履歴書6
一週間後、私の頭はすっきりとしていた。中身も外見も。
私は腰まで伸ばしていた髪の毛をバッサリと切って、ショートカットにしていた。私の髪に、最初にはさみを入れたのは友樹くんで、整えてくれたのは行きつけの美容師さん。
短くなった髪の毛に心まで軽くなったような気がして、私はまるで跳ねるように歩道を歩く。その後ろには微妙な顔の友樹くん。彼の手には先ほど私が渡した花柄の封筒が握られていた。
あれは彼から貰ったラブレターに対する返事だ。
私なりに誠実に思ったことを綴った手紙は、渡すなりその場で読まれてしまった。家に帰って読んでほしいと言ったのに。
なんというか、そういう我慢ができない辺りとかが、ひたすらに若い。正直に言えば、少しだけ可愛いと思ってしまった。
「ここまで期待させておいて、お友達から始めましょうとか、正直ない」
「何か言った?」
「……何も」
本当は全部聞こえていたけれど、私はあえて聞こえないふりをした。正直、一週間たった今でも現実味がないのだ。心はほとんど決まっているのだけれど、もう少しだけ時間が欲しい。考えさせてほしい。悩ませてほしい。
なんだか垂らされた餌にすぐに食いつくみたいな、はしたないというか、考え無しの答えは出したくなかった。まぁ、どれだけ時間を置こうが、結果は多分変わらないのだろうけれど……
そうして、二人で歩いていると、不意に彼が道の先を指さした。
「美姫さん、あの雑貨屋好きだったよね? テタール、だっけ?」
その雑貨屋が視界に入った瞬間、私の身体は強張った。
正直、今は近づきたくない。あの店に飯田くんがいる可能性があるからだ。持ち上がった気分を、また一気に落とされてしまうかもしれない。
というか、会うだけで気分が落ちる可能性がある。
「行く?」
しかし、友樹くんの言葉に私はゆっくりと頷いた。
本当は行きたくない。飯田くんにも会いたくない。けれど、私はあの雑貨屋が大好きなのだ。苦手な人がいるからと、好きなものを諦めたくない。譲りたくない。それに今、私は一人ではないのだ。
テタールの白い扉を開けた瞬間、私は品物を整理していた飯田くんと目が合った。
いきなり出くわした大ボスに私は息を止めた。飯田君の方も驚いた顔でこちらを見たまま固まっている。
「さ、斉藤……?」
「あ、あの! この前のバレッタあるかな⁉ 水色のリボンのやつ!」
「あぁ、あるぞ! これだろ?」
飯田くんの方も緊張しているようで、強張った声のまま接客してくれる。友樹くんは入り口の傍で私たちのやり取りをじっと見守っていた。
無事に会計を済ませる頃には妙な興奮も緊張も解れていて、割と落ち着いたテンションで私たちは会話をしていた。
「髪の毛切ったんだな」
「少し、気分変えたくて。バッサリいちゃった」
「そっか。それなら、このバレッタはプレゼント用か? 一応、包装とかもできるけど……」
「ううん。そのままで! ……私の、だから……」
「ふーん」
飯田くんは私とバレッタを交互に見た。そして、口元に笑みを覗かせる。にやりと。
彼の表情に、私は『きたっ!』と身を固くした。
「……いいじゃん、似合うと思うよ。ショートカットも、バレッタも」
「へ?」
「ほい。あと、これオマケな」
バレッタの入った小さな紙袋に彼は二個ほど飴玉を入れた。
「そこの奴と仲良く食べろよ」
「……ありがとう」
両手に置かれた紙袋を私は信じられない面持ちで見つめる。
飯田くんが私の知っている飯田くんじゃないみたいだ。
彼はバツが悪そうに頭を掻きながら、視線をそらした。
「あのさ。この前は悪かったな。あと、小学生の時も……。学校に来なくなったの、俺が原因だろ?」
「え? ……覚えていたの?」
私は顔を上げて目を瞬かせた。てっきり彼は、自分に都合がいいように記憶を改ざんして私に刺した棘の存在も忘れているのだとばかり思っていた。
「いや、再会したあのときもさ、実は、謝らなきゃってばかり思っていて。でも、お前に小学生のときのことを聞いたら『そうだっけ?』とか言うから、もう掘り起こさいない方がいいのかなって思ってさ。小学生のときもお前は結局俺たちのことを先生に言わず収めてくれて、優しいっていうか。許してくれたのかなぁって……だから……」
「じゃぁ、私のこと『変わってない』って言ったのは……」
「あれは! 『相変わらず、優しいんだな』って言いたくてさ! そしたら、泣きそうな顔でお前は帰るし! あーもー、失敗したってホント後悔して!!」
彼は頭を掻きむしりながら、「ぁあぁっ!」と訳のわからない奇声を上げる。
「とにかく! あの時ときは本当に悪かった! クラスを仕切っているお前が羨ましくて、嫉妬してたってのもあってさ。でも、お前が学校来なくなって、ほんと俺たち後悔して! 夏休みが終わったら謝りに行こうって話もしていて! なのに、お前は何てことない表情で戻ってくるから、謝りどきも逃しちまって……」
しょんぼりと頭を下げる彼に思わず笑みがこぼれた。
胸に刺さったとげは抜けたわけではないけれど、その言葉で幾分か小さくなっていく。
「うん、ありがとう。大丈夫! 別に怒ってないよ」
「嘘だろ。あと、お前はもうちょっと怒れよ」
「でも、怒らなくたって謝ってくれたじゃない」
「……そうだけどさ」
そのまま和やかな雰囲気で二、三言話して、私は飯田くんに背を向けた。
「また来いよな! 姉貴に内緒で少し割り引いてやるからさ!」
「うん!」
大げさに手を振る彼に私も軽く手を振って、ほくほくとした気分で店を出た。
すると、いつの間にか先に店を出ていた友樹くんが、不機嫌さを露わにした顔で私の前に立ちはだかった。そして、店から出てきた私を一瞥すると、そのままさっさと歩きだしてしまう。私は慌てて彼の後を追いかけた。
いつの間にか見上げるようになってしまった彼の顔を覗き込みながら、私は首を捻る。
「どうしたの?」
「別に」
「私、何かした?」
「何も」
「怒ってる?」
「怒ってない」
ぶっきらぼうに返事する彼を見ながら私は思考を巡らせた。
これはあれだ。彼が幼稚園のとき、見たかったアニメを私が違う番組に変えてしまって、拗ねて怒ったときとそっくりな表情だ。
「怒ってないけど……ただ、美姫さんはデリカシーがないなぁと思って」
「デリカシー? 私何かした? お買い物長かった?」
「……理由は言わない」
「なんで?」
「子供みたいだから……」
口を尖らせてそっぽを向く彼はどこからどう見ても可愛い子供だ。
私は笑いながら彼の頬をつつく。三年前と同じように。
「そうやって拗ねてる方がよっぽど子供だよ」
「――っ!! 自分に好きだって言ってきた相手と一緒にいるのに、他の男と楽しそうに話す美姫さんの方が、よっぽど人の気持ちがわかんなくて子供だと思うけど⁉」
まるで爆発するようにそう言われて、思考が止まった。
そして、彼の言葉を理解すると同時に、じわじわと体温が上がってくる。
見えないけれど、きっと私の顔も彼のように真っ赤に染まっているだろう。
視線を逸らす彼の横顔でさえも直視できない。
「なんか、ごめん……」
「いいけど、別に」
彼の袖を引きながら謝れば、突然、その手を握られた。
全身の毛が逆立つ。血が沸騰しているんじゃないかってぐらいに全身が熱くなる。
今更意識するなんて馬鹿みたいだ。手なんて何百回と繋いできているのに……
「……」
でも、そこにあったのは、大きくて、固くて、骨ばっている。男の人の手だった。
――初めて握る男の人の手だった。
「なんか、男の人だったんだね……」
「生まれたときから男だけど……」
しみじみと言ってしまったのが良くなかったのだろうか。彼は心底面白くなさそうにそう言って、そのまま私を引きずるように歩き出した。その力強さでさえも、なんだか知らない男の人のようで、ひどく落ち着かなくなった。
胸がざわざわする。
「明日、会社の面接あるんでしょ? もう帰るよ」
「うん」
たった三年。たった三年会わなかっただけで、あっという間に〝男の子〟は〝男の人〟になる。知らなかった。でも、もう、知ってしまった、
「もう、弟には見れないかもなぁ……」
彼に引きずられながら、私はそう困ったように笑った。
次が最終話です。




