結婚式の手紙5
手紙を受けとる日。
その日はちょうど土曜日で、私は少し早起きをして四月一日さんのところへ向かった。
四月一日さんはちょうど店を開けたばかりらしく、お店のカウンターを拭きながら私を出迎えてくれた。
くりくりの二つの目が私を見て細められる。
「春香さん、こんにちは! お手紙、できていますよ」
「ありがとうございます」
私は前と同じカウンター席に腰掛ける。そして、借りていたタッパを返した。
「ありがとうございます。とても美味しかったです!」
「ふふふ、ヤコさんにも伝えておきますね。喜ぶと思います! 今日はまだ寝ているので呼んでは来られませんが……」
「大丈夫です。お礼だけ伝えてください」
「わかりました」
ヤコさんが作った苺大福を褒められたのに、彼はまるで自分のことのように嬉しそうだ。
対照的な二人だが、それ故に仲は良好なのだろう。
「それではお手紙の方ですが……」
そう言いながら彼は屈む。
そして、またカウンターの下から皮で出来たトレイを取り出した。
その上には桃色の封筒と、同じく桃色の便箋二枚。そして、桜の形の切手が置いてあった。彼はそれらを私に差し出してくる。
「切手の方は郵便で出されるご予定がない方にもサービスでお出ししているんです。切手一つで手紙の印象がすごく変わりますからね。手紙に一番合う切手を選んできました。もし郵便で出されることになったら、こちらをお使いください」
私はまじまじと切手を見る。
桜の花の形の切手には水彩の桜。白地に滲んだピンクの花が可愛らしく上品だ。裏はシールになっており、水で湿らす必要がない分、使いやすそうだった。
「よかったら手紙の中身を確かめてください」
「あ、はい……」
裏にして置かれた手紙を手に取る。
そこにはやはり四月一日さんの人柄を表すような優しい文字が並んでいた。インクは若葉を思い出させるような濃い緑色。何を使って書かれたかはわからないが、ボールペンや筆という感じではないので、恐らく万年筆だろう。
私は春らしいその手紙の文字を追う。
そうして、私は息をのんだ。
『お父さん、お母さんへ
二十六年間、育ててくれてありがとう。
無事、今日という日が迎えられることが出来たのも、お父さんとお母さんのおかげだと感謝の気持ちでいっぱいです。
私が二人の子供じゃないと聞かされた時、最初はとても戸惑いました。
信じられない気持ちでいっぱいで、悲しくて、辛くて、仕方がなかったです。
それから一年間。横道にそれかけた私を根気強く叱ってくれて、最後には泣いてくれて、本当にありがとうございました。
そして、あの時は本当にごめんなさい。反省しています。
大好きな二人にあんな顔をさせてしまったことは、今思い出しても胸が詰まる思いです。
血のつながりがなくても、どんな関係であっても。
互いに思う気持ちさえあれば、家族になれる。
これは二人が私に教えてくれたことです。
だから、私はこれからの人生を彼女と共にしっかりと歩んでいきたいと思います。
お父さんがお母さんにそうであったように、お母さんがお父さんにそうであったように。私は彼女と互いを尊敬しあえる家族になりたいと思います。
目標はお父さんとお母さんのような素敵な夫婦です。
私のことでまた二人には心配をかけてしまったと思いますが、長い目で見守ってくれると嬉しいです。
絶対に幸せになります。
春香』
「どうして……」
私は思わずそう零した。
「どうして、私が結婚する相手が女性だとわかったんですか!?」
身を乗り出すようにそう言えば、彼はさも当然とばかりに私の鞄を指さした。
「鞄の内側についているピンバッチが見えたものですから、そうではないのかと……」
なんの躊躇いもなくそう言う。その瞳には偏見や嫌悪感などは見て取れなかった。
私のカバンの内側にはLGBTを示す虹色のリボンのピンバッチがついている。外側につける勇気はないが、つけないのも隠しているようなうしろめたさを感じてしまうため鞄の内側につけていたのだ。
「すみません。なんだか、覗くような真似をしてしまって。それと、携帯電話の壁画が可愛らしい女性とのツーショットだったので、そうかなぁと……」
彼は困ったように笑いながら頭を掻いた。
そういえば先日、両親の写真を見せるために携帯電話使った。彼はきっとその時に私の携帯電話の画面を見たのだろう。
ということは、その時から『もしかして……』と思っていたのだろうか。
あんなに人畜無害な顔をして、意外なところが目聡いものだ。人は見かけによらない。
そう、私の恋人――悠は女性だ。
私は元々女性が好きというわけではなく、男性と付き合った経験もあった。
ただ、今回たまたま好きになった人が女性だったというだけなのだ。
相手が女性だというと、深い友情を恋心と勘違いしているのでは? などとよく聞かれるが、そうじゃない。私は人生を一緒に歩むパートナーとして、女性が男性を愛するように、女性である彼女を愛しただけなのだ。この気持ちは友情の延長線上ではない。
法の整備が整っていないので行政が定めるところの結婚制度は使えないが、結婚式だけでもしたいと、半年前二人で計画を立てた。
そして、悠のご両親にも、うちの両親にもきちんと挨拶に行った。
悠のご両親は元々女性しか愛せない彼女のことに理解を示していたらしく、「頑張ってね」の一言で許してくれた。いろいろ悩んだのだろうけれど、そんなことはおくびにも出さずに私たちの結婚を祝福してくれた。
しかし、私の両親は違った。
両親はこの結婚に反対した。相手である悠のことはいい人だという認識があるようなのだが、結婚式を挙げるとなると話は別なようだった。
両親の杞憂はいくつかあるのだが、最も大きい心配は、私が周りの人から希有な目で見られてしまうのではないか、ということだった。
確かに、それは私が両親の立場でも心配はするだろう。世間一般的には、私たちのような存在はやはり珍しい。
以前よりは認知もされるようになってきたし、認めてくれる層も多くなったが、それでも少数派なことには変わりがない。多数派の人は少数派の人を排除したがるものだ。
だから、私たちが恋人関係だとわかれば好奇の視線に晒されることもあるかもしれない。
しかし、そんなものは彼女と一緒にいると決めた時に、もう悩み終えている。覚悟も決まっている。
何度大丈夫だと言い聞かせても、両親は「祝福できない」の一点張り。そこには女性が女性を好きになること自体への反射的な拒絶もあったのだと思う。
特に父の方の反対は凄まじく、結婚式にも来てくれないというのだ。
母がなんとか宥めているが、未だにどうなるかわからない。
だから、私は手紙を書こうと思ったのだ。
結婚式は格式張らない人前式で、その場で両親や家族にお礼を述べることにしている。
しかし、両親が来てくれないのなら手紙でその感謝を伝えようと思ったのだ。
両親のことは大切だ。だけど、悠のことも同じぐらい大切だった。両親に反対されたからといって彼女と別れることは出来ない。
両親が望むのは世間一般的な人が言う普通の人生だ。しかし、私の『幸せ』はそれには当てはまらない。だから、私の幸せは両親にとっては『辛い』だけなのだ。
私はその手紙を胸に抱いた。
私の思いが全部詰まったその手紙は、手紙の重量以上にずしりと重たい。
大福に入っていた苺には驚いたけれど、これは比べるまでもなく、それ以上の隠し球だった。恐らくこれからの人生でこれ以上驚くことは他にないだろう。
私は唇を噛みしめる。
心配などさせたくないのに、どうして私は両親に心配ばかりかけるのだろう。
私が男性を好きになっていたら、悠が男性だったら、もしくは私が男だったら。こんなに悩むことも両親を心配させることもなかった。
たったそれだけなのだ。性別が違ったというたったそれだけの違いで、私はこんなにも悩むし、両親に心配をかけてしまう。
「ごめんなさい」
その謝罪はどこに向いていたものだったのだろうか。
心配をかけてしまっている両親にか。
それとも、少しでも貴女を好きにならなかった方がよかったと思ってしまった悠にか。
けれど、私は動けない。今更、彼女のことを嫌いになんてなれやしない。
いつの間にか俯いていた顔を上げると、そこには優しく笑う父がいた。四月一日さんがいたところに父が立っている。
どうしてこんなところにいるのだろう。どうしてそこに立っているのだろう。
しかし、そんな疑問を蹴散らすような感情が私の中から溢れた。
「心配かけてごめんなさい。二人の『幸せ』になれなくて、ごめんなさい……」
顔を覆いながらそう言えば、父は幼い頃に聞いた優しい声色を響かせる。
「いいんだよ。子供を心配するのは親の仕事なんだから……」
その親という響きに身が震えた。
しばらく泣いた後、顔を上げれば、そこには四月一日さんがいる。
私は狼狽えたように視線を彷徨わせた。
しかし、いくら探しても父の姿なんてどこにも見当たらない。
「あ、あの! さっき、父がいませんでしたか?」
「な、何のことでしょう?」
少しだけどもりながら四月一日さんはそう答える。
当然だ。こんなところに父がいるはずがない。しかし、私が先ほど見た父の姿は、幻と言ってしまうにはあまりにも鮮やかで、鮮明だった。
「変なこと言ってごめんなさい。こんなところに父がいるわけがないですよね。……まだ新幹線の中でしょうし……」
「新幹線?」
四月一日さんが不思議そうな顔をしながら首をかしげる。
「今日、会いに来るんです。悠のことでちゃんと話がしたいみたいで。今日の話し合いで結婚式に来てくれるのか来てくれないのかが決まると思います」
考えてみれば今日は一世一代の大勝負だ。さっきまではどうせ理解はされないと諦めていたが、父の幻に励まされたのか私の思考は前向きな方向へ動いていく。
私たちのことを最初から全部理解してもらおうとは思わない。抵抗だってあるだろう。だけど、私の気持ちは最低限知ってほしかった。女性と女性が結婚式を挙げるのではなく、愛し合う二人が結婚式を挙げるのだ。それをわかってほしかった。
そしてできれば両親にも式に参列して欲しい。私の幸せな姿を見てもらいたい。
大好きな人の隣で満面の笑顔を浮かべる私を。
だけど、このままではきっとうまくいかないだろう。
何か、隠し玉が欲しかった。父と母に私の精一杯の気持ちを伝えるためのなにか。大福の中の苺のような何かが……
私はそこではっと顔を上げる。そして、カウンターに手をつき、身を乗り出した。
「あ、あの! 四月一日さん!」
「な、何でしょうか?」
「この手紙、結婚式の前ですが、父に渡しても良いですか? ……この手紙を読んだら、もしかしたら結婚式をするのだって認めてくれるかも……」
その言葉に四月一日さんは目を数度瞬かせた後、頷いてくれた。
「ご自由にどうぞ」
「ありがとうございます!」
なんだかものすごい武器を手に入れたような気がする。
私は笑みを浮かべながら力強く一つ頷いた。
けれど、手紙は手紙だ。きっと最後には私が私自身の口で彼らを説得するしかないのだろう。大変かもしれないが、これはきっと私が越えなくてはならない壁なのだ。
だって、結婚をするのなら、大好きな二人にだって私は祝福されたい。
「大丈夫ですよ。子供の『幸せ』が親にとっての『幸せ』ですから。悠さんとの結婚が春香さんにとっての本当の幸せだとわかったら、ご両親だってきっと認めてくれますよ」
まるで心を読んだかのように彼はそういう。
私はそんな彼に丁寧にお礼を言って、今までで一番の笑みを浮かべた。
「なんだか、棒を一本貰ったみたいです。」
「棒? 手紙じゃなくて、棒ですか?」
「はい!」
四月一日さんが首を傾げる。
そんな彼にお礼を言って、私は代筆屋を後にした。
私の幸せには棒が一本足りなかった。
この手紙は私にとって、きっとその棒だった。
読了ありがとうございました。
次の話は6/1(金)にUPします。
よろしくお願いします。