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結婚式の手紙4

 私はサボっていた分の勉強も頑張って、国立の大学に行き、一流とまではいかないがほどほどにも良い会社にも就職もした。

 全部とまでは行かないが、それは罪滅ぼしのようなものだった。

 もう両親や祖母に心配をかけるようなことはしないでおこう。真面目に、恩を返せるように生きるんだ。もしかしたら、どこかで私を産んでくれたあの人も私を見ているかもしれない。

 車の中で泣いていた両親や妹、祖母の姿を思い出しながら、私は彼らに心配をかけるまいと生きてきた。生きてきたはずだった。なのに……


 私はそこまで話し終えて息をついた。話しているうちに昔のことを思い出していたせいか、頬には涙が伝っていた。その涙は、あの時ほどではないがやはり少し塩辛い。

 四月一日さんが渡してくれたハンカチで目元を拭い、私は手元の湯飲みを手に取る。そこには緑茶よりは少し茶色がかった液体が入っていた。湯飲みに口をつければ、ふわりと香ばしい出汁の匂いが香る。その奥には綻ぶような梅の花の香り。

 口に含めば涙よりはまろやかな塩気が感じられた。

「今日は梅昆布茶ですね」

 湯飲みをまじまじと見る私に、四月一日さんはそう言って笑った。

 梅昆布茶を飲んだことなんてあまりないのに、その味にどこか懐かしさを感じてしまうのは日本人たる所以か。それとも、出汁の香りが母の料理の味を彷彿とさせ、少しの塩気が涙の味と似ていたからだろうか。

 そう言えば、母はよく昆布で出汁を取っていた。化学調味料を使うこともあったけれど、とっておきの料理の時は必ず自前で出汁を取る人だった。

 家から出てからもう四年。しばらく母の手料理なんて食べていなかった。

 久しぶりに母の手料理が食べたい。そして、父の馬鹿げたおやじギャグも聞きたい。

「他に盛り込んで欲しい内容はありますか?」

 ちょっぴりホームシックになっていると、四月一日さんが目尻を窪ませて首を傾げた。

 私はゆるりと首を振る。

 本当は話さなくてはならないことがもう一つある。それが、私が自分で手紙を書けない理由であり、手紙自体を書くことになった理由なのだが。――私はそれを話せなかった。

 勇気が、でなかった。

「お願いします」

「かしこまりました」

 四月一日さんはおっとりと頷く。私は手元の携帯電話を鞄にしまう。画面の中では両親が肩を組みながらこちらを見ていた。

 私が椅子から立ち上がると、四月一日さんはカウンターの下を探りながら、小さなタッパと薄い和紙を出す。そして手をつけていなかった大福をその小さなタッパに入れてくれた。

「この大福、捨てるのはもったいないので、よかったら持って帰って食べてください! あ、もしかして、恋人の方と一緒に住んでいたりされますか?」

「はい。一応」

「それでは、ヤコさんに頼んでもう一個包んできますね!」

 四月一日さんはタッパを持ちいそいそと奥の部屋に入っていく。そして、もう一つ大福が足されたタッパをもって帰ってきた。

「あの、これってもしかして……」

「はい。ヤコさんが作っているんですよ。本人は『暇つぶしにやっているだけだ!』なんて言っていますけど、あれって楽しくてやっているんですよねぇ」

 私を睨みつけてきたヤンキーと、この丁寧な仕上がりの甘味はどうにも結びつかない。しかし、そんな似合わない人が似合わないものを作っている絵面というのは想像だけでもどこか笑えるもので、私は口元に笑みを浮かびながらそのタッパを受け取った。

「仕上がりは明後日になりますがよろしかったですか?」

「はい。それじゃ、このタッパもその時に返しますね」

「よろしくお願いします」

 四月一日さんは終始笑顔だった。その優しい笑みからは人の良さがにじみ出ている。彼の書く手紙はきっとその人柄によく似て、優しく誰も彼もを包み込むものになるだろう。

 しかし、きっと私はその手紙を両親に渡せない。だって、私は一番大切なことを彼に伝えられていないのだ。

 私の『幸せ』が家族の『幸せ』にならない理由を、私は彼に話していなかった。


 マンションに帰ると、いつものように恋人である悠が私の帰りを待っていてくれていた。珍しく食事を作って待っていてくれたらしく、部屋の中からはシチューの良い匂いがした。

「お帰り。どうだった、代筆屋さん」

 悠の問いに私は「いい人だったよ」とだけ返した。

 あの場所に代筆屋があることを教えてくれたのは、悠だった。結婚式の手紙が遅々として進まない私を見かねて、探してくれたらしい。

 悠の良く行っている定食屋のおじいさんが四月一日さんの代筆屋を最近利用したらしく、悠はその評判を聞き私に勧めてくれたのだ。

「そう言えば、大福を貰ったんだった。食べる?」

 持って帰ったタッパを持ち上げてそう言えば、悠は一つ頷いた。そうして、シチューの入った鍋をくるくるとかき混ぜながらふっと笑う。

「大福なんて、なんだか縁起がいいね」

「どうして?」

「大きな福。なんだか、すごくいいことが起こりそう。いい結婚式になるのかもね」

「そうかもね」

 悠の言葉に、私は笑みをこぼした。

 何事も前向きにとらえる悠のそういう姿勢が何よりも好きだった。引っ込み思案で消極的な私とは何もかも正反対。

 そういうところに沢山助けられて、そういう部分に強く惹かれた。

 本当に大福が私の幸せを連れてきてくれたらいいのに。

 悠の思考に、つられるようにそう思ってしまう。

 夕食のシチューを食べたあと、私達は大福を頬張った。

 その直後、私は口元を押さえた。白くて柔らかい求肥と甘い粒餡。ここまでは想定済みだった。しかし、更にその奥に潜んでいた隠し球に私達は目を見張った。

「これ……苺大福?」

 甘い求肥に甘い粒餡。それを引き締めるような甘酸っぱい苺。しかもそれは、歯を立てれば果汁が滴るほどの大粒で瑞々しい苺だったのだ。手作りのためか、苺を隠すためか、求肥が厚くそれらを包んでいたので全く気がつかなかった。

「これは確かに梅昆布茶が合うかも……」

 私は頬張っていた大福を飲み込んだあと、そう零した。

 苺大福は苺大福のみでも十二分に美味しい。けれど、少しだけ塩気の効いたあの梅昆布茶があったら、何度も苺大福の美味しさが味わえたのかもしれない。そう思うと、あの場で食べなかったことを少しだけ後悔した。

 あっという間に食べ終えて、私達は顔を見合わせて微笑んだ。二人とも甘いものと苺は大好きなのだ。

「なんか、思わぬ収穫だったね。ちょっとしたサプライズをしてもらった気分」

 私がそう声を弾ませれば、悠も一つ頷いた。

「もしかしたら、人を驚かせるのが得意な人たちなのかもしれないね」

「そうだね」

 人を驚かせるのが得意だなんて、なんだかお化けとか妖怪の類いのようだ。そう思った時に浮かんできた四月一日さんのシルエットは、有名なアニメ映画で見た化け狸にそっくりだった。

 ふっくらとしていて、愛嬌のある笑み。手に酒瓶を持っている映像が浮かぶのは、アニメ映画ではなく居酒屋の影響だろう。そして、濃い緑色のベストを羽織れば化け狸の完成だ。

 それが四月一日さんの正体だったら面白い。

「四月一日さんが狸なら、ヤコさんは狐?」

 思わずそう零す。

 ヤコさんの方はさほどしっくりくるわけではないが、化け狸と化け狐の代筆屋さんなんて凄く可愛くて、興味をそそられる。

 ワタヌキっていう名前だって、私の『もしかして』を凄くくすぐった。

 まぁ、実際は四月一日さんが化け狸であるはずがないのだけれど……

 なんとなく幸せな気分に浸っていると、急に携帯電話が鳴った。それはまだ実家に住んでいる妹からだった。

 私は恋人に一言断ってから電話に出る。すると、妹の弾けるような声が耳朶に響いた。

『ヤッホー! おねぇちゃん、元気にしている?』

「元気だよ。どうしたの?」

『いやぁ。お父さんとお母さんに頼まれて電話しているんだけどさぁ。おねぇちゃん明後日って暇? 午後からなんだけど……』

 私はその言葉に首を捻った。明後日は四月一日さんのところへ手紙を取りに行く約束がある。しかし、手紙は午前中に受け取りに行けば良いので、午後からならきっと何の問題もないだろう。

 私は少し間を置いて躊躇うように言った。

「午後からなら……」

『そっか! お父さんとお母さんがね、結婚式のことをもう一度話し合いたいって。んで、明後日ならそっちに行けそうだからどうかって言うんだけど……どうかな?』

 私はその言葉に小さく溜息をついた。もちろん電話口にいる菜々緒にバレないようにだ。私は気合いを入れるように大きく息を吸い込んで、先ほどよりは少し気の入った声を出す。

 どうせ、いつかは向き合わないといけない問題なのだ。

「うん、わかった。お店も用意しとくね。お父さんとお母さんによろしく伝えといて」

『はーい! 言っておくけど、私は二人の結婚に賛成だからね! 応援している!』

「ありがとう」

 そう言って電話を切った。側にある壁に身体を預けると、妹からのメッセージが届く。

『頑張れ!』

 ウサギがガッツポーズをしているイラストに思わず頬が緩んだ。

 そう、私は両親に結婚を反対されている。

 私の『幸せ』はやはり彼らの『幸せ』にはなり得ないらしい。



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