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ラブレター3

 ミキさんは小さい頃から僕の面倒をよく見てくれる人だった。

 お互いの両親の仲が良い事と、家が隣どうしだったことも相まって、僕らは家族同然に育った。両親が共働きだったこともあってか、僕はよくミキさんの家に預けられていたほどだ。

 六歳年上のミキさんはいつも優しく、それこそ本当の姉のように僕の面倒を見てくれた。

 しっかり者の彼女は、お互いの両親が遅くなる時は夕食を作ってくれたり、僕が悩んでいると話を聞いてくれたりした。それこそ両親に話せないような些細な悩みも、僕はミキさんになら話すことができた。

『勉強がわからない』

 そう言えば、彼女は丁寧に勉強を教えてくれた。

『友人とうまくいっていない』

 そう言えば、彼女はどうすれば上手くいくのか僕と一緒に考えてくれた。

 年齢が離れている僕に付き合うのは、大変なことも面白くないことも多かっただろうに、彼女は根気強く付き合ってくれた。優しく、丁寧に、僕の心を解してくれた。

 だから、僕がミキさんのことを好きになったのは必然だったのだと思う。気が付いたときにはもう好きで、どうしようもなくなっていた。

 僕らの関係は僕が中学生になっても続いていた。もうさすがに家に入り浸るようなことはなくなっていたし、ミキさんはもう大学生になっていたけれど、そんなことなど関係なく、彼女は僕の『お姉ちゃん』でい続けてくれた。異性として見られていないその状態に少しだけ不満はあったけれど、その時の僕は居心地のいいその関係に甘えてしまっていた。

 話は少し逸れるが、彼女は昔からディズニー映画が大好きだった。知り合った頃からずっと、愛や夢や希望を謳うあの世界観が大好きだった。アニメ映画のDVDだって何本も持っているし、彼女の部屋の中にはキャラクターの小物が溢れていた。旅行と称して千葉にある夢の国に行くことも多い。

 僕が一緒にいる時だってそれは変わらなかった。ミキさんがテレビで流すのは大体そのアニメ映画だ。僕にはいまいちその良さはわからなかったけれど、隣にいる彼女が満足そうに笑うからついつい毎回付き合ってしまう。おかげでディズニー映画には相当詳しくなってしまった。

 三年前の暑かったあの日も、彼女はそのアニメ映画を観ていた。

 僕の目の前にはミキさんが作ってくれたクリームソーダモドキ。たった一言呟いただけなのに、『姉』は『弟』のためにと甲斐甲斐しく作ってくれたのだ。冷蔵庫に残っていたコカ・コーラに母がおやつにと持たしてくれた白いバニラアイス。用意された折れ曲がるストローで底のコーラを一口飲めば、突き抜ける壮快感に喉の奥から拍手が聞こえるようだった。

 パチパチパチパチパチパチパチパチ

 テレビ画面には何十回観たかもわからないラストシーン。運命で結ばれた二人が手に手を取り、障害を乗り越えた末、愛を確かめ合う場面だ。

 ミキさんは少しだけ頬を桃色に染め、うっとりとそのシーンを眺めていた。昔のようにハンカチを目元にあてながら観ることはないけれど、その視線はコーラの上に浮かぶバニラアイスのようにとろりと溶けていた。

 もう大学生なのに。そうは思ったが、彼女が見た目に反して可愛らしいものが好きで夢見がちだということはとっくの昔に知っていた。

 知っていたはずだったのに……

「……いいなぁ」

 その聞こえるかどうかギリギリの呟きに、僕は顔を上げる。そして、口が勝手に動いた。

「王子様なんて、待っていても来ないよ」

 その瞬間、ミキさんと視線が交錯した。彼女は目を見開いて数秒固まり、そして、困ったように苦笑いを浮かべた。

「うん。知っている」

 その声色がいつもより固く、悲し気に聞こえたのは気のせいではないだろう。

「知っているよ。大丈夫」

 もう一度確かめるようにそう放った彼女の言葉に、僕は急に居たたまれなくなって立ち上がった。

「ごめん。帰る」

 そして、まるで逃げるかのように彼女の家を後にした。

 今思えばこの時の僕は焦っていたのだと思う。だんだん大人に、綺麗になる彼女に焦っていた。まるで置いていかれるような、そんな心地を味わっていた。

 僕の知る限り、彼女には今まで恋人の気配はなかった。恋愛にも興味がなさそうだった。だから焦りながらも少し安心していた。彼女は僕が大人になるまで待っていてくれるだろうと、どこか舐めてかかっていた。

 なのに、彼女の発した羨望の一言は、僕を一瞬にして窮地に追いやった。

 彼女が僕を待っていてくれるというのは甘い幻想だったのだ。それをまざまざと思い知った。彼女に今まで恋人がいなかったのは、単にいい人に出会っていなかっただけで、これからはそうでないのかもしれない。

 僕が中学に上がるのと同時に、彼女は大学に進学した。僕の見ている世界より、ずっと広い世界が彼女の目の前にあって、ずっと多くの人と彼女は知り合うだろう。その中に、彼女がいいなと思う人がいるかもしれない。

 大学生である彼女の背中は、追いかけても、追いかけても、まだ見えてこない。

「八つ当たりなんてカッコ悪ぃ……」

 そんなまだ見ぬ誰かに嫉妬することでさえも、自分が子供だと言っているようで、たまらなく嫌だった。

 彼女の傍にいたいのに、傍にいればいるほど、自分の未熟さを痛感してしまう。

 そうして、僕はミキさんの家に行かなくなった。

 近所だからばったり会うこともあったけれど、以前のように話し込むことはなくなった。すれ違ってもただ挨拶をするだけ。

 本当はなんてことない顔でいつも通りに接すればよかったのだろうけれど、思春期真っ最中だった僕にはそれがたまらなく難しかった。

 あの時の僕は自分の幼稚さや未熟さと向き合うのが怖かった。大人な彼女と子供な自分を比べたくなかった。隣にだって立ちたくなかった。傍にいたいとは思っているのに……

 そうしている間にもだんだん僕らの距離は離れていく。

 僕が家を訪れなくなっても、彼女はしばらく普通に声をかけてくれた。けれど、やがて諦めたように声もかけてこなくなった。

 おかしなもので、一度声をかけなくなると次に声をかけるのに二倍も三倍も勇気がいる。そして、僕にはその勇気が出なかった。

 だから、今日だって陰惨とした雰囲気の彼女に声をかけることができなかった。以前の僕ならば、少しも躊躇わず声をかけていたはずだ。


 僕の想いが質量を増したのは、実はこのときの出来事がきっかけだった。今までだって十分に重かった想いだけれども、今の重さは段違いで桁違いだ。

 正直に自分の想いを話そうものなら、彼女はきっと引いてしまうだろう。

 ……もう、普通に話もしないのだけれど。

 だけど、その気持ちの悪い僕の想いも、もう少しできっと終わる。

 ミキさんは来年就職をして、家を出てしまうらしい。

 僕の願いも想いも成就はしないが、きっとそれでいいのだ。

 引かれてしまうよりは、このまま良い思い出のまま終わったほうがいい。


「それからずっとまともに話してないんですか?」

「まぁ、そうなりますね……」

 文音さんの言葉に僕は苦笑を漏らした。傍から聞いていたら馬鹿みたいな悩みだろう。そんなことで話せなくなる僕は馬鹿だし、僕だって他人事ならぐずぐずせずに話しかけに行けばいいのにと思う。

 そんな想像を肯定するかのように文音さんが口を開く。

「普通に声をかけてみればいいのに。聞いたところ、ミキさんもそんなに気にしていないようですし……」

「そうなんですけどね。でも、長い間話してないから、面と向かうとうまく言葉が出てこなくて。メールをしようにも携帯電話を買ってもらう前に会いに行かなくなったから、彼女の連絡先も知らないんですよ」

「それなら……!」

 文音さんが何かを言いかけたそのとき、玄関の方から誰かがやってきた。大柄でおっとりとした雰囲気の男性である。くりくりのつぶらな瞳は黒目の部分が多く、人の好さそうな垂れ目。端には笑ってもいないのに笑い皺が寄っていた。

(あの人は確かミキさんと話していた……)

 ヤコさんたちの話では彼はワタヌキという、隣のカフェ店員さんだ。

「ヤコさん! いなくなったと思ったらこんなところにいたの? もー。探したんだよ」

 少し怒っているようだが、ヤコさんの言ったとおりにワタヌキさんは怒っていてもあまり怖くない。むしろ、拗ねた感じの声が可愛らしくさえある。

「ワタヌキさん、珍しくぷりぷりしていますねぇ」

 ぷりぷり。そう、そんな感じだ。ぷりぷり怒っている。ぷりぷり。

「俺はお前の代わりに、コイツ案内しとったんじゃ! 文具屋に用事があるって言っとったからな!」

 ヤコさんは親指で僕のことを指しながらそう声を上げた。

「でも、今日は文音ちゃんいるじゃない」

「さっきまでおらんかったんじゃ!」

「えー。本当?」

「ほんとうだっつーの!」

 ヤコさんは歯を見せながらそう怒鳴るが、ワタヌキさんはちっとも怯えていない。むしろ力関係で言ったらワタヌキさんの方が上なのかな? と思うぐらいだ。

 そんなとき、文音さんが僕の肩を後ろから持ち、ワタヌキさんの前に立たせた。

「助っ人が来たよ! ワタヌキさんラブレターってお願いできますか?」

「ラブレター?」

「ラブレター⁉」

 最初に首を傾げたのがワタヌキさんで、遅れて引きつった声を上げたのが僕だ。

「連絡先を知らないんなら、手紙しかないでしょ? 声をかけるきっかけが作れるし、告白もできるし、うちで便箋を買ってくれるなら売り上げにもなる! 一石三鳥!」

「いや、だからって……」

「大丈夫! ワタヌキさんはプロだから!」

 そう言われて、ワタヌキさんは困ったように頬を掻いた。そして、ポケットを探り、手書きの名刺を僕に渡してくれる。

 そこに並んでいたのは優しくて温かみのある優しい文字。

『代筆屋 四月一日 理』

「代筆屋をしている四月一日というものです。……どんな想いをお届けしましょうか」

 そう言って彼は、目を細めて微笑んだ。


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