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履歴書2

 四月一日さんが私の履歴書を受け取った瞬間、視界の隅にとうもろこしのひげが見えた。あの金色のキラキラとしたひげだ。その金色に惹かれるように視線を移すと、とうもろこしと目が合った。

 目が、合った。

「とう、もろこし……?」

「は?」

 そこにいたのはとうもろこしではなく人だった。眉間に皺を寄せてこちらを睨む様は『とうもろこし』というより『十も殺し』といった感じである。十人どころか百人は殺してそうなぐらいに物騒な表情だ。

 彼は奥に通じる通路から顔を出している。

 とうもろこしのひげだと見間違えたその金髪はさらさらで、眉間に皺を寄せず黙っていれば、顔も恐ろしいぐらいに整っている。

 ……というか、そもそもとうもろこしの髭は金色ではない。

「とうもろこしがどうしたんじゃ?」

「いやぁ……。け、今朝食べてきたとうもろこしのご飯が美味しかったなぁって! 母が好きで、この時期は結構よくやるんです! ほら、ご飯と一緒に炊くヤツです! わかります?」

 私は冷や汗を流しながら、焦ったように早口でそう言った。馬鹿正直に「あなたをとうもろこしと間違えました」なんて、口が裂けても言えない。

 私の言葉を受けて、金髪の彼は「あぁ」とわかったような、わからないような、返事をした。そして興味がなくなったとばかりに私から視線を外す。

 どうやら十一人目の犠牲者になってしまうルートは無事に回避したらしい。

 彼はカウンターからコップを取り出すと、カウンターの奥に見える小さなキッチンの方へ行き、水道水を飲む。相当のどが渇いていたのだろうか。一気飲みだ。

「あぁ、ヤコさん。ちょうどよかった! お客さんにお茶お願いしても良いかな? あと、今日作ったヤツも!」

「ワタヌキが作ったヤツ出すんか?」

「ボクのじゃなくて、ヤコさんが作ったヤツ! ボクのは後で、自分で食べるから!」

「……食べる……?」

 そう呟いたのは私だった。なんで代筆屋に来て食べるだのなんだという話になるのだろうか。しかも話の流れ的に、その食べ物は私の前に出てくるらしい。

 ヤコさんと呼ばれた金髪の彼は、四月一日さんの言葉を受けてまた奥に引っ込んでいった。どうやら彼が本当にお茶を出すらしい。そういう小間使い的なことを文句も言わずにやるような人には見えなかったが、人は見かけによらないものである。

 先ほどの私のつぶやきが聞こえたのか、四月一日さんは私に向かってにっこりとほほ笑んだ。

「甘いものはお嫌いですか?」

「嫌いではないですけど……」

「それはよかったです! それなら是非、食べて行ってください! タイミングが良い方には、ちょっとしたお菓子もお出ししているんですよ」

「タイミング?」

「ヤコさん、ああ見えてお菓子作りが趣味なんです。だけど、二人暮らしだからなかなか消費しきれなくて……」

 四月一日さんは頬を掻きながら困ったようにそう笑う。金髪の彼の趣味がお菓子作りというのは意外だ。どちらかといえば、ギャンブルとか、バイクとか、そういうのが好きそうな見た目ではある。

「今日のお菓子は四月一日さんも作ったんですか?」

 私は先ほどのヤコさんの言葉を思い出しながらそう言った。

「そうなんです。今朝、早くに起こされて一緒に作ったんです。でも、ヤコさんのみたいに上手に膨らまなかったんですよね……」

 どうやら彼が店内でうたた寝をしていたのはそのお菓子作りが原因らしい。朝早くから一緒にお菓子作りをするだなんて、淡泊そうに見えて結構仲がいい二人である。

 そんな話を聞いていると、一体どんなお菓子が出て来るのかちょっとワクワクしてしまう。ここへ来たときは緊張と日々の就活の疲れで、結構グロッキーになってしまっていたが、彼の素朴な笑顔と優しさにだいぶ癒されている感じがする。

「そういえば、彼……ヤコさんでしたっけ? すごい顔が整っていますよね。ああいう顔に生まれたら、人生もう少し楽だったのかもなぁ……」

 相当気が抜けていたのだろうか、いつもは吐かない愚痴のような言葉まで飛び出してきてしまう。

 羨ましいのは本当だ。だけどそれを言っても仕方がないこと思っているから、普段は出さないように心掛けている。顔の造形は手術でもしないと変えることができないし、私には整形手術をするほどの勇気もお金もない。

「斉藤さんはご自分の顔に自信がないんですか?」

「まぁ、こんな顔ですからね……」

 人より持ち上がった団子鼻を掻きながらそう言えば、四月一日さんは何てことない風にニコリとほほ笑んでくれる。

「斉藤さんは可愛いらしいと思いますよ?」

「お世辞はいいですって! 人からどう見られているかぐらいはちゃんとわかっていますから」

 気にさせないように努めて明るくそう言った。四月一日さんはそんな私の言葉に食い下がることもなく、困ったように首をかしげただけだった。

 正直、こういう反応が一番ありがたいのだ。人前に出せない顔だということは私が一番よくわかっていて、だけどお世辞を言ってほしいわけでもフォローを入れてほしいわけでもない。心無い「可愛いよ!」「大丈夫だって!」「普通じゃない?」という言葉で、これ以上みじめになりたくないのだ。可愛くないことも、大丈夫じゃないことも、普通じゃないことも、私が一番わかっている。

 だから、お世辞などいらないのだ。寄って集ってフォローを入れないとダメな存在なのかと、心が荒んで腐っていってしまう。

 無関心が一番なのだ。放っておいてほしい。

 私の顔のことには触れないで、黙っていてほしい。

 四月一日さんは私の書いた履歴書にゆっくりと目を滑らせながら、何度か頷いた。

「斉藤さんは、優しくて、真面目で、几帳面で、自分に自信がない方なんですね」

「え?」

 その言葉にぎくりとした。

 自分の性格を的確に、端的に、言い表されたような気がしたからだ。

「文字を見て、なんとなくそう思いました。ここの右の払い。こういうところが短い人は控えめな方が多いんです。あと、自分に自信がなかったり、派手なことを嫌ったり。それと、ここの『目』の文字ですが、右の角をしっかり角張って書く人は真面目で厳格な人が多いです。几帳面とも言いますね。偏と旁の間隔が広い人の方がおおらかで優しい方が多いイメージです」

 四月一日さんの言葉に私は身を乗り出して自分の履歴書を覗き見た。確かに私の文字は右の払いがどことなく短く、全体的に角ばっていて、偏と旁が離れている。

「すごい! そういうの、文字占いってヤツですか?」

「占いなんてそんな大した物じゃなくて、ただの経験則ですよ。たとえば、文字自体が小さな人はよく考えてから行動する人が多くて、慎重派。文字が大きい人はおおらかだけど大雑把。よく言えば大胆な性格ですかね。はねの強い人は頑張り屋さん。弱い人は柔軟性がある人が多い。筆圧が強い人は自分に自信があり、積極的なタイプ。反対に弱い人は自信はないけど、協調性があるタイプ。……まぁ、全部ボクの勝手な想像、というか、イメージみたいな物なんですけどね」

「すごいですね……」

「文字はその人となりを顕著に表しますからね。……そして、それは何も知らない人にも無意識に伝わってしまうものです」

 そんな風に話していると奥からもう一度ヤコさんが顔を覗かせる。その手には丸いお盆が乗っていた。そうして、鼻腔をくすぐるほろ苦い香り。

 彼は私の前に、金のふちが付いている白いお皿と花柄のカップを、珈琲がこぼれない絶妙なラインで乱暴に置いた。波打つ珈琲からは、彼が顔を覗かせた時と同じ、馥郁とした香りがする。上品にもソーサー付きだ。――置き方は全く上品ではなかったけれど……

「……ん」

「あ、ありがとうございます……」

「ヤコさん! もっと丁寧に置いてってー!」

「へいへい」

 そして、白い金縁の皿にはまん丸く膨れたシュークリーム。上からまぶしてある真っ白な砂糖が、まるで季節外れの粉雪のようだ。その隣にはクッキーのようなものが可愛らしく鎮座している。シュークリームに比べると全体的にきつね色で、こちらにはザラメのような、歯ごたえのありそうな砂糖がかかっていた。

 そのクッキーのようなものを見て、四月一日さんは目を丸くさせる。

「これ、ボクの?」

「ラスクにした。捨てるのはもったいないけぇの」

 どうやら、このクッキーの原型は四月一日さんの失敗したシュー生地らしい。

 ヤコさんは四月一日さんの方にも小さな皿を置く。その中にはラスクが二枚ほど置いてあった。

「味見用」

 ぶっきらぼうにそう言って、彼はそのまま窓の方に行ってしまった。日が強いからか、彼は窓の上部につけてあった白いロールカーテンを降ろす。すると、明るかった店内は一気に暗くなり、落ち着いた雰囲気が更に増した。

 入り口の前に衝立を立てると、彼はまるで自分の役割が終わったといわんばかりにその場からいなくなってしまう。なんというか、つかめない人だ。

 私はシュークリームを手に取った。白いフワフワの生地は見た目以上に危うい。爪を立てればそこから大量のクリームが垂れてきそうなほど。重みだって見た目以上だ。これは相当クリームが詰め込まれている。

 私はシュークリームをくるくると回した。まずはクリームを入れた穴の位置を見つけなければ。頬張った瞬間に穴からクリームがこぼれるなんてもったいなさすぎる。

私は穴の位置を見つけると、そこから口を付けた。歯を立てた瞬間、薄い生地の破れ、中から濃厚なカスタードクリームが溢れてくる。トロリと口の中に広がった甘さに、私は悶絶した。バニラビーンズの香りが鼻から抜けて、まさに疲れが取れる甘さである。

「――おいしい!」

「でしょう?」

 なぜか自信満々に四月一日さんが胸を張る。

 シュークリームは一旦置いておいて、ラスクの方にも手を伸ばす。

 カリカリの表面に歯を立てれば、サク、という小気味のいい音がした。

 こちらは先ほどとはまた違った甘さだ。一つのお菓子に詰められるだけ甘さを詰め込んだ感じ。ギューギューだ。それでいて、飽きが来ないものだから、次々と口に放り込める。そして、何よりサクサクとした歯ごたえが心地よかった。舌を転がる砂糖が、背徳感を刺激する。

「明日はおやつ抜こう」

「自制心がある方は素晴らしいと思います」

 そういいながら四月一日さんもラスクを頬張っていた。

 優しい時間が流れていた。

 就活が始まってから、常に神経を張っていて、休む隙がなかった。身体は休んでいても、心はどこか焦っていて、不安が胸を押しつぶしていた。

 苦しかった。休みたかった。けれど少しでも休んだら置いていかれてしまうのではないかという焦りばかりが募って、少しも休めない。会社を落ちるたびに心は削られて、精神は見る見るうちに目減りしていった。

 だからこそこういう時間が本当にありがたかった。大切にしたいと思った。

 珈琲を飲んだときのほっとつく一息。これが欲しかったのだ。

 何も考えずに過ごす時間はもう何ヶ月ぶりだろう。

 ラスクを食べ終わり、私はもう一度シュークリームを口に運ぶ。

 そのときにふと先ほどの会話を思い出したのだ。

『斉藤さんは、優しくて、真面目で、几帳面で、自分に自信がない方なんですね』

「私の字は、そんなに自信がなさそうですか?」

 唐突に発したその言葉に四月一日さんは顔を上げた。そして、少しだけ困ったような顔つきになる。

「はい。なんというか、ご自分が嫌いなのかなぁと」

 両手の人差し指を合わせながら、申し訳なさそうに彼はそう言った。

 その言葉に私の方もなんだか申し訳ない気持ちになってくる。こんな私のために、そんな顔をしないでほしい。その可愛らしいくりくりとした黒目を俯かせないでほしい。

 そう思うのに、私の唇は勝手に言葉を吐き出していた。

「昔、不登校だった時期があるんです」

 その言葉に四月一日さんは目を瞬かせて、私は口を覆った。

 どうして、そんなことを言ってしまったのだろう。馬鹿みたいだ。

 なんで今更、心に刺さったとげをもう一度動かそうとしてしまったのだろう。動かさなければじくじくと痛むだけで済んだのに、悲鳴を上げるほどの痛みを思い出さなくても済んだのに……

「それで?」

 四月一日さんがそうやって私の話を促した。本当に話を聞くのがうまい人だ。

 もうこれでは話さざるを得ないじゃないか。

 それとも、私は聞いてほしかったのだろうか。

 どこにでもある。誰にでもある。小さいけれど深い、些細な心の傷を。


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