STEP4 最後の女神 122
愛美が夜久野真名であることに、綾瀬は気付いていたのだろう。
綾瀬が洩らした言葉に、深い意味があったことが今になって分かった。
ようやく家族や友人達の死を受け止められるようになったと言うのに、この仕打ちは何だろうとも思う。
忘れさせてはもらえないようだ。
愛美こそが諸悪の根源だったことを考えれば、記憶の片隅に埋もれさせてしまうことなど、できよう筈もなかった。
罪を償うことなどできないし、償おうなど傲慢以外の何物でもないと思っている。
どうやっても、死んだ人間は戻ってこないのだ。
愛美は、罪人として死ぬまで生き続けなければいけなかった。
死なない限りは、生きていくしかないのだ。
自殺することなど、考えも及ばない。
こんなに罪を犯してきてもなお、生きたいと思うし、そう簡単には命を絶つことはできなかった。
愛美が死んだら、誰が愛美の所為で死んだ人達のことを悼むだろう。
今はまだいい。
十年二十年経った時、父や母、そして弟のことを誰が思い出してくれるだろう。
彼らの最期を知って、彼らを心から悼むのは、愛美をおいて他にはいない。
生きている限りは、罪を重ね続けるしかないのだ。
暫く前に読んだ本の中に、人を殺すことはたやすいと言う記述があった。
如何に人を殺めるかではなく、如何に己を殺すかだと。
人は、脆い。
心も身体も。
人を殺すことは、刃物や銃器を使えば――いや、そんな物さえなくても簡単に殺すことができる。
人は簡単に死ぬ。
しかし、人を殺すのは簡単ではない。
先ほど言ったことと矛盾しているようだが、矛盾ではない。
物理的に人を殺すのは簡単でも、それを行う人間には余程の精神力が要求される。まともな人間なら、実際に人を殺すことはできない。
殺したいほど人を憎むことはあっても、そこまではできないのが、人間ではないか。
しかし人の中には押さえられない破壊衝動があることも、愛美は知っていた。
愛美の手は、血で血を洗い流すような状態になっている。
それでもやはり、簡単には人を殺せない。
例え法で守られた死刑執行者であったとしても、良心の呵責ならあるだろう。
その気持ちを押さえつけない限り、到底ではないが人を死に至らしめることなどできない。
人を殺すことはたやすいが、それとともに自己も消えてしまうのだ。
己を消せば、どのような感情に煩わされることもない。
しかし己を消せないからこそ、愛美はこれほど苦しまねばならないのだ。
苦しいのは辛い。
良心の呵責に苛まれるのは、決して罪滅ぼしにはならない。
苦しんで当然なのだ。
生きている限り、それは続く。




