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進学祝いの手紙5

 その日の客入りも上々だった。昼ごろ頃になるとやはり、食堂の前には何人か順番を待つ客も現れだす。俺はできるだけ客を待たせないようにと、額に汗を浮かべながら客をさばいた。

 そして、客の出入りが少なくなった夕方。彼らはやってきた。

 あの三人組の高校生だ。一昨日、失礼な態度をとった客に対して最初に声を上げた青年を含むあの三人組。学校の帰りに寄ったのだろう彼らは、夕食の前にとうどんを頼んだ。

 さすが育ち盛りの高校生だ。食べる量が違う。

 俺がうどんを作っている間、彼らは楽しそうに話していた。話題は学校でのことで、先日のテストが良かっただの悪かっただの、そんな事ばかりを話していた。

 彼らはお互いのことをショウ、ヨシ、ユウ、と呼び合っていた。

 ちなみに、一昨日最初に声を上げた青年がショウで、メガネのおとなしそうな彼がヨシ、ニヤニヤとよくわからない笑顔を浮かべているのがユウだそうだ。

 俺はカウンターにうどんを置く。そして、それぞれのトレイにもう一皿付け足した。

「おい! 出来たぞ!」

 そう声を上げると三人がそれぞれふざけ合いながらうどんを取りに来る。そして、トレイに乗ったうどんの以外の皿を見つけて、目を丸くした。

「トシちゃん、これは?」

 ユウが小皿を指しながら首をかしげる。

 そこには昨日ヤコさんから貰った芋ようかんがあった。もちろん表面は焼いてある。

 ユウ以外の二人はそのようかんを見ながら目を輝かせた。

「そこの黒いのが、一昨日、俺の代わりに怒ってくれただろう? その礼と詫びだ」

 黒いの、と言ったのはショウのことだった。彼の肌はスポーツをしていたためいるからかこんがりと焼けている。もう十二月が来るというのに、三人の中で彼だけはまだ真夏のような雰囲気だ。

「芋ようかん、食ったことあるか? 貰いものなんだがな。今はお前たちしかいないから特別だ。他には言うなよ」

 貰った芋ようかんは十切ほどあった。十切など一人で食べられる量ではないし、あまり日持ちがするものでもないので、彼らが来たらそっとつけてやろうと朝から思っていたのだ。

 俺の言葉に三人は笑顔のまま頷いた。

「オレ、芋好きなんだー!」

「ぼ、僕も好き!」

「芋は好きだけど、和菓子はちょっと苦手だなぁ」

 ショウ、ヨシ、ユウの順にそう言いながら、彼らはトレイを自分の席へと持っていく。

「ユウ、じゃぁ、お前の芋ようかんよこせよ!」

「『よこせよ』とか言われるとあげたくなくなるよね。まぁ、最初からあげる気なんてないんだけど」

「お前なぁ」

「二人とも喧嘩しないでね!」

 そんな会話が微笑ましい。

 俺は残っていた皿洗いに取り掛かりながら、彼らの様子を目の端に止めていた。

 それにしても、あの芋ようかんの味は、妻が作ったものにそっくりだった。妻が死んだのが二十年前。食堂に並んでいたのもそのぐらいの時期までだ。

「もしかして、あの二人はその頃に来たのか?」

 二十年以上前ということは、四月一日さんは十代半ば、ヤコさんは十代にも満たないときだろう。四月一日さんだけならありえなくもないが、ヤコさんは無理だろう。さすがにそんな子供が来たら覚えている。忘れもしない。

 それなら、本当にいつ来たのだろう。いつ彼は妻の芋ようかんの味を知ったのだろう。

それとも、これはただの偶然の産物なのだろうか。

 そんな考えを巡らせていると、からからからと食堂の扉が開き、新しい客が顔を覗かせた。

「トシちゃんさん、こんにちは!」

 弾むような声でそう言いながら暖簾をくぐってきたのは、おかっぱ頭の女子高生だった。その隣には、顔は似ているが表情は真逆の男子高校生がいる。

 見るからに双子といった感じの彼らにも、俺は見覚えがあった。

「あぁ、あんたらはこないだ四月一日さんたちと一緒にいた」

「安部文音っていいます」

 敬礼をしながらそう自己紹介をする。何ともはきはきとした明るい子だ。

 隣の片割れは、そんな彼女とは打って変わって静かに佇んでいるだけだった。

「ほら、信二も自己紹介!」

「なんで?」

「なんでって、挨拶は人間関係の基本でしょう?」

 そう小突かれて、彼は本当に嫌そうにため息をついた。そして、消え入りそうな声で「弟の信二です」と呟いた。

 なん案とも対照的な姉弟だ。姉の方に陽という字を当てはめたならば、弟の方は陰という字が当てはまる。そんな感じだ。

「今日は何にする?」

 入り口で突っ立っている彼らにそう声をかければ、姉の方が顎を撫でながら困ったような声を出した。

「今日はご飯を食べに来たのもあるんですけど、実は探しものがありまして……」

「姉さん。それ、言ってもいいの?」

「え、ダメだったかな⁉」

「知らないよ」

「……探し物?」

 姉弟の会話に、彼らが何か忘れて帰ったのかと心配になる。しかし、あの日は何も落し物はなかったはずだ。

 一応、念とためにと奥に置いてある落とし物箱を探る。ここには客が落とした様々なものが入っているのだ。キーホルダーやピアスの片割れ、自転車のカギやペン。箱の中に入っているものはそんな感じのものばかりだ。

「あ、大丈夫ですよ。ものはものでも、ものではないので」

 箱の中をまさぐっていると、弟の信二くんの方が俺の方を見ながら首を振った。

 ものはものでも、ものではない? なんだそれは。

 彼の発言に疑問符ばかりが浮かんでくる。

 一方の文音さんは辺りを見渡し、仲良く食事をする三人組を見つけて、目を見開いた。

「あー!!!!」

「姉さん煩い」

「だって、ほら! 見て!!」

「……本当だ」

 指をさす文音さんに、信二くんも納得といった感じで頷いた。

どうやら先ほどのは『ものはものでも、()ではない』というのが正確らしい。つまり彼らが捜していたのは()ではなく()だったということだ。

 あまりの騒ぎに、うどんを食べていた三人も双子の姉弟見ながら固まっていた。

「あ、あの! このあと後ちょっと時間いいですか?」

「別にいいけど……」

 そう答えたのはショウだ。ヨシもユウも同意するように頷く。

 そうしてよくわからないまま、双子はあの三人組を連れて帰って行ってしまった。


◆◇◆


 そうして、約束の日。俺は朝から代筆屋に赴いていた。

 三日も待たせたのだから、さぞいい手紙が出来上がっているに違いない。俺は少しだけ浮ついた気分で代筆屋の扉を開けた。

「あ、こんにちは! お待ちしていましたよ!」

 明るい声を出しながら四月一日さんは奥から出てくる。そんな彼に借りていたプラスチックの容器と風呂敷を返しながら、俺は「手紙は?」と口早に聞いてしまった。

 どうにも気持ちが逸り過ぎているような気がする。

 俺のそんな失礼な態度にも彼はにこやかに笑ってカウンターの奥から手紙を差し出してきた。

「どうぞ。よかったら中身を確かめてください」

 手渡された白い封筒には、祝い事を表すかのように棚引くリボンと小さな花が浮き出ていた。封筒も同様。それは俺が想像した手紙のイメージにぴったりだった。

 しかし、ぴったりだったのもここまで。俺は彼が書いた手紙を読んで、思わず眉間に皴を寄せた。


『かっちゃんへ、

 大学進学おめでとう。

 こんな早い時期に進学先が決まるということは、普段から勉強を頑張っていたということでしょうね。すごいことです、お疲れさま。

 これから入学までは、少しだけ肩の力を抜いて、今までできなかった分までゆるりと過ごしてください。

 愛息の進学ということで、両親の喜びもひとしおでしょう。

 大学に入り、いろいろ生活は変わるかと思います。

 これからも勉学に励み、立派な大人になってください。

 最後に、手紙と一緒に図書カードも送っておきます。

 このカードで好きな本でも買ってください。

 学校では勉強に励み、そして素敵な大人になってください。

 最後に、お母さんの言うことをよく聞いて、いい子に過ごすこと。

 本当におめでとう!

                        おじいちゃんより』


 どういうことだ。

 それがこの手紙を読んだときに最初に抱いた感想だった。俺は彼に〝五歳の孫が読めるようにひらがなで〟書くように頼んだはずだった。なのに、出来上がった手紙は普通の手紙だった。さらに言えば、これは俺が書いた文章とは程遠い俺が書いた原文をそのまま綺麗に書き写しただけ。

 内容を変えてもいいとは言ったが、これでは私の書いた文章などどこにも残っていないじゃないか。そもそもなんだ、『大学』というのは! 相手は来年小学生になるんだぞ⁉


「約束が違うぞ」

 声色を低くして俺がそう言うと、四月一日さんは涼しい顔で「そうですか?」と首を傾げた。

「ボクは寿和さんのお孫さんに適したが読めるような手紙を書いたつもりですよ」

「こんなの、五歳児が読めるわけがないだろうが!」

 思わず声を荒げてしまう。怒鳴りはしなかったが、明らかに機嫌が悪いのが伝わる声だった。

「寿和さん。娘さんから来たとされる手紙をもう一度見せていただいてもよろしいですか?」

 その声に俺はセカンドバックから手紙を取り出すと、彼に手渡した。そして、封筒の中の写真を取り出すと、写真の右端を押さえて「ここ見えますか?」と写真を俺に近づけた。

 俺は目を凝らしながらその部分を見る。そこには微かにオレンジ色の文字のようなものが書いてあった。しかし、ぼやけていて上手く見えない。

 数分間の格闘の後、俺はようやくそこに何が書いてある文字を判別することができた。

「2006年5月5日?」

「はい。つまり、これは十二年前の子供の日の写真になるんです」

「つまり?」

「つまり、お孫さんの年齢は十七、十八歳ぐらいでしょうね。あくまで写真の中の彼が五歳程度と仮定して、ですが」

 その言葉に口があんぐりと空いた。今まで五歳と思っていた孫が十七歳か十八歳。

 それは予想だにしない事実だった。

「これぐらいの年齢で進学と書くということは、おそらくお孫さんは高校生。進学というのは大学や専門学校ということでしょうね。そして、この時期に進学が決まるということは指定校推薦での入学。お孫さんはとても頑張り屋さんな子のようですね」

 四月一日さんの話していることが本当なら、確かにあの手紙にも納得がいく。彼は十七歳の青年に向けたが読めるような手紙を書いてくれたのだ。それはもう、ああいう手紙になる。

 しかし、それとは別にわからないことがあった。

「なんで、娘は十二年前の写真を手紙の中に入れたんだ? これは俺じゃなくても誤解するぞ!」

「それはきっと今の顔を知られるのがまずかったからでしょう。つまり、彼は寿和さんの近くにいる人物です」

「近くに⁉」

 俺がひっくり返った声を出すと、四月一日さんは微笑みながらさも、当たり前かのように一つ頷いた。

「はい。彼は自分の顔がばれるのは避けたいけれど、自分という存在は知ってもらいたい。直接声をかけるのは怖いけれど、手紙なら……。そう思ったのでしょう。手紙に十二年前の写真を同封したのは、自分を見つけてもらいたいという気持ちもあったのかもしれません」

 彼の言い方はまるで、手紙の送り主はその孫だと言っているようだった。

「……それじゃ、これは娘が書いたものじゃないのか?」

「恐らくそうでしょうね。娘さんの年齢を教えていただいても?」

「舞弓は今年で……四十になる」

 俺は指を折りながら娘の年齢を数えてそう答えた。

 そして、ある事実に気が付く。

 子供を産む年齢がだんだんと遅くなっている昨今、五歳の子供を持つ娘が四十歳ということに、俺は何の疑問も持たなかった。四十歳の五年前。三十五歳での出産。今考えても、「少し遅いかな」と思う程度で、何の疑問も抱かない。もっとおそく出産する人だっているだろう。

 だけどそうか。彼女の年齢なら十七歳の子供がいてもおかしくない計算になるのか。

 二十三歳で出産すれば、四十歳。

 彼女が家から出て行ったのが十八年前の二十二歳。その時ときにもう身籠っていたか、その直後に子供ができたとすれば辻褄は合う。

「十七、八歳の子供さんを持つ人の字にしては、この筆跡はどうにも子供らしいですからね。それで気が付きました」

 彼は手紙の文字を撫でながらそう目を細めた。

 確かに筆跡にはある程度年齢がにじみ出るものだ。俺も確かにこの文字を見て『拙い』なんて感想を持ったのだから、そういう感覚はわからなくもない。

 大体、直筆なのだから筆跡を見たら娘なのかそうじゃないかなどわかりそうなものだが、十八年前から会っていない娘の筆跡を俺は覚えていなかった。

 しかし、普通はこれだけの手がかりからこんなに多くの情報は引き出せない。

「まぁ、ただの想像なんですけどね」

 そう言って彼は頬を掻くが、想像というには辻褄が合い過ぎている。想像というよりは、推理という言葉の方がしっくりくるぐらいだ。

 俺は情報を整理する。十七、十八歳前後で、もしかしたら俺が顔を覚えているかもしれない人物。

 正直心当たりがない。

 そんな時とき、店の外から何やら騒がしい声が聞こえてきた。あの甲高い声は聞き覚えがある。彼女の似ている少し低い淡々としたあの声も。

「もういい加減覚悟を決めましょう! 男の子なんですから!」

「こういうものに男も女も関係ないと思うけど……」

「もー! 信二は黙っていて!」

「ちょ、ちょっと引っ張らないでください!!」

 そして、あまり聞いたことがない声が一つ。いや、聞いたことがないというよりは、聞いたことはあるけれど、あまり印象に残ってない声だ。

 俺が代筆屋に入るなり四月一日さんが窓のロールスクリーンを下げ、入り口には衝立をしてしまったので、入り口で騒いでいる人物は全く見えない。シルエットだけだ。

 その騒々しい声に、部屋の奥にいたヤコさんも顔を覗かせる。そして、状況を確かめると、面倒くさそうに頭を掻いた。彼は衝立をどかし、ガラスの扉を開ける。

 すると、予想していた人物と、予想だにしない人物がそこにいた。

「われら、何しとんじゃ?」

 目を眇めながら、ヤコさんは三人を見下ろす。安部姉弟は彼のそんな射殺すような視線など屁でもないようだったが、一人だけ怯えたように身を震わせる子供がいた。

「あ、あの」

 黒い髪の毛に黒縁眼鏡。オドオドとしたその態度はいつもと変わらない。

 彼は、あの高校生三人組のヨシと呼ばれていた男の子だった。

 ヨシは店内を見渡したあと、俺の顔を見て更にブルリと震えた。そして、観念したかのように頭を下げた。

「初めまして! 孫です!!」

 その唐突な自己紹介に俺はしばらく固まって、思わず腰を抜かした。


 四月一日さんの想像もとい推理は、ほとんど合っていたらしい。

 ヨシが俺の食堂を見つけたのは中学生のころ頃、パソコンの口コミサイトにウチの食堂と俺が映っていたことがきっかけだったそうだ。娘には俺のことをいくらか聞いていたようで、ネットの写真を見せれば、「そうよ。この人が貴方のお爺ちゃんよ」とあっさり暴露したらしい。だから彼は娘たちの反対を押し切り、こっちで一人暮らしを始めたというのだ。たまたま志望していた学部が、近くの高校にあったことも決め手になったらしい。

 そうして、近くに住み始めたのはいいものの、どうやって声をかければいいのかわからないまま一年がたち、二年がたち、気が付けばただの常連のまま三年が経っていたそうなのだ。

 そして無事大学進学が決まり、最後に勇気を振り絞って俺に手紙を書いたということだった。らしい。

 娘名義で……

「す、すみません。こんなことをして」

「いや、別に謝ることじゃないんだが……」

 ぺこぺこと頭を下げる様子は、娘をくださいと何度か挨拶に来たあの男とそっくりだ。顔の作りだって、よく見れば写真の孫と瓜二つである。

 そして、安部姉弟は四月一日さんに頼まれて、俺の周りにいるはずの孫を探してくれていたらしい。

『左の目元に黒子がある子が、やまのべ食堂の常連でいたら教えてほしいな』

 彼はそう言って安部姉弟に頼んだらしかった。

 つまり手紙を書くのに必要だと言っていた三日間は、実は彼を探すのに必要な三日間だったというのだ。

 手紙の中で『大学』と書いてあったのは、うちの食堂にある高校が進学校で、彼らのほとんどが専門学校ではなく大学に進学するから、だったらしい。

 ちなみに、その推理も合っていた。

 ヨシは来年の四月から東京の大学に通うことになるというのだ。

 俺はヨシから娘の近況やどんな生活をしているのかを聞く。

 彼の話の中での娘は、やはり手紙通りにそれなりに上手くやっているらしかった。

「母に会いに来ませんか?」

 彼にそう言われて、戸惑った。もう十八年もお互いに連絡を取っていなかったのだ。今更どんな顔で会えばいいのかわからない。

 渋る俺に、彼はメモ帳に自分自身の名前を書いて見せてきた。

「僕は吉田勝寿(よしだかつひさ)って言うんです。貴方から一字貰ったのだと母から聞きました! きっと、母も貴方に会いたがっていると思うんです!!」

 勝寿に寿和。確かに彼は俺から一字引き継いでいた。

 その事実に胸がじんと熱くなる。離れている間も繋がっていたのだと思えることがうれしかった。

「母は頑固者なので、出て行った手前、自分からは会いに行けないんだと思います。だから……」

 俯いた彼の頭を俺は優しくなでる。

 確かにこの喧嘩は俺が始めた喧嘩だ。ならば謝るのも俺からしなければならないだろう。それに、俺だって本当に悪いと思っているのだ。こじれてしまった関係をやり直せるならやり直したい。


 四月一日さんは俺たち二人を眼前に見据えて、咳払いをし、て仕切り直した。

「さて、今回の手紙なのですが、山野辺さんのご依頼通りに書けなくて申し訳ありませんでした。お時間とお手間は取らせるとは思うのですが、もしよろしかったら書き直してもよろしいでしょうか?」

 俺はそんな彼を鼻で笑う。

 最初から彼はきっとこれが目的だったのだ。

 おっとりとしているが、とんだ狸野郎である。

「それじゃ、頼もうか! 送り先は娘に。謝罪と再会を希望する手紙を書いてくれないか?」

「かしこまりました」

 おっとりと微笑む彼は本当に狸のようだった。


 私は手紙を頼み、ヨシと一緒に代筆屋を後にする。

 今日の夕飯は彼と一緒に食べる予定なのだ。

 しかし、ある一つの考えが頭をかすめて、俺は立ち止まり振り返った。視線の先にはだるそうに頬杖を突くヤコさんがいる。

「なぁ、またあの芋ようかん作ってくれないか? 娘にも食べさせてやりたいんだ」

「ええでぇ。あんたの奥さんの味を出すのに、結構苦労したんじゃぞ。あれ」

 そう言って彼は自慢げに笑う。

 その言葉に私は、やっぱり、と面食らった。あの味は妻の味を再現したものだったのか。

 それならどうやって、彼は妻の味を知ったのだろう。

 今の姿の二人ならいざ知らず、子供のころの二人が食堂に来たのならば、俺が覚えていないはずがない。

 まさか、彼は、彼らは、二十年前も三十年前も、今と変わらない姿だったのだろうか。

 私は質問をしようと開きかけた口を慌てて閉ざした。

 もうどうでもいい。世の中には見えなくていいものがあるのだ。

 私が見たいものは彼らが見せてくれた。だから私は彼らに目を瞑ろう。聞かなかったことしよう。十歳にも満たない彼はきっと食堂に来て妻の芋ようかんを食べたのだ。

 それでいい。

「じゃぁ、頼むぞ!」

「あぁ」

 そう言って笑った彼には、獣のような鋭い八重歯が生えていた。


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