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ラブレター1

 想いには質量がある。

 誰かに向ける気持ちを〝おもい〟と言うのは、それを受け取った本人が、その気持ちに重みを感じてしまうからじゃないだろうか。

 想いは重い。

 駄洒落ではない。

 そして、僕にとっては笑い事でもなかった。


 今朝、テレビで男性の天気予報士が言っていた。今週は、一年で一番暑い週になる予定……らしい。

 最高気温は三十五度を超え、全体的に猛暑日。湿度も高くなり、熱射病や熱中症に注意、とのこと。

 僕は額から噴き出る汗を袖で拭いながら、帽子をもってこなかった自分の馬鹿さ加減に辟易としていた。

「……あつい……」

 心頭滅却すれば、火もまた涼し。

 そんな言葉があるけれど、今の僕の頭では無念無想の境地というのはなかなかに行き着けない。

 だってすぐ側に、彼女がいるのだ。

 肌を焼く太陽に、噴き出す汗。蝉の鳴く声が耳を劈き、ドライヤー並みの熱風が頬を撫でる。

 日に焼かれたアスファルトが、靴底のゴムをじりじりと溶かすような気さえしてくる熱気の中。僕は物陰に隠れながら、じっとある一件のカフェを観察していた。

 のっぺりとした白い壁に紺色の木枠がついた大きな窓。カフェやオシャレなお店で見かけるようなオーニングは見当たらないが、入り口に面した一階の壁一面が少しだけ内側に建てられており、二階部分がせり出すような形で雨や日差しが防げるようになっている。

 窓が二つ並んでいるだけの二階部分の装飾は全くなく、一階の外観をも含めて全体的にシンプルだ。

 僕は顔を覗かせ、目を凝らし、カフェの大きな窓ごしに一人の女性を観察していた。

 彼女は白いふんわりとした空気感のあるトップスに、黒いスカートという、シンプルだが優しい雰囲気の服装をしていた。長くて綺麗な黒い髪は、いつものようにそのまま背中に流している。

 彼女――ミキさんは、幼い頃から知っている近所のお姉さんで、僕の想い人だ。

 大学生の彼女に比べ、僕は高校生。年齢だけで言うなら六つも離れている。だけど、僕は昔からミキさんのことが大好きだった。ミキちゃん、と呼んでいた頃からずっと好きで、初恋である。

 そして、その初恋をこじらせている自覚が僕にはあった。

 この想いはきっと重すぎる。

「……何を話しているのかな?」

 そう呟きながら、僕は物陰に身を潜ませ、必死に目を細める。

 彼女は何やら丸っこいカフェ店員と話しているようだった。そのころころとしたシルエットはなんだかふわふわの雪だるまのようだ。遠くからでもよくわかる人なつっこい笑みを浮かべて、彼はミキさんを接客している。

 そう、今の僕はミキさんのストーカーをしていた。

 ストーカーといっても、後をつけているだけで他にやましいことは何もしていない。……してはいないが、思いを寄せる女性の後をつけているという事実だけで、もうそれはストーカーたり得てしまうだろう。

 僕には僕なりの理由があるが、そんなものは言い訳にはならない――がしかし、一応、弁解はさせてもらいたい。

 僕は彼女が好きで、彼女を想うがあまり、彼女のプライベートを観察するために、彼女を追いかけ回していたわけじゃない。

 僕は彼女が心配だったのだ。

 今朝、ミキさんが何やら思い詰めた表情で家から出て行くのが、たまたま僕の部屋から見えたのだ。

 ミキさんの家は、僕の家から道路を挟んで向かい側にある。道路といっても、あまり車の通らない一方通行の道路なので、その距離はお隣さんとさほど変わらない。だから、道路に面している僕の部屋からは、彼女の家の玄関がよく見えるのだ。

 ミキさんは紙袋を抱え、足取り重く家を出て行く。こんなに日差しが強いのに彼女は帽子も被っておらず、日傘も差していなかった。だから、二階にいる僕からでもその憂鬱な表情ははっきりと見て取れたのだ。

「心配だな」と思ったときにはもう外に出る支度を始めていて、「大丈夫かな」なんて思う頃には家から飛び出して彼女の後をつけ始めていた。

 本当は声をかければよかったのだが、その勇気はなく、また彼女の行き先に興味もあったので、僕はそのまま彼女の尾行を続けた。

 そうして僕はこのカフェを見つけた。

 カフェの中では、ミキさんとあの丸っこい店員さんが何やら話をしている。注文を聞いているには長すぎるし、彼女は何かを書きながら話しているようだった。

「カフェ、じゃないのかな?」

 その建物には看板は掲げられていない。見た目だけでカフェと判断してしまっていたが、もしかしたらあそこは何か違うお店なのかもしれない。それならば、ミキさん以外のお客さんがいないことにも説明がつく。

 それに、彼女の前には飲み物も何も出ていないのだ。

「カフェじゃないなら、なんのお店なのかな? 占い屋とか……?」

 何かに悩んでいる人間が尋ねるところといえば、僕にはそれぐらいしか思いつかない。

 そんな僕の想像を否定するように、奥の入り口から一人の若い男がお盆を片手に顔を覗かせた。

 やけに明度の高い金髪の男だ。あんな金髪、染めて出そうとしてもなかなか出せるものじゃないが、天然の金髪というには顔が日本人寄りだ。びっくりするぐらいに、すごく整った顔をしているし、手足もまるでモデルのように長いが、ベースは東洋人である。

 ならばあの髪は染めた髪ということになるのだろうが、彼の髪はさらさらで、全く痛んではいなさそうだった。あんな染め方ができる美容師がいるというのなら、是非どこの美容室で働いているのか教えて欲しいぐらいだ。

 気だるげそうに首を鳴らしながら、彼はミキさんの前に彼女が注文したであろう飲み物と何か甘味の載ったお皿を置いた。何が置かれたのかまではこの距離からではよく見えなかった。

 ミキさんはその店員さんを仰視する。穴が開くほどにその綺麗な顔を見上げて、そして、まるで芸術作品を見た後のような、色のついた吐息を漏らした。

 そんな彼女の表情に、少しだけ胸が苦しくなった。

「いや、確かにかっこいいけどさ。たぶんアイツ性格悪いと思うんだけど……」

 誰に届くこともない言葉を、僕はぼそぼそと吐き出す。

 あの無愛想な店員は絶対に性格が悪い。女を何人も泣かせてきた顔だ。絶対そうだ。そのくせなんのお咎めも受けずに今までのうのうと生きてきたタイプ。そう。そうに違いない。クールぶってればモテるなと思うなよ。この野郎が!

 言葉にはならない想いが頭の中をぐるぐると回る。

 僕は彼女の背中を見守りながら、じりじりとその身を焦がしていた。焼いていたのは日か、想いか。

 どちらにせよ僕の体温はうなぎ登りである。

 そしてふと、ある可能性に行き着いた。

「もしかして、ミキさんはあの男に会いに来ているんじゃ……」

 自分で放った言葉が耳を掠めた瞬間、全身から血の気がひいた。目まぐるしいスピードで上がっていた体温も急降下だ。

 確かにかっこいいけど、あれはない。ない、であってほしい。あんな見た目百点満点の大人の男に、こんな年下で万年弟分の僕が勝てるわけがない。逆立ちしたって無理だ。

 ミキさんはその金髪の男と二、三言話すと、また丸っこい店員さんと話し出す。

 その気のない態度に、僕はほっと息をついた。どうやらミキさんの目的は金髪の彼ではないようだった。

 日差しが強かったのか、金髪の彼は窓にかかっていた白いロールスクリーンを降ろそうとする。

「あぁっ! ちょっと!!」

 下がっていくロールスクリーンに、僕は思わず物陰から身体を半分以上出してしまう。

 このままではミキさんが見えなくなってしまう! 僕の行動はそんな焦りから来たものだった。

 しかし、それがよくなかった。

 ロールスクリーンを降ろしていた金髪の彼と目が合ったのだ。

「やば……」

 彼は明らかに驚いたような顔をした後、訝しげに眉を寄せて、そのままスクリーンを降ろしてしまった。もう当然、ミキさんは見えない。

 きっとあの金髪の彼は僕を不審者と見なしただろう。

 いいのだ。僕は不審者だ。何か悩み事があるのではないかと、そんな勝手な妄想をしながら、好きな人の後ろをついていく、僕はれっきとしたストーカーである。

「帰ろう……」

 しばらく落ち込んだように地面を見つめて、僕はそう零した。そして踵を返した瞬間、僕は何者かに肩をぐっと掴まれた。

「おい」

「ひっ!」

 唸るような低い声に僕の声はひっくり返る。

 後ろを振り向けば、あの金髪がいた。切れ長の鋭そうな目が見開かれ、目の割に小さな瞳が僕のことを見下ろしている。

「ガキ、どっちの客だ?」

「……ど、どっちの?」

「文具屋か、ウチか。どっちの客かって聞いとるんじゃ!」

 カッと目を見開いて、そう聞かれた。怖い。怖すぎる。もうどこからどう見てもただの不良だ。ヤンキーだ。

 肩を掴まれているにも拘わらず、胸ぐらを掴まれているような感覚になるのは何故だろう。

 答えに窮している僕をどう思ったのか、彼の眉間の皺はどんどん深くなっていく。もうそれこそ海溝のような深さだ。

 僕は慌てて彼の指していた方を見た。一つは彼の勤め先であり、ミキさんの入っていったカフェだ。もう一つは看板に横文字で『倉八文房具』と書いてある古民家である。看板の横文字が左からではなく右から書いてあるのがなんとも古めかしい。古民家の明かりはついておらず、人気もないようなので、今日は定休日か何かだろう。

 僕は肩を掴む恐ろしい彼から逃げるために震える指で『倉八文房具』の方を指さした。

「……わかった。待ってろ」

 肩を掴んでいた腕を放し、彼はカフェに戻っていく。その背中が建物の中に消えるところまで見守ってから、僕は脱力した。

 助かった。なんなんだあの迫力は。怖すぎるだろう。

 その場にしゃがみこみながら、僕は大きく息を吐いた。

 もうダメだ。今日は厄日だ。早く帰ろう。

 僕は帰宅するために立ち上がる。そして、ふと動きを止めた。

 ん、待てよ……

「『待ってろ』ってなんだ?」

 そう呟いた瞬間、また背後で人の気配がした。恐る恐る振り向くと、金髪のヤンキーがその長い指で銀色の鍵を回しながらこちらを見下ろしていた。

「ちゃんと待っとったな。行くぞ」

「へ? ど、どこに?」

「文具屋。行くんじゃろ?」

 顎で行く先を示したあと、彼はずんずんと倉八文房具の方へ向かっていく。

 この状況で「帰ります!」と言って帰れる人間がいるのなら見てみたい。僕は少なくとも、そういう勇気を持ち合わせている人間ではなかった。

 彼は振り返る。そして、動かない僕を見て「おい!」と声を荒げた。

 その迫力に僕はビクつきながら、渋々彼の背中についていった。


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