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履歴書1

 私は平たく言ってブスだ。

 オブラートに包んでもブス。

 率直に言ってもブス。

 私がブスという事実はこの二十二年間で嫌と言うほど思い知らされてきた。

 しかし、だからといって私は腐っているわけではない。ブスはブスなりに心は綺麗に生きてきた。背筋を伸ばして生きてきた。

 身綺麗に、太らず、ブスという見た目のハンディキャップに、何か拍車がかからないのように。顔の造形以外はそれなりに気を使って生きてきた。

 なのに、私はここへ来て一つの大きな壁にぶち当たっていた。


 カウンター席に、男性がちょこんと腰掛けていた。

 正確には“ちょこん”というよりは“どっしり”といった感じなのだろうけれど、見たイメージ的にはちょこん、である。小さな椅子に乗っかった大きな背中は丸まっていて、息を吸ったり吐いたりする度に膨らんだり、縮んだりする。それはまるで、伸び縮みする風船のよう。

 カウンター席に座る彼は、寝ているようだった。机の上に腕を組み、そこに頭を乗せている。私が店内に入った際に鳴り響いたドアベルの音にも気付いていない。

 私は大きめの封筒を抱えなおして、彼の側まで行く。そして、丸くなっている男性の顔をのぞき込んだ。やはり、彼の瞳は固く閉じられていた。

「この人が、代筆屋さん? それともお客さん?」

 そう呟きながら、私は周りを見渡した。がらんとした店内には彼以外誰もいないようだ。もしも、この寝ている彼がお客さんならば、店主が店にいないというのはおかしい。逆に彼が店主ならば、これは単なる勤務時間中のうたた寝ということになるだろう。

 私は春香さんから聞いた代筆屋の話を、もう一度思い出していた。

 代筆屋を経営している男性の名前はワタヌキさん。四月一日と書いて、ワタヌキと読むらしい。大柄なのにどこか可愛らしく、マスコットキャラクターのような見た目の男性なのだと、春香さんは言っていた。

 性格も優しくふんわりとしていて、人の良さそうな笑みを常に浮かべている人なのだという。

 性格と笑顔の辺りはまだわからないが、カウンターで寝ている彼は、確かに大柄で、どこか可愛らしい男性だ。マスコットキャラクターというよりは、ご当地のゆるキャラという方がしっくりくる感じがしないでもないが。

 なにはともあれ、どうやら彼が『四月一日さん』で間違いないらしい。

 私にここを教えてくれた春香さんというのは、私が所属するサークルのOBだ。サークルの手伝いにと、たまに顔を出してくれるうちに仲良くなった先輩の一人である。

 細い手足に、白い肌。小さな唇だけが赤く熟れていて、私なんかが隣に立ってても良いのだろうかと戸惑ってしまうぐらいに、彼女は素敵で綺麗な女性だ。見た目の良さを鼻にかけず、態度はいつも気さく。そういうところもすごく尊敬してしまう。

 そんな春香さんは前に一度、この代筆屋を利用したことがあるらしく、困っていた私にここを紹介してくれたのだ。

 私は、改めてカウンターで眠る男性を見つめた。規則正しい寝息を立てる彼の横顔はとても幸せそうだ。良い夢でも見ているのだろうか、何か寝言を呟きながら口をむにゃむにゃとさせている。腕に押しつけられたむにむにの頬は桃色で、どこか赤子のような印象を私に与えてくる。

「四月一日さん?」

 疑問形になってしまったのは、名乗られてもいないのにそう呼んでも良いのかと、少し遠慮してしまったからだ。それに、彼が『四月一日さん』じゃない可能性だってゼロではない。

 私の小さな声に四月一日さん(仮)は、すぅ。と寝息で返事をした。相当熟睡しているのか、全くといって気付く気配がない。

 私は思い切って、彼の肩を掴んで少し揺さぶった。

「四月一日さん!」

「ふぁ?」

 間抜けな声を出しながら彼は顔を上げた。そうして、私に視線を向けると、驚いた猫のように椅子から跳び上がり、距離をとった。

「わあぁぁ! ご、ごめんなさい! すみません! ボク寝ちゃってました? あぁあぁ……恥ずかしい……」

 ゆでだこのように顔を真っ赤に染めて、彼は両手で顔を覆った。かなり恥ずかしかったのだろう、耳まで真っ赤になっている。

「えっと、『四月一日』さんで良いんですよね?」

「はい、ボクが四月一日です。……ってことは、お客様ですよね? ますます恥ずかしい……」

 私が客だとわかると、彼は頬を両手で挟むようにして更に悶絶した。三十秒ほどそうしていただろうか、彼は赤い顔のまま一つ咳払いをして身を正した。

 丸まった背筋がしゃんとのびる。

 その仕草に私は頬を緩めた。小さな子供が大人の真似をして無理をしているような、そんな滑稽な可愛らしさあったからだ。

「お恥ずかしいところをお見せしました。さて、今日はどんな想いを届けましょうか?」

 彼は苦笑いを浮かべたまま優しくそう言った。


◆◇◆


「履歴書を書いて欲しいんです」

 私は受付用にと渡された紙に記入しながら、そう言った。

 そう、私がぶち当たった壁というのは、就職活動だった。

 勉強は出来ない方ではない。むしろ顔面に壮絶なハンディキャップがある分、常に頑張ってきた。学生時代に取れる資格はできるだけ取ってきたし、ボランティア活動だって、学校外の活動にだって、積極的に参加してきた。

 それもこれも、就職活動の面接で落とされないために、だ。見た目は悪いけれど、性能の良さで取ってもらおうとしたのだ。

 しかし、立ちはだかった現実は、そう甘くはなかった。

 三十。それが、私が今まで落ちた会社の数だ。

 卒業単位ギリギリで、授業にもあまり出ず、遊んでばかりいた子達にはもう内定が出ているのに、一単位も落とすことなく授業にも無遅刻無欠席で、それなりに良い成績を収めていた私は、まだ就職活動を続けていた。

 会社に「いらない」と言われ続けていた。

 なにが志望動機だ。なにが自己アピールだ。

 どんなに良いことを書こうが、資格を取ってようが、企業はブスより可愛い子が欲しいのだ。そりゃ確かに、受付に置くならば可愛い子の方が良いだろう。一緒に仕事をするのだって見た目が良い子の方がやる気だって出る。

 けれども、私はそんな見た目を補うために沢山努力をしてきた。その努力が無駄だと言わんばかりのこの結果は、少々胸を抉るものがあった。

 所詮、ブスな私は必要ないのか。

 腐りたくはないし、口に出してはいないけれど、胸の中には焦りと同時にそんなモヤモヤが広がっていた。

 そんな胸の内の声にめげることなく、私は前を向いて必死に就職活動を頑張っていた。そんな時に気がついたのだ。私はもしかして字も汚いのではないのか、と。

 丁寧に綴った字は、読めなくはないが綺麗でもない。もう何年も自分の字と付き合っていたから、そのお粗末さ加減に気がつかなかった。

 企業に送る履歴書やエントリーシートはまだまだ手書きのものが多い。パソコンで作ったものや、データで書類を出すところも多くなったが、私が受ける会社の殆どはまだ手書きの書類を必要としていた。

 それまで頑張ってきたからか、書類選考で落ちることはあまりない。しかし、それでも何社かは書類の段階で落ちてきた。数打ちゃ当たる。というわけではないが、面接に行ける会社が一つでも増えれば良いと思い、私は代筆屋を訪れたのだ。

 それに、汚い文字で書類選考を通っていたとしても、書類の段階で良い印象を持たれていないのに面接でこの顔が現れたら、面接官の皆様も『不採用』のはんこを押したくなるだろう。ぽんっ、と。

「履歴書ですね」

 氏名と住所と電話番号を記入した紙を私から受け取りながら、四月一日さんは確かめるようにそう言った。そうして、手元の紙を見ながら顎をさする。

「えっと……」

「斉藤と呼んでください。名前は好きじゃないんです。キラキラネームってわけじゃないんですけど、昔からその名前あまり好きじゃなくて……」

 彼が名前を呼ぶ気配がしたので私はとっさにそう言った。四月一日さんは一瞬だけ驚いた顔をした後、目を細め、頷いた。

「わかりました。それでは『斉藤さん』とお呼びしますね。それでは、書いて欲しい履歴書は何枚ですか?」

「三枚ほど。エントリーシートもあるんですが、良いですか? 提出する会社は一応ここになるんですが……」

 私は紙袋から会社のパンフレットを取り出して、四月一日さんに渡した。

 彼は物珍しそうに、そのパンフレットをぱらぱらと捲る。

「いやぁ、色んな会社があるものですね。ボクはこの仕事しかしたことがないので、こういうのを見るだけでも面白いです!」

「そうですか? 私はもう見るのも嫌なぐらいですよ。会社説明会で色々なパンフレット貰うんですけど、結構溜まってしまって……」

 そんな風に苦笑いを浮かべて、ふとと疑問に思った。四月一日さんはどうしてこの仕事をしているのだろうかと。代筆屋なんて珍しい仕事、求人情報誌やネットにも載っていなければ、ハローワークにもなかなか登録されていないだろう。そもそも、彼は誰かに雇用されているという感じではなく、完全に個人事業主といった感じの体だ。つまり、自分で選んで、代筆屋を開業したということになる。

「四月一日さんは、どうして代筆屋に?」

 気がつけば、私はそう質問してしまっていた。

 私の疑問に、彼は昔を懐かしむように少し俯きながら、カウンターを撫でた。

「この代筆屋は先代から受け継いだものなので、元々はボクのものではないんですよ。何度かリフォームをしたのでもう原型はあまり留めていませんが、元々は古い日本家屋で……」

「先代ってことは、ご両親が代筆屋を?」

 私の問いに。四月一日さんは首を横に振った。

「先代は両親ではなく、師匠です。何も知らなかったボクに文字や代筆屋に必要なあれこれを教えてくれた人なんです。師匠は結構前に亡くなってしまったんですが、亡くなる直前、ボクにこの代筆屋を引き継いでほしいと、そう言われまして。師匠には恩がたくさんありましたし、ボクもこの仕事が好きだったので引き継ぐことにしたんです」

「恩ですか?」

「はい。実は昔、お恥ずかしながら罠にかかったことがありまして……」

「罠……?」

「筆の材料にされそうだったのを助けてくれたのが師匠だったんです! もうあの時は今思い出しても九死に一生でした! ヤコさんもボクが捕まったばかりに人間嫌いになっちゃって……。今はそうでもないんですよ! でも、昔は本当に酷くて……って、こんなことを話している場合じゃないですね! さぁ! お仕事、お仕事!」

 理解が追いつかないまま、明るい声に流されてしまう。

 四月一日さんは私が持ってきた書類をいそいそと確認し始めた。どうやら昔話はこれでおしまいらしい。

「罠ってなに? 筆の材料? 四月一日さんが、筆の材料……?」

「斉藤さん」

「あ、はい!?」

 下を向いてぶつくさ言っていると、四月一日さんが突然、私の肩を叩いた。

「志望動機や自己アピールの欄はどうしましょうか? お話を窺って僕が書くことも出来ますし、こう書いて欲しい、というのがあるようでしたらその通りに書きますよ」

「あぁ、それは。一応、書いてきたひな形があって、これに沿って書いてもらえれば嬉しいんですが……」

「それじゃ、そちらもお預かりしますね」

 先ほどの昔話が整理できないまま、どんどん話は進んでいく。

 あれはおそらく冗談だ。冗談でなければ何かの聞き違いだ。そうは思うのに、なぜか私はその話が気になって仕方がなかった。

 ――聞き返す勇気は出ないのだけれど……


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