に合えばまあ何でもいいか、と思い、
「そう、それならいいわ。そのまま頑張ってね」
とエールを送るまでにとどめた。
「うっす。愛美先輩もがんばってください」
「うん、ありがとう」
桟君の言葉に笑顔を返すわたし。桟君はそれを見て取ると例の高速タイピング作業に戻った。
うーん、あれ本当にキーボード壊れないのかな……。
「楓はどう?」
次にわたしは左手に座る小さな女の子に声を掛けた。
「……やべえっす」
楓は桟君と激熱な議論を交わしていた時からは想像もつかない、蚊が鳴くような声を涙目で漏らした。
楓――水田楓はわたしと同級生で且つ幼馴染の女の子だ。
小さな体躯と茶髪のポニーテイルが特徴的で、文化系というよりはむしろ運動部に所属してそうな雰囲気を持っているが、実は女の子同士の恋愛小説、所謂百合小説が三度の飯より好きなこれまた変わった女の子。
桟君とは、彼が入部してきてからというもの、どうも折り合いが悪いらしく、さっきみたいに何かにつけて桟君に因縁をふっかけている。
わたしはいったいどうしたことかと楓が座る席まで歩いていき、楓のノートを上から覗き込んだ(楓は機械が苦手なので手書きで執筆を行う)。
「タイトルしか書けてないじゃない」
ノートには上部の方に大きな文字で『ドキッ 百合に狂った女子高生の愛欲殺人』という、何がドキッなのか分からないタイトルがでかでかと書かれているのみ。紙面にはその他の活字が一切記載されていなかった。
10分前の、あのお熱い議論をしていた楓ちゃんはどこにいってしまわれたんだろうか……。
「えーっとですねえ、その、最初はいろいろ文章思いついてたんだよ。特に三人目の被害者とJK殺人鬼との恋愛模様といったら、えへへ……」
楓は涎こそたらさないものの、一般の女子高生が浮かべるにはかなり危ないレベルの恍惚とした笑顔を見せた。だが、その表情が突如曇る。
「けど、4人目のヒロイン辺りでJK殺人鬼が寝取られちゃって、うう……」
ついに現実世界では被害者だった者をヒロインと呼び始めやがったこいつ。
しかもその自分の作った世界のせいで原稿が進まなくなっていたとは。
もしかしてわたしの唯一の友人はかなりやばい子なのではないだろうか。もう少し付き合い方を考えた方がいいかもしれない。
「やばいと思いますよ」
わたしがそんなことを考えていると、心の中に桟君の声が闖入してきた。いや、そうではない。わたしの心の声にフィルターがかかっていなかっただけのようだ。
桟君はディスプレイから一ミリたりとも目を離さず続ける。
「あれだけ僕の意見を否定しておいて、自分は一行も進んでないという点も含めてね」
「ちょっと、桟君」
わたしは桟君のその台詞が室内で響き終えるや否や即座にそう言った。
楓が普段から桟君を毛嫌いしている分、もちろん桟君も楓のことを好いてはいない。
なのでこうして桟君は時々楓に毒を吐くのだが、わたしは、今回は流石に言いすぎだと思い、桟君を制する。
「あ、す」
桟君もわたしにそう制されてさすがに自分の負を認めたのだろう。だから『す』に始まる文字の続きは、すいませんだったのだと思う。だがもう遅かった。
「は?何さ。さっきの八つ当たり?それとも千神さんに成績で負けてるからって拗ねてんの?」
楓がバン!と机を叩いて立ち上がり、早口でそう捲し立てたからだ。
はあ……まただ。
わたしは溜息を吐き、何も言わず、音をたてないように自分の席に戻った。
もはや、こうなると収拾がつかないことをわたしは知っているからだ。
そして、わたしが椅子に座ると同時に桟君が立ちあがった。
ヌッと、という表現以外では表しようがない立ち上がり方だった。
「千神のことは今は関係ないでしょう」
そこには幽霊かと見まがうほどに力の抜けた体と、しかし幽霊にしては眼球に宿る力が尋常ではない、そう、例えるならバトルマンガの死に掛けの主人公のような顔と体をした桟君がぼんやりと立っている。
その目は、視線だけで人を殺せそうなほどの力を込めて楓を睨みつけていた。
はぁ……。
わたしはもう一度溜息を吐いた。
本当に収拾がつかないのだ。
千神立花の話をされた桟君は。
「ガン!」
衝撃波のような音が響いた。
「桟君」
桟君が楓に平手打ちをかまそうというしたその一歩手前。わたしが机の天板を思いっきり蹴ったのだ。めちゃ痛い。
「ダメ」
短く忠告する。
痛かったが、けれど、そのおかげで桟君の手は止まった。だからまだ御の字と言えるだろう。
「……すんません」
少しも悪く思っていないように謝る桟君。
気まずくなった空気を悟ったのだろう。ほどなくして桟君は荷物を纏めて部室を出て行った。
わたしと楓を残した部室を何とも言えない沈黙が包む。
「―――」
5分後、永遠に続くかと思われたその沈黙を破ったのは楓だった。
「うーーーーーーーーーー!怖かったよおー!愛美―――!」
楓は泣きながらそう言って、諸手をあげてわたしにそのまま抱き付いてきた。
「ああああああああ!」
よほど鬼気迫るものを感じたのか、制服が汚れるのも気にせず鼻水と涙をこぼし続ける楓。
これまたキャラが完全に崩壊していた。
「はぁ……」
今日、この短時間で何度目になるか分からない溜息を吐くわたし。
楓も桟君もどうして仲良くできないのだろう。
同じミステリーオタクで、無意識かもしれないが時々双子のように息が合う二人なのに。
特に今日は酷い。いつもは桟君がああしてキレることはあっても部室を出て行くことなど今までないのだ。
いやはや。
八月八日。
今日も部室に平和は訪れそうにない。
御一読ありがとうございました。