導師様
『月棲獣』幻夢境の月に暮らす異形の生物。
黒いガレー船にのって現れ、人を拐い、奴隷として使役させている。
その性格は残虐な快楽主義者で、昼夜を問わず拷問に耽っているという。
民明書房刊「嗚呼、ネクロノミコン」より抜粋。
テリーの持っている蔵書の一つだ。
「そんな物は闇属性アンチが書いたヘイト本の類いじゃ、いちいち本気にするでない」
と、ニャル導師。
「大体、昼夜を問わず拷問をやっておるなど、どんだけ暇なんじゃそいつら。みんな毎日忙しい日常生活を送っとるというのに」
はは、そういうものですか……。
ここはネファラム城の応接間。
ニャル導師に言われた通り、俺と彼女の二人きりで部屋にいる。
「わらわとお主はアザトース神から特別に産み出された兄妹のようなものじゃ。そうかしこまらずとも良いぞ、わらわの事も気軽にニャル様とでも呼んでくれ。のう『闇』よ」
では、ニャル導師と呼ばせて頂きます……
て言うか、兄妹?
「あらゆる存在は万物の王アザトースの思考により創造されし物。わらわもお主もじゃ。すべては眠るアザトースの見る夢にすぎず、アザトースが目覚めしとき消滅する」
なんだ宗教的談義の類の話か。
「ところでお主の闇属性も良い感じに育って来ておるのう……どれ、お近づきのしるしに新しい魔術でも教えてやろうかの」
おお、新魔術の取得イベントですか、これはありがたい……なんという魔術ですか?
「うむ、触手魔術じゃ」
え、触手?
「空間から触手を何本も召喚し、自在に操れるのじゃ。便利じゃぞー、相手を打ち倒したり拘束したり出来るし、体力や魔力も吸い取れるのじゃ」
……なんか、こう、いやらしそうな魔術ですね。
「なんで触手がいやらしいのじゃ、外なる神々には大抵備わっとる由緒正しき器官じゃぞ」
そうなんですか?
なんかゴブリンの巣穴と同じぐらいいかがわしい気が……
「分からん事を言う奴じゃな。触手とゴブリンの巣穴がどうして同じなのじゃ……それで、どうするんじゃ、止めておくか?」
いえ!せっかく新しい魔術を覚えることが出来るチャンスなのです、ぜひ教えて下さい。
「うむうむ、そうこなくてはの。では……」
ニャル導師はソファーから身を乗り出してきて、テーブルの上を四つんばいで混沌の様に這い寄ってくると、俺の額に自分の額をくっ付けてきた。
おお、これは。
どこぞのコピーロボット的な知識伝達方法かな……
ーー
こうして俺は、新しい闇属性の系統魔術である「触手召喚」を手に入れた。
なんだかRPGの敵キャラからエロゲーの敵キャラにクラスチェンジしたような気分だが、新しい魔術を得ることで戦術の幅が増えた事は、素直に喜んでおこう。
ーー
しかしこれ、一度に何本もの触手を召喚して、同時に上手く動かせるんですかね。
足の指十本全部ばらばらに動かすのと同じぐらい難しそうなんですけど。
「あれだけ多くのアンデッド兵を自在に操っとるお主が、今さらそんな事を気にするのかえ?」
そう言いながらニャル導師は、腕組みしながらすっくと立ち上がり、
「よし、ならばわらわを触手で拘束してみい」
えー、良いんですか?
「うむ、こう見えて結構頑丈な身体をしておるのじゃ、問題無いぞえ」
見ため的に別の問題が発生しそうなのですが……
「どんな問題なんじゃ、……ははーん、身体が小さすぎて難しいと思っておるのじゃな?どれ……」
と、ニャル導師の身体が見る間にぐんぐんと成長して行き、あっという間に妙齢の女性の姿に変わった。
え、これは……
「ふふ、この姿はわらわの化身の一つに過ぎんのじゃよ」
本体は別にある的な存在か。さすがは闇属性の導師。
では、いきますよー
触手召喚。
俺は触手を何本も召喚し、にゅるにゅると伸ばしてニャル導師の身体にまとわり付かせる。
「おお、初回で同時にこれほどとは……」
そのままニャル導師の四肢を拘束し、空中に持ち上げる。
「うむ、見事じゃ。上手い具合に苦痛も少なく相手の身体の自由を奪い、かつ羞恥心からの屈服を迫る構図。まるで普段からこういう物を見慣れておるかの様な手際の良さよの」
え、ええまあ。前世で……
ああ、体力とか魔力を吸い取れるんでしたっけ?
「うん?あ、ちょっと待て」
俺は触手を蠢かせ、ニャル導師から体力と魔力を吸い上げていく。
「ま、待てと言うておるに……あ、こんな同時に両方じゃと……」
ニャル導師から俺に流れ込んでくる魔力の感覚は、実に美味で、まるで極上の果実を味わっているかの様だった。
ああ、これ……凄く美味しいですよ、ニャル導師。
「す、吸い取り過ぎじゃぞ……お主……ま、待たぬか……あ…ああっつー!!」
激しく悶え喘ぐニャル導師。
あ、やり過ぎたか?
「エイジ君どうした!何かあったのか?」
大声に驚いたのか、ピアが部屋に飛び込んできて……
「え?」
あ……
そのあと誤解を解くのに、少し時間がかかった。
ーー
「しかし、あのような召喚術を身に付けておったとはのう。わらわはまだ救援に現れずとも良かったかも知れぬ」
骨龍の事ですか。
あれは魔術スクロールを使った一回きりの魔術なんですよ。
それに空飛ぶ軍艦を多数持っているぐらいなら、もっと戦力として使ってくれれば良いのに。
ドワーフの遺跡の時とか、こっちは数名で向こうは百人以上でしたよ。
「あの月棲獣の艦隊を呼び寄せる事が出来たのは、お主達が宝珠を集めてきてくれたからなのじゃ。お主には感謝しておるぞ、おかげでアザ教団の力は大きく回復したのじゃからな」
そうだったんですか、あの宝珠にはそんな力が……
「この世は闇と光の戦い。ここまでわらわが現世に介入したとあっては、叡知神も同様に介入してこよう。これからの戦いはより激しさを増す事になるじゃろうて」
あの宝珠を五つ集めた方が勝利する、という話ですか。
どうもその辺りの概念がよく分からないのですが。
「五つ集めれば、完全にアザトース神の力を制御する事が可能になろう。アザトース教団の教義を思い出せ、『あらゆる存在は万物の王アザトースの思考により創造されし物』じゃ。この力を手に入れる事が出来れば、もはや向かう所に敵は無い」
確かに。
あらゆる存在を創造する事が出来る、なんて事になれば、それこそチート級の力だ。
「そうなれば、光属性の連中を一瞬でこの世から全て消してやるとか、全員闇属性に書き換えてやる、なんて事も可能じゃろうて」
さ、さすがにそれは……
あの最初の街にいた人々、ミラージ、ツラギ王国の人々を全てこの世から消してしまうなんて。
「ふふ、そこまではせぬよ。じゃが、それが出来るだけの力が手に入れば、もう光陣営の連中も戦いを挑もうとは思うまい。結果的に世界は平和になる、そうは思わぬか?」
そうかも知れないが……
光陣営の人々にとっては行き辛い世の中になりそうだな。
本当にそれで良いんだろうか。
「煮え切らぬ男じゃのう、お主は……。宝珠の力を欲しておるのは我らだけでは無い、光陣営の連中もじゃ。奴らが多くの宝珠を手に入れれば、それだけ叡知神の力を引き出す事が可能になるじゃろう。そうなれば、我らは窮地に立たされる事になる」
叡知神の力とは、どういう物なのですか?
「叡知神はこの世の理を司る神じゃ。この世に起きる事象の全てを制御しておる」
うーん、概念的過ぎてよく分からない……
「この世界を大きなゲームと考えてみるがよい。ゲーム盤や駒を作るのがアザトース神、ルールブックを作るのが叡知神じゃ」
その例え話なら、もうちょっと分かり易いな。
『俺がルールブックだ』を何度もやられたら堪ったもんじゃない。
「光陣営が宝珠を五つ集めれば、この世の理を自由に変えることが可能になる。例えば『闇属性はこの世界では生存出来ない』なんて変更をやられてみろ。そうなったら、我々はもうお仕舞いじゃ」
確かに、それはキツイ……
「まあ、奴らが持っている宝珠はまだたった一つじゃ。大した変更は出来まい。……厄介なのは我々にはどう変更されたのか分からぬ、という点じゃ。理自体が変更されてしまうのでな、まるで前からずっとそうだった、としか思えないのじゃ。あるいは既に宝珠が使われているかもしれぬ」
そういう事なら、我々は自衛の為にも宝珠を五つ集めなければなりませんね。
それに相手にも取らせてはいけない。
「ああ、宝珠はこちらが二つ、向こうが一つだ。我々はただ一つ勝っているだけにすぎん。宝珠はこの世の全ての魔力が凝縮され、不定期に世界の何処かに産み出され続ける物。まだこれからもこの世にいくつも現れて来るじゃろうて」
………。
「どうした?」
ええ、まだどちらが勝っても、おかしくない状況ですね。




