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結婚式の手紙3

 万引きをしたのは今まで一緒につるんでいた友人で、ちょくちょくそうやって万引きを繰り返しては、戦利品を私に自慢してくるような子だった。

 捕まったのは近所の本屋だった。

 一緒に談笑しながら店から出たところで女の人に声をかけられた。

「ちょっと、鞄の中身見せてもらえる? お会計していないものあるわよね?」

 逃げられないように腕を掴まれ、そう言われた。友人は観念したように鞄を開く。そこには大量の漫画が詰め込まれていた。

 私はそこではじめて彼女が万引きをしたのだと知った。

 次いで私の鞄も調べられた。もちろん私の方には何も入ってはいない。

 やさぐれ始めてから一年間、褒められるような生活は送ってこなかったけれど、万引きなどは一度もしたことがなかった。

 それは幼い頃からの父からの教えであったし、私の超えてはいけない最後の一線のような気がしていたからだ。

 何も無いが一応一緒にバックヤードに来るように言われたので、私は促されるままついていった。

 友人は震えていた。ようやくそこで自分がしていた事の重さに気がついているようだった。私も怖かった。これからどうなるかわからなかったからだ。

 本屋の薄暗いバックヤードで、友人と私は警察に引き渡された。

 私は何もしていないけれど、一緒にいたということもあって警察官に事情を聞かれることとなった。

 私は怒られることを覚悟していた。だって、友人が万引きの常習犯だとわかっていて止めなかったのは、紛れもない私の責任だ。戦利品を見せられる度に私は「すごいね」などと彼女を褒めそやしていた。

 こんなことをして大丈夫? それっていけないことなんじゃないの? そんな想いを感じていたけれど、自分の心に蓋をして、場の空気を乱さないように私は彼女を褒めそやした。それが彼女を助長したのだといわれたら、それはもう言いわけができない。

 しかし、彼らがしてきたのは、説教と言うよりは罵倒に近かった。

 警察署内の応接室のような場所で、私は男性の警察官と女性の警察官を前に縮こまっていた。

 捕まったのは夕方だったが、窓の外にはもう太陽の光は見て取れない。

 彼らは私も万引きの常習犯だと決めつけた体で会話を進めていく。「反省しているフリはやめろ」だの「知能が低い」だの「窃盗をするヤツはクズ」だなんて過激なことを言われたりもした。

 主に言葉を投げつけてくるのは男性警察官の方で、女性の方はやんわりと止めてはいたけれど、それでも、しかたがないといった感じで最終的には流されてしまった。

「人に迷惑をかけるな」

「親になんていうつもりなんだ」

「お前みたいなのがいるから世の中駄目になるんだ」

「きっとまともな人生は歩めない」

 覚えている言葉はこれくらいだろうか。

 私は何度も「私はやったことがない」と伝えたけれど、彼らは全く信用してくれなかった。二人の中で私は『たまたま今回は捕まらなかった運のよい万引き犯』で『犯罪者』なのだ。

 そう思ったらなぜか涙が出てきた。理由はよくわからない。

 必死で訴えたのに信じてもらえなかった事実が悔しいのか。目の前の警察官が怖かったのか。

 自分自身がよくわかっていない想いを言葉にできるほど、私は多弁でもなければ雄弁でもなく、ただただ無言で涙を流す私を見て、彼らはようやく事情聴取を終えてくれた。

 色んな意味で、私はきっと未熟で子供だった。

 自分が他人からどう見られていて、それがどういうリスクを生んでしまうか。その時の私にはわかっていなかったし、理解もできていなかった。

 それから今に至るまで、私は警察官が少し苦手だ。

 そもそもは私が悪いのだし、彼らは職務を全うしただけだろう。それに、警察官が皆こういう人ばかりだとは思ってない。けれど、彼らの言動は、私に苦手意識を植え付けるのには十分すぎるほどだった。

 そして、両親が呼び出された。迎えに来た二人は凄く固い表情をしていた。怒っているのか泣きそうになっているのか。感情の爆発を押さえ込むような、何かを堪えたような顔をしていた。

 両親と一緒に私は警察官に頭を下げた。そして、父の車に乗る。

 車の中はしんと静まりかえっていた。

 父は無言でハンドルを握り、母は隣でじっと固まっていた。

 車がアスファルトの道路を駆ける音が煩く感じられるぐらいの静寂で、私はどうしたら良いのかわからず、自身のつま先を穴が開くほどに見つめていた。

 車内で一言も会話を交わすことなく、私達は家に到着した。父は車のエンジンを切ると、そのまま数秒間固まっていた。私も母も父のその様子に動けないでいた。

 数十秒後、父はじっと前を見据えたままぼそりと言葉を漏らした。

「万引きをしたのか?」

 父の言葉に私は反射的に首を振った。

「してない。私、何もしてない……」

 その声が両親に届いたのかは正直わからなかった。霞のような、淡く、形のない声だった。私はじっと俯いたまま涙を頬に滑らした。

 両親に信じてもらえるかどうかわからない。あの警察官だって信じてはくれなかったのだ。私の言葉には説得力も信憑性も何も無い。

 だってそれまで取っていた私の行動が、言葉を塗りつぶす。真っ黒に、黒々に、判別もできないぐらい。

 それでも――

「……信じて」

 その言葉しか出てこなかった。

 今の私にできることはこの言葉を繰り返すことだけだったから。

 母はいつの間にか私の両手を握って、背中を撫でてくれていた。

 父の鼻を啜る音が聞こえる。

「そうだよな、そうだよな。お前はそういう子だよな」

「今日は大変だったわね。さ、ご飯を食べましょう。ななちゃんも待っているのよ」

 その時、玄関の扉が開いて、小さな影が飛び出してくる

「みんな、おかえりなさい!」

 車に飛びつくようにして、妹の菜々緒はそう言った。

「おねぇちゃん! ねぇねぇ、今日は遊んでくれる? ゲームしよう! ゲーム!!」

 車の後部座席を空けて、妹が私の腕に飛びついてくる。今年九歳になった妹はいつだって無邪気に私を求めてくれていた。

 可愛い、可愛い、私の妹。

「あれ? お父さんなんで泣いているの? お母さんも。……大丈夫?」

 不安げに眉を寄せて彼女はそう言う。

 その可愛らしい声に胸が詰まった。私は身体をくの字に曲げて嗚咽をかみ殺す。

「ごめ、んね、ごめんね……」

「痛い? おねぇちゃん痛いの?」

「うん。痛いの」

 胸元を押さえながら私はそう答えた。

 痛い。とても痛い。心臓が痛い。

 どうして、私は両親を信じられなかったんだろう。

 こんなに愛してくれているのに、信用してくれているのに。

 馬鹿みたいに反抗する私をいつだって叱って、最後まで見捨てないでくれた。これが愛情じゃないのなら、きっとこの世に愛情なんてものは存在しない。

 言葉にしなくても伝わってくる暖かい感情に私はそこからしばらく動けなくなった。


 それから私は不良をやめた。

 髪の毛を元に戻し、スカートを買い直し、門限までには家に帰るようになった。気に入らないことがあれば反抗したりもしたが、それだって以前に比べれば可愛らしいものだ。

 むしろ、端から見れば家族らしいやりとりだろう。

 見た目は前の私に戻ったが、祖母はいつ会っても「アンタは母親に似ているねぇ」なんていう。

「私ってそんなに似ているの?」

 祖母の家の縁側で、私は足をぶらつかせながらそう聞いた。祖母の家は古くからある田舎の家で、夏は涼しいが、冬もそれなりに寒い。微妙な感じの家だ。

 避暑地としてはもってこいなので、私は毎年そこで夏休みを過ごしていた。行かなかったのはグレていた去年だけである。

 祖母はぎょろっとした目をこちらに向けて、口の端を上げるだけのような笑みを見せた。

 祖母の笑顔は結構貴重だ。

 母が幼い頃に祖父は死んだらしく、祖母は女手一つで二人の女の子を育ててきた。そういった経緯もあって強くあらねばならなかったのか、祖母は勝ち気で口が悪い。

「あぁ、アンタと母親は頑固なところがそっくりだよ」

「頑固?」

「私が何度止めてもねぇ、あの子はアンタを引き取るって聞かなかったんだよ。自分たちの間に子供ができたらどうするんだって聞いたこともあったけど『血が繋がっていないだけで、私にとってはもうあの子は自分の子供だから関係ない』って言ってねぇ……」

 その言葉に私は目を瞬かせる。一瞬だけ呼吸が止まり、足の指がきゅっと縮こまった。

 そうして、胸にせり上がってきたのは暖かい感情だった。

「え、じゃぁ、おばあちゃんの言う『母親』って……?」

「あんたの母親は母親だろう?」

 そう言って、祖母は縁柄からつっかけを履いて外へ出た。

 そうして、家庭菜園用の小さな畑の草を毟り始める。

 祖母の家の敷地は広く、畑は別にもっと広いところがあったけれど、今は荒れ地になってしまっている。一昨年、祖母は腰を悪くしてしまったので、今使っている畑は猫の額のようなそこだけだった。

「夏希もねぇ、どこかで元気にしていると良いんだけど……」

 ぽつりと呟いたその言葉に、私は思わず肩を跳ねさせた。夏希というのは私の産みの親の名だ。そして、祖母の娘で、母の姉である。

「……私を産んだ人ってどんな人だったの?」

 その質問は、今までずっとしたくてできなかったものだった。生みの親に興味を持つこと自体が、祖母や両親を裏切っているような行為に思えて、不良をやめた後も聞けないでいた。

 しかし、何故かその時は聞いてしまった。

 祖母があんなに懐かしそうな顔で、産みの親のことを話すのは初めてだったからだ。

 祖母は地面に視線を落としたまま、ぽつりぽつりと零し始める。

 草を毟る手はもう止まってしまっていた。

「あの子はね。本当に人に謝ったり、頼ったりするのが苦手な子だったよ。誰に似たのか気が強くてね。小さい頃から毎日喧嘩ばかりしていたよ」

 その声は、和紙に墨汁が染みていくような、そんな重さとしめやかさを纏っていた。

「だけど、アンタを預ける時あの子は初めて私に土下座をしてねぇ。『この子をよろしくお願いします』って涙を流して……」

 その言葉に、私は自分の中の産みの親のイメージが変わっていくような心地がした。

 彼女はすごく乱暴で、自分勝手で、私の事なんてどうでも良いと思っている人なのだと思っていた。子供が出来たから産んで、いらなかったから捨てた、憎い人。

 けれど、祖母から受けるその人の印象は少し違う。

「どういう理由かわからないけれど、あの子はあの子なりにアンタを守ろうとしただんだろうねぇ。……そう思ってしまうのは、ちょっと親の欲目かね?」

 またも、にやっと祖母が笑う。今度は目尻まで窪ませて。

 その表情を見て、私は祖母の心に少しだけ触れた気がした。

 あぁ、おばあちゃんは彼女のことが、本当は大切で、大事で、心配だったのだ。

 自分の娘なのだ、当然のことだろう。腹を痛めて生んで、育み、見守ってきたのだ。そう簡単に嫌いになれるはずもない。

「私は沢山の人に愛されてたんだなぁ……」

 誰にも聞こえないようにそう零した。

 両親だって、妹だって、祖母だって、私を産んだあの人だって、私のことを愛してくれていた。きっとそう。

 私の周りに私を否定する人は誰一人として存在しなかったのだ。

 皆、私の幸せを願ってくれていた。


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