ラブレター4
聞いてみると、隣の建物はカフェではなく代筆屋なのだという。
代筆屋。聞きなれない仕事だが、四月一日さん曰く、文字に関する万屋とのことらしい。つまり、ミキさんは四月一日さんに何かの代筆を頼みに来たということだ。
僕が事情を話すと、彼は納得がいったように一つ頷いた。
「それじゃ、君が『友樹くん』なんだね」
「なんで、僕の名前を……」
「さっきミキさんにね、たまたま聞いたんだよ。近所に『友樹くん』っていう可愛い弟分がいたんだって。しばらく会っていないからどうしているか心配だって、そうも言っていたよ」
「そうですか……」
その言葉に僕の胸は暖かくなる。ミキさんがまだ僕のことを気にかけてくれていたのが嬉しかったからだ。
四月一日さんはかわいらしく小首を傾げながら僕を見つめた。
「それで、ラブレターを書くの?」
「それは……」
ラブレターという響きに僕は躊躇ってしまう。今まで自分の気持ちを彼女に告げるつもりは毛頭なかった。こんな重苦しい気持ちを告げてしまえば、ミキさんだって引いてしまうだろう。そう思っていたからだ。
けれど、彼女ともう一度ちゃんと話したい気持ちも、想いを伝えたい気持ちも、ないわけではない。
迷っている僕を後目に、四月一日さんはくんくんと鼻をひくつかせた。
先ほどまで食べていたクリームソーダモドキの匂いでもするのだろうか。ちなみに、クリームソーダモドキはもうなくなっている。三つのコップ全部が空だ。
「友樹くんってさ、もしかして美容師目指している?」
突如、そんな風に聞かれてどきりとした。
どきりとしたのは、四月一日さんの言葉が当たっていたからだ。
そう。僕はこの春から高校卒業の資格と美容師の資格が同時に取れる専門学校に通っている。そして、それはここの誰にも言ってない秘密だった。もちろん、ミキさんにも言っていない。親にだって彼女には言わないようにと言ってある。
なのに、なぜ彼が知っているのだろうか。
「その指のけがと、この薬品の匂い。……髪の毛を染めるときに使う薬品の匂いだよね? 指のけがはハサミで切ったのかな?」
そんな風にネタばらしをされて、僕は絶句した。そして、絆創膏が巻いてある左手を咄嗟に隠す。指は確かにハサミで切ったものだが、薬品の匂いをヒントにするとは思ってもみなかった。というか、鼻が良すぎるだろう。犬並みの嗅覚じゃないか。それとも、自分の匂いは自分でわからないというし、知らず知らずのうちに薬品の匂いがこの身にこびりついていたのだろうか。
四月一日さんはさらに続ける。
「お姉さんは君が普通の高校へ行ったように言っていたから、君が美容師を目指しているのは秘密事項なのかな? つまり、君が美容師を目指しているのは彼女に関係がある?」
その推理に全身の毛が逆立つような心地がした。何も話していないのに、こうやって僕の秘密を暴いてくる彼が少しだけ恐ろしい。
あんなにおっとりと人のよさそうな顔をしているのに、こんな特技があるなんて意外だ。意外過ぎる。それともこれは代筆屋になるために必要なスキルなのだろうか。
「もしかして、君が美容師になろうと思ったきっかけはお姉さん?」
まるでトドメを刺すようにそう言われて、僕は頷くしかなかった。図星だ。大図星だ。
僕はまるで参りましたと言わんばかりに、足元を見つめながら白状した。
きっかけは僕がお姉さんの家から逃げた日だった。
何気ない顔をして元の関係に戻ることができなかった僕は、それから数日間ずっと悩んでいた。悩んでいるときに思い出すのは当然ミキさんのことで、もやもやとした思いを抱えながら空が白み始めた頃に寝落ちをするという生活を過ごしていた。
その日の晩も、僕は寝る前に幼かった頃の思い出に浸っていた。
その時、ふと脳裏に幼いミキさんの声が蘇ったのだ。
『お姫様みたいになりたいなぁ』
いつものようにキラキラとしたアニメ映画を見ていた時に零した一言。
あの頃の僕は彼女のことをミキちゃんと呼んでいた。
確か、僕が五歳。ミキさんが十一歳の頃だ。
その蘇った声は今でも僕の耳に焼け付くように残っている。
たった一回だけだ。後にも先にも彼女はその願いを口にしていない。まるで悪いことを言ったかのように「ごめんね」と笑った顔が忘れられない。
「僕は、その願いを叶えてあげたかったんです」
幼いころに一度だけミキさんが呟いた夢を、僕は僕の手で叶えてあげたかった。
だから、進路を決めた。だけど、ミキさんからしてみれば、そんな風に昔のことを持ち出されて、粘着されて、気持ち悪いと思われても不思議ではない。
自分のために将来の夢を決めたと言われても、喜ぶ女性はほとんどいないだろう。
だから、僕の想いは重過ぎるというのだ。
もちろん、他に下心がなかったわけじゃない。
僕は常々、早く大人になりたいと思っていた。早く大人になって彼女の隣に立てるようになりたいと願っていた。
では、どうしたら大人なのか。僕の基準では、それは仕事だった。
就職をしてれば大人で、していなかったら子供。
自分でも馬鹿な論理だとは思うが、そういう論理を立てなければ年齢を飛び越えて僕が大人になれる道はなかったのだ。
そして、美容師というのは専門の学校へ行き、しっかりと研鑽を積めば、比較的若い年齢で就職ができる職だと知った。だから、美容師という夢は僕にとっても都合がよかったのだ。
しかし、その下心でさえも、結局は僕が彼女と一緒にいたいがための下心だ。
僕の気持ちが重いことには変わりがない。
「いつか、立派になって美容師免許も取れたら、僕がお姫様みたいにしてあげたいなって。……そもそも仲直りもしていないのに、どうするんだって感じですよね」
僕が落ち込んだような表情を見せると、四月一日さんは安心させるようににっこりと笑ってくれる。
「僕はね、手紙のいいところは相手の顔が見えないところだと思うんだ」
可愛い顔をして、四月一日さんはとんでもないことを言う。
「相手の反応が怖くて言えない事ってあるじゃない? でも、手紙ならそういうのがないから好きなように書けるんだ。しかも、デジタルの文章と違って手書きの文章は文字の強弱や便箋一つに想いを込められる。もちろん、相手にとって迷惑なこととか、読んでいて気に病むようなことは書いたらいけないけどね。返事なんて期待せずに、遠慮なく気持ちを押し付ける。そういう手紙の在り方もあると、僕は思うよ。……ファンレターとかそういうものだしね」
四月一日さんはなおも続ける。
「手紙を書くも書かないも、友樹君の好きにしたらいいと思うよ。気持ちを伝えるのも胸にしまっておくのも、誰かに強要されてすることじゃないしね。……だけど僕は、気持ちを伝えたくても伝えられなかった人をたくさん知っているからね。もし迷っているなら、伝えられるうちに伝えてほしいと思うよ。誰かを想うということは少しも恥ずかしいことじゃないし、好きの気持ちはどんな形であれ、嬉しいものだと思うからさ」
困ったように笑う彼はどこか悲し気で、もしかしたらそういう依頼を受けたことがあるのだろうかと少し勘ぐってしまった。
「……でも、気持ち悪いって思われませんかね?」
「どうだろうね。僕も一度会っているだけだからなぁ。そういうのは友樹くんの方がよく知っているんじゃないのかな? ずっと昔から一緒にいるんでしょう? 君の知っているミキさんは誰かに向けられた気持ちを、気持ち悪いと思ってしまうような人なのかな?」
その言葉に僕は首を振った。ミキさんはそういう人じゃない。
誰に対しても彼女は優しく、思いやりがあって、常に明るい笑顔を見せてくれる。幼い頃の僕の面倒だって、嫌な顔一つ見せずにとても良くしてくれた。
「あ、あの。手紙の書き方、教えてもらえますか? あんまり手紙って書いたことなくて……」
「そういうのも、四月一日さんに頼んだらいいよ。全部いい感じにやってくれるから!」
隣でのんびりと僕らの話を聞いていた文音さんがそう言って笑った。
「いや、こういうのは……」
「こういうのは、誰にも触れてほしくないものだよ。特に自分で書くことに不都合がない人にはね。誰かを想うことは決して恥ずかしいことじゃないけれど、伝えるには勇気がいることだからさ」
僕の心を代弁するかのように、四月一日さんは優しくそう言う。
少し前に四月一日さんは空気が読めて、ヤコさんと文音さんは空気が読めないみたいな話をしていたけれど、これはなるほど、といった感じだ。彼はきっと空気が読めるのではなくて、心を読もうとしてくれるのだ。大切に、大事に、僕の気持ちを扱ってくれる。
話に飽きたのか、ヤコさんは入り口近くの椅子に座ったまま舟を漕いでいた。
それから四月一日さんから手紙を書くにあたっての簡単なアドバイスを貰った。長ければいいというわけではないということや、用件は簡潔にまとめたほうがいいこと。そして、自分の気持ちを正直に伝えること。
「夜中に書いた手紙はダメだって言うけれど、ボクはラブレターみたいな気持ちを伝える手紙は一度夜中に雛形を書いて、それを朝に直したものが一番いいと思うんだよね。夜中ってなんだか素直になっちゃうものでしょう? ……だから、読み直すと恥ずかしいんだけどね」
そう言って独自の方法を教えてしてくれたりもした。
僕は倉八文房具で便箋を買う。色は柑橘系を思わせるような薄い黄色にしておいた。
ついでに便箋に合わせて新しいボールペンも買っておいた。色は水色。
どちらも夏らしくていい色だ。
かっこいい万年筆や綺麗なガラスペンを選ばなかったのは、書きなれているものが一番だという四月一日さんのアドバイスを受けたからだった。
僕が売り上げに貢献したことにより、文音さんはとても嬉しそうだった。
そして、去り際に四月一日さんはこう言った。
「ミキさんの良いところ、友樹くんがいっぱい書いてあげてね」
それは手紙を書く方法やアドバイスというよりは、彼の願いのような感じがした。