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遺書2

 その手紙に胸が躍った。まるで宝を探して冒険をする、考古学者や歴史学者のような気分だ。頭の中ではレイダースマーチが流れ始める。

 手紙が置いてあった引き出しを取り出して、私は中の着物を確かめた。白い厚手の和紙にくるまれるようにして保管されていたのは、濃い緑色の着物だった。胸元と裾からは花が溢れている。その花を縁取るように金糸が織り込まれていて、色は濃いのに何とも華やかな着物だった。

「あぁ。こんなところにあったのね」

 着物を手にする私を見下ろしながら、母はそう言った。

「おばあちゃんの一張羅。殆ど袖を通さないまま結婚しちゃったらしくてね、新品同様でしまってあったの。おねぇちゃんに着てもらいたいって、おばあちゃん常々言っていたのよ」

「そうなんだ……」

 大人っぽい緑色の着物は、十四歳の私にはまだ着こなせない。けれど、こういう落ち着いた色が着こなせられるようになったら、それはとても素敵なことのように思うのだ。成人式までには、これに見合うような素敵な大人になっていたい。

 そして、そう願われているような気もした。

 封筒を探るとやはりもう一枚便箋が入っていた。今度は手紙とお揃いの白色の便箋。


『さしせそ たちてと』


「さしすせそ たちつてと?」

「違うと思うんだけど……」

 のんびりとした弟の声に私は慌てて振り返った。彼は背後から私の手紙を覗き込んで「あー、これは……」と答えを口に出だそうとする。その瞬間、私は自身の耳を塞いだ。

「言わないで! これは私が解くの! 私への手紙なんだから!!」

「それもそうだね……」

 納得したのか、弟はそのまま踵を返した。そして、振り返ると、あまり弧を描かない唇を少しだけ引き上げて微笑んだ。

「まぁ、でも。少し元気になったみたいで、よかった」

 弟の言葉に、少しぽかんとしてしまう。そうか、私は落ち込んでいたのか。

 あんなに大好きだったおばあちゃんが亡くなったのだから。落ち込むのも、悲しむのも、当然だ。

 でも、それならばなぜ、私は泣けないのだろうか。

 私は親しい人が死んでも泣けないような、酷い子供だったのだろうか。


 結局、お葬式に来ていた親戚が夕食を食べて帰り、家が静かになっても、私はおばあちゃんの出した宝のヒントを解けないでいた。外はもう暗く、昼間降っていた粉雪はボタン雪に変わっている。この調子だと、明日の朝には積もってしまっているかもしれない。

「さしせそ たちてと。さしせそ たちてと。さしせそ たちてと」

 炬燵に足を突っ込んだまま仰向けに寝転がり、まるで呪文のようにそう繰り返す。

「『す』と『つ』が足りないのよね……」

「『す』と『つ』が消されてる……。『す』と『つ』……――あっ!!」

 私は跳ね起きた。そして、階段下の物置を開ける。

 『す』と『つ』が消されている。つまり、『す』『つ』消す。スーツケース!

 階段下の物置には真っ白なスーツケースがあった。一泊二日用の小さなやつだ。それは、前に使っていたやつが壊れたからと、少し前におばあちゃんが買ったものだった。結局二度ほどしか使わなかったそれを、私は横向きにして床に倒した。そうして、恐る恐るロック部分を手前に引いた。幸いなことに鍵はかかってない。私は生唾を飲んだ。

 気分は宝箱を開けるトレジャーハンターだ。そのときの私は考古学者で、歴史学者で、ともすれば海賊かもしれなかった。

「よしっ!」

 勢いをつけてスーツケースのふたを開ける。

 そこにあったのは金銀財宝や水晶の髑髏などではなく、数冊の本だった。正方形の厚い表紙に中身も厚い紙が数枚。

「これってアルバム?」

 開くと、少し褪せた写真が私を迎えてくれた。最初の方には知らない子供。それがページを捲るたびに、だんだんと私の知っている『お母さん』になっていく。幼い頃を抜け、今の私と同じぐらいの年齢になり、大人と子供の間を越えて、大人になる。そして、最後のページには結婚した両親の写真。両隣にはそれぞれの両親がいた。私の祖父母たちだ。

「お母さんもお父さんも、若いっ! おばあちゃんも! おじいちゃんもいる!」

 知った顔が並んでいるのに、まるで知らない人に出会ったかのような新鮮さがそこにはあった。私が知らないおばあちゃん。今よりは少し細くて、皴も少なかった。泣いたのか、目の端が少し赤らんでいる。

「結婚式で泣いちゃったのかな。私のときも泣いて……あ……」

 おばあちゃんはもういないのだ。私の結婚式で「大きくなったねぇ」とハンカチで目元を拭う彼女はもういない。

 少し寂しくなって、私はそのアルバムを閉じた。そして、二冊目を開ける。

 二冊目にはおじいちゃんとおばあちゃんの写真。二人はよく旅行に行っていたようで、いろいろな場所を背景に、おじいちゃんとおばあちゃんが代わる代わる映っていた。誰かに頼んで撮ってもらったのだろう。十枚に一枚ぐらいは二人で撮った写真があって、おばあちゃんはおじいちゃんに身を寄せながら、優しい笑みを浮かべていた。

「旅行、好きだったもんね」

 おじいちゃんが死んでからはあまり頻繁に行かなくなったけれど、昔はそれこそ毎月のように二人は旅行に出かけていた。日本地図を用意し、行った地域には色を付けて、いつか全部埋めるのだと二人で息巻いていた。キャンピングカーを買って、そこで寝泊まりしながら日本一周もいいね、などと笑ってもいた。

「日本一周、させてあげたかったな……」

 最後のページに挟んであった日本地図は、八割程度しか埋まっていなかった。

 三冊目を開く。そこには両親に抱かれる小さな子どもたちの姿。

「これ、私たちかな」

 心臓が一つ脈打って、口元が緩んだ。おばあちゃんが私たちの写真を取っていてくれていたことが純粋にうれしかった。私は胸を高鳴らせながらページを捲る。

 そこには様々な私たちがいた。父の腕にぶら下がり、庭に置いたプールで水浴びをし、買ったばかりのランドセルを自慢している私たちの姿が。お花見ではしゃぎ、アツアツの焼き芋を頬張り、初めてのジェットコースターで大泣きをしている。

 そんな懐かしい思い出の写真を見ながら、私はふとあることに気が付いた。

「おばあちゃん、写ってないな……」

 今ではあまり見かけないインスタントカメラを片手に、私たちを撮っていたことはよく覚えている。けれど、おばあちゃんは撮るばかりで全く写ろうとはしなかった。おじいちゃんとあんなに写真を撮っていたのだから、写真が嫌いということはないだろう。

 あんなに一緒にいたのに、一緒に写った写真がないだなんて。そんなことはないはずだ。

 私はページを捲りながら、おばあちゃんの姿を探す。

 他のアルバムの中も確認するが、一緒に写った写真は一向に見つからない。

 私は諦めたようにスーツケースの隅に置いてあった封筒を手にする。きっとこれが次の宝のヒントだろう。


『ふーちゃんへ

 またまた発見できましたね! すごい!

 次の宝物は見つけられるかな?

 難しいけれど、頑張ってね。

            おばあちゃんより』


 封筒を覗くと、先ほど取り出した便箋の他に、写真が一枚入っていた。私はため息をつきながらその写真を取り出す。そして、息をつめた。

「あっ! ――あった!!」

 その写真には私と弟。そしておじいちゃんとおばあちゃんの四人が写っていた。弟はおじいちゃんに抱かれ、私はおばあちゃんに抱かれている。

 やっと見つけたその写真を、私は抱きしめた。おばあちゃんが私のおばあちゃんであった証拠が見つかったような気がして、胸がぎゅうっと締め付けられた。

 その写真の裏にはおばあちゃんからのメッセージ。

『この場所、覚えているかな?』

「この場所って……」

 四人の背景にあったのは古民家と喫茶店のような建物。古民家の方はまるでモノクロの世界から飛び出してきたかのように瓦も柱も真っ黒だった。壁だけが浮き出るように白くて、目に焼き付くようだ。掲げられている看板には何かが書いてあるようだったが、おじいちゃんの頭に隠れてよく見えなかった。

 喫茶店の方には看板は掛けられていなかった。こちらは白が基調の建物で、一階部分の道路に面しているところには大きな窓ガラスがはめ込まれていた。建物の周りにも背の低い緑が埋め込まれていて、今どきのお洒落な喫茶店といった感じである。

「こんな場所って、あったっけ?」

 写真に写っている私を見る限り、十年ぐらいは前の写真だろう。まだ東京に住んでいて、広島には遊びに来ていたころだ。

「でも、きっと次はここに行けってことよね!」

 次はどんなお宝があるのだろう。どんな手紙があるのだろう。そう思うだけで、ワクワクした。

 今の私は、まるでおばあちゃんの描いた物語の主人公みたいだ。亡くなった祖母が遺した宝の地図をもとに、この世に隠された伝説の宝を求め、彷徨う冒険者。ありきたりだが、胸躍るストーリーである。

「もしかしたら、これが最後の物語なのかな……」

 おばあちゃんが遺してくれた最後の童話。それは私を主人公とした冒険活劇。活劇の方が今後あるかはわからないけれど、すごくいい物語になりそうな予感がした。

「楽しんでも、いいよね」

 おばあちゃんが亡くなったばかりだというのに不謹慎すぎる。そうも思ったが、彼女が最期に遺してくれた物語だ。楽しまなくては失礼だろう。それに、この物語がどういう最後を迎えるのかも気になるところだった。


 その日は、祖母から貰った手紙と、見つけた宝物たちを傍らに置いて寝た。抱きしめた手紙からはおばあちゃんが使っていた撫子のコロンの香りがして、安心して眠ることができた。


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