進学祝いの手紙4
「……それで、この文面を孫にも読みやすいように書いてほしいんだ。全文ひらがなで書けば読めるとは思うんだが……」
用件を伝えた後、俺はあらかじめ用意していた直筆の手紙を彼に渡した。子供ならば読めないかもしれない俺の字だが、大人ならばある程度読むことができるだろう。俺の字は汚いといっても判別不可能な文字ではない。さらに言うなら彼は代筆屋なのだ。文字のプロというのだから、そこら辺の心配はいらないだろう。
彼は俺の手紙をしばらく眺めた後、「承りました」とにこやかな顔で頭を下げた。
「あの。もしよかったら、なのですが、娘さんから来た手紙とやらを見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「ん?」
「実際に来た手紙を読んだ方が、イメージがわきやすいんです。今回は寿和さんが文面を考えてくださっているので、必要はないかなとも思ったのですが、それでも文字の雰囲気とか筆選びとかにもかかわってくるものですし。差し支えなければ……」
彼は頬を掻きながら申し訳なさそうにそういう。別に申し訳なさそうにする必要はないのだ。彼が言っていることは最もだし、どちらが悪いのかと聞かれれば、最初に手紙を出さないかった俺が悪い。
俺は愛用のセカンドバックから手紙を取り出し、彼に差し出した。
内容だって別に隠す必要はない。ただの近況報告しか書いていない手紙だ。便箋に並んでいるのは拙い文字だが、まぁ、俺ほど汚い文字というわけでもない。
彼は丁寧に手紙を受け取ると「拝見します」と頭を下げた。そして、手紙の本文をじっくりと読んだあと、少しだけおかしな顔をする。考え込むというか、悩んでいるというか。何ともいえない表情顔だ。
「写真もいいですか?」
「あぁ」
手紙に写真なんてなぜ必要なのだろうと思ったのだが、彼にも思うところがあるのだろう。だから別に深くは突っ込まなかった。
代筆屋という仕事を、俺は単なる字が上手い人がする機械的な仕事だと思っていた。しかし、もしかしたら本来はもう少し毛色の違う仕事なのかもしれない。
ただ単に料理がうまい人が料理人になるわけではないように、代筆屋という職業もまた、ただ字が綺麗な人が文字を書くだけの職業ではないのかもしれない。
まぁ、すべて俺の勝手な想像なのだが……
写真をまじまじと見る四月一日さんを眺めながら、俺は一人で勝手にそう解釈をした。
四月一日さんはしばらく写真を眺めた後、納得がいったように一つ頷いた。
そうして、「なるほど」と一言零す。何を納得したのかは知らないが、その顔はのどに引っかかっていた小骨が取れたかのようにすっきりとしていた。
「承りました。しかし、少しお時間をいただくようになってしまうのですが、よろしいですか?」
「時間?」
「そうですね。三日ほどいただければいいとは思うのですが……」
極端に遅くならなければそれでいい。早いことに越したことはな無いが、三日程度なら許容範囲内だ。しかし、なぜ出来上がっている文面をひらがなで書くだけなのに、そんなに時間を取られるのだろうか。
「まぁ、別にそれぐらいなら……」
「ありがとうございます」
そう言って彼は微笑んだ。目じりの皴がぐっと深くなる。
「一応、確認なのですが、この文章をお孫さんにも読めるように書けばいいんですよね?」
「あぁ、そうだ」
「差し支えない程度で、少し内容を変えても問題はありませんか?」
「問題ない。趣旨さえ変わってなければ、どうとにでもしてくれ」
「かしこまりました」
「じゃ、頼むぞ」
彼は俺に手紙と写真を返しながら、まるで最終確認かのようにそう聞いてきた。俺はもちろんだと一つ頷いた。
「あぁ、そうだ。よろしく頼む」
そのまま俺は踵を返した。店の中にいたのは十五分ぐらいだろうか。立ったまま世間話をするような感じで話をしていたので、感覚的にもあっという間だった。
「今日はもう帰られるんですか?」
「あぁ、明日の仕込みもあるしな」
かけられた声にそう答えたとき、店の奥からあの金髪の男が顔をのぞかせた。確か名前はヤコ、といったか。彼は俺を見るなり、驚いたように目を見開いた。
「ちょうどよかった! ヤコさん、昨日のこと、謝っときなよ」
四月一日さんのその言葉に彼はまるですっぱいものでも食べたかのような表情になる。眉間の皴が海溝のように深くなり、口はへの字に曲がった。
そして、彼はそのまま奥に引っ込んでしまった。
「もー! ヤコさん!」
「いや、謝ってもらわなくていい。あれはうちが悪かった」
頬を膨らませながら怒る四月一日さんをなだめるように俺はそう言った。
本当にあれはうちが悪かったのだ。彼や高校生たちが声を上げる前に本当は俺が声を上げておかなければならなかった。
そうして、出入り口の扉に手をかけた時ときだった。
「おい」
その声にもう一度振り向けば、先ほど奥へと引っ込んだ金髪の彼がいた。彼は風呂敷で包んだ何かを俺に向かって差し出している。大きさは両手に乗るぐらいだろう。
俺は彼とその風呂敷を何度か見比べた後、おずおずとその包みを受け取った。
「昨日は悪かったな」
ぶっきらぼうにそう言われて、思わず笑いそうになった。とても謝っているような態度には見えない。でも、そういうところがなんだか可笑しかった。昨日はただただ怖かっただけだが、こうやって見てみると可愛らしくさえ思えてくる。
四月一日さんは俺の持っている包に顔を近づけ、ひくひくと鼻を動かし、まるで動物のように匂いを嗅いだ。そして、ぱぁっと表情を明るくさせる。
「いいですねぇ。それ、ヤコさんの一番得意なお菓子ですよ」
「お菓子?」
「美味しいですよ」
彼は頬を押さえながら、だらしのない腑抜けた顔でそういった。
俺も彼と同じように包に顔を近づけみるが、何の匂いもしない。この状態でよくこの包に何が入っているのか分かったものだと感心してしまう。
「ねぇ、ボクの分もある?」
「あるにゃああるが、それ以上太ってどうする気じゃ」
「確かにねぇ……」
彼はまんまるなお腹を撫でながら苦笑を漏らした。
思わぬ手土産をもらい、俺は食堂に帰ってきた。俺が寝泊まりをしているのは食堂の二階部分だ。もともと一軒家だったものを改築して一階部分を食堂にしているので、居室も普通にある。
妻と娘がいたころは別に家も持っていたのだが、一人で暮らすようになってからは帰るのがだんだん億劫になり、とうとう二階で寝泊まりを始めてしまったのだ。一人暮らしな上に敷地もそれなりに広いので、食堂の二階の部分だけでも何不自由なく暮らせている。
風呂は近くの銭湯に通っているし、食事は食堂で作ったものを持って帰って食べている。一応、カセットコンロや簡単な調理器具どなども用意しているが、利用することはあまりない。
三人で住んでいた家の方は、たまに帰って風を通すぐらいだ。
俺は仏壇の妻にヤコさんから貰った手土産を供えた後、いつものように一日の報告をする。今日はこんなことがあった。あんなことがあった。客がどのくらい来て、常連さんはこんなものを頼んだ。そんなとりとめのないことを報告するのが俺の日課だった。
そして、今日はもっぱらあの代筆屋の話だった。
「二人とも面白い人でな。前に食堂に来たことがあるようなんだが、どうにも思い出せないんだ。お前は覚えているか?」
仏壇の妻は無言で首を横に振った。そんな彼女に俺は「まぁ、俺ももう歳だしな」と笑みを零す。妻も俺ももう歳だ。少々覚えていなくてもしょうがない。見えなくなるものは見なくていいものだし、覚えてないものは覚えなくてもいいものなのだ。そうやって老いていく身体に折り合いをつけていなかければならない。
しばらくそうやって話して、話すことがなくなったところで仏壇から貰った手土産を取り上げる。本当ならもう少し、せめて一日ぐらいは供えておきたいのだが、四月一日さんの話だとこれはお菓子らしい。もし生ものだったら一日もここに置いていたらダメになってしまう。
だから、俺は早めに風呂敷を解いた。細かい花柄のどこにでもある風呂敷だ。そして、中から出てきたのは、何とも家庭み溢れる半透明のタッパだった。半透明のプラスチックの奥には黄色い物体。シルエットから見るに、細長い物体のようだ。
俺は恐る恐るタッパを開く。そうして、口元が緩んだ。
「これは、……芋ようかん?」
タッパの中に入っていたのは長方形の黄色い物体だった。匂いを嗅いでみると、ふかしたての薩摩芋さつまいもの香りがする。つるつるとした表面は、まるで売りもののようにきめ細かい。
「懐かしいな……」
芋ようかんといえば、昔妻がよく作ってくれていた。今、食堂にある甘味らしい甘味は杏仁豆腐だけだが、昔は妻の作った芋ようかんだけが並んでいた。
俺は四角いプラスチックのケースの中にある芋ようかんを見つめながら、昔を思い出していた。
家族で住んでいた家の土地に、昔は薩摩芋さつまいも畑があった。毎年このぐらいの時期になると、娘と一緒に薩摩芋さつまいもを掘って、妻のところへ持って行く。すると、夕食時には美味しい芋ようかんになって食卓に出てくるのだ。
高い芋を使っているわけでもないのに、その甘さは頬が落ちるかのよう。娘も早く妻の芋ようかんが食べたいがばかりに食事をかきこんでいた。
あの頃は、食堂の経営がまだうまくいってなく、娘に好きなお菓子を買ってあげられるような余裕はなかった。早くに死んだ両親が残してくれた土地だけががあって、野菜や果物のようなものは困ることがなかったが、それでも余裕がある生活とはい言いがたい状況だった。
チョコレートやポテトチップスが食べたい日もあっただろうに、彼女のおやつといえば畑でとれた果物か、芋ばかりだった。
「あぁ! そうだ!」
俺はおもむろにカセットコンロを取り出すと、その上に小さなフライパンを置き、火をつけた。そして、一人用にと買った小さな冷蔵庫からマーガリンを取り出す。バターナイフで表面を削り取るようにしてマーガリンを取ると、それをフライパンのふちに撫でつけた。熱せられたフライパンの上を乳白色の塊が黄色の緒を引きながら滑る。そして、すぐに塊は解けて消え、表面がぷつぷつと泡立った。
「そろそろかな」
いい香りが漂ってきたところで、俺は芋ようかんを一切れだけ取り、フライパンの中に投入した。広がり、白い気泡を浮かべていたマーガリンは、黄色い塊の下に集まって、表面をじゅくじゅくと焼いていく。甘いほくほくとした焼きイモの香りと、マーガリンの溶けた香ばしい香りが鼻をくすぐってきたところで、ひっくり返す。すると表面はきつね色になっていた。見た目だけでもカリカリとしているのがわかる状態だ。丁寧に六面すべてに焼き色を付け、俺は火を切った。そして皿に移す時間さえももったいないとばかりに、フライパンから直接芋ようかんを箸でとる。そして、二、三度息を吹きかけてから、口へ運ぶ。
少し硬くなった表面が歯を立てることで割れ、蒸気が吹きだす。焼き芋のような素朴な甘みが口いっぱいに広がって、マーガリンの香りと塩気が少しだけ洋風のお菓子を想起させた。
表面をこうやって焼くのは、娘が好きな食べ方だった。妻が作った芋ようかんを俺がフライパンで焼いて食べたのが始まりで、以降、娘にとって芋ようかんといえばこの食べ方になった。
『普通に食べる芋ようかんも好きだけど、こっちの方が甘くておいしい!』
幼いころ頃の彼女は、そう言って笑っていた。
白くて透明感のある頬を桃色に染め、歯を見せて笑う。小さな彼女はこの芋ようかんを一口食べるたびに「おいしぃ!!」と言いながら跳ね回ったものだ。
頬についた芋のカスを指で掬って食べれば、「それ! 俺のなのに!」と怒り出していたころが懐かしい。あの頃は俺の人生で最も輝いていた時期なのかもしれない。
今よりも苦しくて大変なことは多かったけれどし、足元を駆けずり回る彼女が鬱陶しかった時ときもあるけれど、今となったらすべてがいい思い出だ。
あの頃は隣に微笑む妻がいて、歯を見せて笑う娘もいた。家の中では笑いが絶えなくて、煩くて、騒がしくて、騒々しかった。
嫌なことも辛かったことも、振り返れば霞んで見えなくなっていて、ただただ楽しかった思い出ばかりが輝いている。一度思い出せば、目に焼き付いて離れないほど……
俺は手元にあった一切れを食べ終わると、ごろりと仰向けに寝転がった。二重の円を描く蛍光灯の光が過ぎ去った思い出のように眩しい。
俺は手探りでセカンドバックを手に取り、その中を探った。そして、娘から来た手紙を取り出す。
何度も読んでいるためか、一週間前に来たばかりの手紙にはもう皴が寄っていた。
俺は手紙の中の近況報告を一文字一文字確かめるように読んでいく。
『心配事はいろいろあるけれど、幸せに暮らしています』
その一文にため息が漏れた。
「元気にしているのか」
その声は自分でも驚くほどにしんみりとしている。
「そうか、元気にしているのか」
瞬間、声が鼻にかかった。そして、蛍光灯の二重の円がじんわりとぼやけだす。
疲れたのかと目頭を揉めば、汗が目じりから耳の方へ流れていった。
娘が出て行ったのは、俺が彼女の結婚を反対したからだった。
相手は大学を卒業したばかりの絵描きの男で、ひょろりとしたいかにも頼りない男だった。生計はバイトで立てているらしく、娘とは高校生時代からの付き合いだったそうだ。
俺はその結婚に反対をした。男が挨拶にとやってきても家に入れることもせず門前で追い返した。
俺は娘に苦しい思いをさせたくなかった。定職にもつかず、路上で絵を売り、バイトで暮らしている男に娘は幸せにできない、そう思い込んでいた。娘は何とか俺とその男をとりなそうと「彼には才能がある」としきりに言っていたが、結局俺がその言葉に耳を貸すことはなかった。
『俺の言うことを聞くか、アイツを選ぶか、お前の好きにしろ!』
それが、俺が娘にかけてやった最後の言葉になった。
翌朝、俺が起きると娘はもういなかった。出て行ったとわかったのはその日の夕方で、彼女の使っていた机には『さようなら』の書置きだけが残されていた。
今にして思えば、あの時ときの俺は寂しかったのだと思う。妻を亡くしたのがその年の二年前で、俺は彼女から結婚話を聞いたとき、娘まで俺の目の前から消えてしまうのかと怯えきってしまっていた。怖かった。本当に怖かった。そして、寂しかった。
幸せを手放して一人になってしまうことが怖かった。
けれど、強情な娘は俺が止めても聞く耳を持たず、結局はあの男を選んだ。それは自然な流れだし、正しい判断だった。俺は彼女が一歩踏み出すことを祝福しなくてはならなかったのだ。
俺だけが、間違っていた。
あの頃の俺は何も見えなくなっていなかったのに、一番大切な部分だけは見えなくなっていた。
それは彼女の幸せだった。
気が付けば、朝日が昇っていた。どうやら昨日はあのまま眠りこけてしまっていたらしい。
時計を見れば、朝の支度には十分間に合う時間で、俺は蓋の空いたままだったタッパを閉めて、冷蔵庫に入れる。背伸びをすると、背中が鳴った。
風呂にも入らずに寝たというのに、気分はどこかすっきりとしていた。




