結婚式の手紙2
「結婚式で両親に送る手紙を書いて欲しいんです」
躊躇いがちにそう言って、私は四月一日さんに携帯電話の画面を見せた。
そこには洞爺湖を背景に両親が仲睦まじそうに映っている。
去年、父の還暦祝いで北海道旅行に行った時の写真だ。映っているのは二人だけだが、実際には妹も合わせて家族四人で行った旅行だった。
「結婚式ですか! それは、それは、おめでとうございます!」
自分のことのように喜びながらそう言う彼に、私は「ありがとうございます」とだけ返した。視線が下がってしまったのは仕方がない。
今の私には、彼の『おめでとうございます』を真正面から受け止められない理由がある。
「結婚式の披露宴で読まれるお手紙ですか? それとも渡すだけのお手紙でしょうか?」
「披露宴はせずに結婚式だけなので、渡すだけです」
「わかりました」
四月一日さんはメモを取りながら話を聞いてくれる。
そして、視線を私の携帯電話に映っている写真に移すと、「家族旅行とは、仲の良いご家族ですね」と微笑んだ。
「そう思いますか?」
「はい、とても。年齢を積み重ねるごとに、家族揃っての旅行なんて段々と行かなくなるものですからね。親と旅行に行くのが恥ずかしくなったり、歳を重ねて忙しくなったり、機会がなくなったりと、理由は様々ですが。だから、こうやって皆さんで旅行に行かれるご家族は仲が良いと思います。……とても」
四月一日さんは染み入るようにそう言った。
その声は温かく、まるで、いつまでも浸かっていたくなるぬるま湯のようだ。
「……実は、ここに映っている両親は、私の生みの親じゃないんです」
私の言葉に四月一日さんは目を瞬かせた。
そのくりくりの瞳が『と言うと?』と説明を求めている。
最初から洗いざらい話すつもりだった私は、その瞳をきっかけにポツポツと話し始めた。
◆◇◆
今の両親は私を造った人ではない。私はいわゆる養子というやつだった。
私を養い、育み、愛し、大切にしてくれた両親だが、血のつながりという一点だけにおいて、私達は親子ではなかった。
私を産んだ人は、母の姉だった。父親はわからない。
詳しく聞いたわけではないのだが、産みの親は私を産んだあと、どこかに消えてしまったらしい。私は祖母の家に預けられ、しばらくして子供がいなかった妹夫婦――今の両親に引き取られることになった。
この時、私は一歳半。もちろん、記憶なんてものはない。
産みの親の面影も、どういう人だったのかも、私は知らないし、覚えていない。
顔だけはかろうじて写真で見たことあるが、それも学生時代のものだ。
生みの親である彼女は学生時代から行動が派手だったらしい。素行がよくないと有名なグループに所属していて、家に帰ってこないこともままにあったのだという。
私を一歳半まで育ててくれた祖母とは犬猿の仲だったらしく、いつも喧嘩ばかりしていたようだった。
言うのも聞くのも憚られるような言葉で互いを罵り、時には家に警察が来るような事態にまで事が発展したこともあったという。
そんな産みの親が祖母の家を出たのは高校二年生の夏休み。
ふらりと消えて、そのまま音沙汰なし。高校は自ら中退届けを出していた。
当時はものすごい騒ぎになったそうなのだが、彼女の残した喧嘩腰の書置きが見つかり、事態は収束した。内容は『こんな田舎に住んでいられるか。出て行ってやる!』というようなものが長ったらしく書いてあったらしい。
どうやらずっと前から彼女は上京をしたいと思っていたらしく、そのことで祖母とも揉めていたらしい。
それから八年後、二十四歳になった彼女はふらりと実家に舞い戻ってきた。
その時にはもうすでに、彼女の腕の中には生まれたての私がいたという。
祖母は私の産みの親のことをいつも悪く言っていた。
『どうしようもない子』だとか『仕方がない子』だとか『育て方を間違った』だとか……
ちなみに、祖母は私のことをことあるごとに『母親にそっくり』と形容していた。……つまりそういうことだった。
そんな複雑な家庭事情だったが、私は高校生に上がるまで脳天気に、楽しく、日々を謳歌していた。
なぜなら、私は何も知らなかったのだ。何も知らずに、ただ純粋に両親に甘えていた。祖母の突き放した態度も彼女の個性だと思っていた。
また、両親も私のことを本当の子供のように扱ってくれていたし、大切にしてくれていた。
だからそもそも、私は自分の両親が両親じゃないかもしれないと疑ってさえもいなかったのだ。
それはそうだろう。普通に楽しく暮らしていて、どのくらいの人間が、自分と両親の関係を疑うのだろう。きっと大多数の人が疑わない。疑う人もいるのだろうけれど、私はその大多数の方の人間だった。
高校一年生の誕生日。両親は急に真剣な表情で私だけを二階の部屋に呼びつけた。その部屋は両親の寝室で、妹がいるリビングからは一番遠い場所に位置していた。
リビングでは七歳も歳が離れた妹がバラエティ番組を見て大笑いをしていた。
両親は震える声で私に真実を告げた。
どんな順番で、どういう風に説明されたかはよく覚えていない。
けれど、父の放った最初の一言は、しっかりと頭に焼き付いている。
「俺たちは春香の本当の両親じゃないんだ」
最初、何を言っているのかよくわからなかった。そして次に、冗談だと思った。
父は冗談やダジャレ、いわゆるおやじギャグのようなものが好きな人で、私たち姉妹の前でよく披露しては苦笑いを誘っていた。
『椅子に座ってもいいっすか?』
『コーディネートはこーでねぇと!』
『虫は無視が一番だ!』
そんなバカげたことを言って、私たちを和ませてくれる達人だった。
だから、私は最初その言葉を真面目に受け取らなかった。「そんな冗談やめてよー!」「橋の下で拾ったなんて言うの?」と無理やり笑ったりもした。
しかし、笑っているのは私だけで、父も母も真剣な表情で口角を上げもしなかった。父の隣にいる母なんかは、俯いたまま、何かをこらえるように掌をぎゅっと握りしめていた。
私はしばらくから笑いを続け、そうしてゆっくりと声量を落とし、最後には黙った。
この時、私はようやく理解をした。彼らの言っていることが本当のことなのだと。
私の両親は本当の両親じゃないのだと。
父は確かめるようにゆっくりと、そしてはっきりと、私に再度事実を告げた。
「お前の本当の両親は俺たちじゃないんだ。冗談なんかじゃない。本当のことだ」
彼らは私が十六歳になったら事実を明かそうと前々から話し合っていたらしい。
父や母はゆっくりと生みの親のことや私たちの関係のことを説明してくれた。しかし、それらは私の頭にうまく入ってこなかった。
『本当の両親じゃない』
その言葉だけが何度も何度も頭の中を駆け巡る。
本当とは何だろう。何をもって本当だ、本当じゃない、というのだろう。
私は両親のことを〝本当〟に愛していたし、〝本当〟に信頼していた。
その〝本当〟を彼ら自身が否定する。
リビングから妹の馬鹿笑いが聞こえてくる。その声に私は顔を上げた。
「妹は? ななちゃんは、二人の本当の子供?」
その問いに両親は互いに顔を見合わせ、そして同時に首肯した。
「私だけが、……偽物?」
その呟きに両親は狼狽えたように何かを言い募っていたが、その言葉が私に届くことはなかった。
私の存在は、偽物で、嘘で、まやかしで、虚構だったのだ。
私以外が本物の家族で、私はその脇に立っていただけのただの他人だった。私だけが家族ではなく、家族ごっこをしていただけなのだ。それをまざまざと思い知った。
馬鹿みたいだった。本当に、馬鹿みたいだった。私の十六年間には家族の思い出など何一つなかったのだ。あるのは段ボールの机とおもちゃの食器を手に、おままごとをしている、たった一人の思い出だけ。
それまで信じていたものが崩れ落ちる音を聞きながら私は唇を噛みしめた。
リビングではまだ妹がテレビを見ながら楽しそうに笑っている。その笑い声がまるで自分を嘲笑しているかのように聞こえて、私は与えられていた自室に逃げ込んだ。布団を頭まで被り、その日は朝まで泣いた。
涙があんなにしょっぱく感じられたのは、後にも先にもあの時が初めてだった。
両親がどうして〝本当の両親じゃない〟なんて言葉を使ったのか、今ならわかる。彼らは他に自分たちの関係を言い表せる言葉を見つけられなかったのだ。
彼らは決して私のことを愛していないわけではなかった。けれど、思春期だった私はその言葉を離別の言葉として受け止めてしまった。
『もう私達は家族じゃない』
そう言われたような気がしたのだ。
それから私の誕生日は、独りになった記念日になった。
私はわかりやすく不良になった。髪を金髪に染め、スカートを短く切り、覚えたての化粧をして学校に行くようになった。言葉遣いも乱暴になり、家にも帰らなくなった。
友人の家に泊まり込み、校則で禁止されているバイトをし、小銭を稼いだ。友人のバイクの後ろに乗せてもらい、一晩中街中を走り回ったこともある。
そんな私を両親は叱った。何度も叱ってくれた。
しかし、その度に私は「本当の両親じゃないのに親面しないでよ!」と気炎を上げるのだ。
その言葉で大体彼らは黙る。もう何も言えないとばかりに、黙る。
そこで黙ってしまう両親に、私はまた苛々した。
私の言葉を無言で肯定する両親に苛々した。
きっとあの時、私は否定して欲しかったのだ。私達は家族なのだと。血が繋がらないだけで立派な家族なのだと。そう言って欲しかった。
私の今までの人生を、独りよがりのままごとだと言って欲しくなかったのだ。
しかし、私の願いは叶わない。
そのまま一年ほど無為で無益な不良生活を続けた。
多少理性が残っていたのか、学校にはきちんと通っていたが、登校日数もテストの点も常に留年ギリギリだった。中学生までは優等生で通っていたのに、この落ちっぷりである。
学校の先生にも呼び出されることが多くなった。
たまに、近くにある祖母の家に行けば、また「母親にそっくりになってきた」などと散々嫌みを言われた。
疲れた。もう疲れた。不良でいることに、何かに反抗し続けることに、私は疲れ切ってしまっていた。
もういい。私の人生はままごとで、ごっこ遊びだったのだ。独りよがりのしょうもない家族ごっこ。ようやく理解した。飲み込めた。
何度言葉をぶつけても彼らは否定をしてくれないし、傷つけてしまうだけだ。
私だって両親のことは大好きだし、大切にしたい。
私だけが家族じゃなくても、もういい。育ててもらった。養ってもらった。いい夢を見せてもらった。それだけで十分すぎるじゃないか。
もうこんな馬鹿なことはやめよう。
そう思い立った日、私は万引きで警察のお世話になることになった。