如月組
「また難儀なもんを拾って来たわねぇ、凛?」
「あっはっは」
「あっはっは。じゃあないわよ、まったくもう」
折部の言うアジトとは、平たく言えば立派な日本家屋だった。
敷き詰められた畳。塗り固められた漆喰の壁。どっしりと立つ木の柱。穴一つない障子。古き良き日本の姿をそのまま現代に持って来たような、そんな昔の匂いがする所だった。
ここは客間。漆の塗机を挟むようにして向かい合うのは、この家屋の主だ。
如月律子。この日本において妖怪退治の名家とされる十二のうちの一つ、如月の血を引く人らしい。すべて折部からの受け売りだが、とにかく凄い人、偉い人だと思っておけば良いとのことだった。
「アンデッドでもなく、グールでもない、ノーライフ。有機的ではなく、無機的な存在。こんなのは前代未聞だわ。起き上がりに聖水が効かないなんて常識外れにもほどがある。ねぇ? これがどれだけ面倒な案件かわかってる?」
「もちろん。だから連れて来たんだ」
「あぁーもう、この子は」
非常に困り果てた様子で、如月さんは大きな溜息を吐く。
これまでの物言いからして、折部も案外問題児なのかも知れない。反応を見るに、こうした無茶は一度や二度ではないと想像がつく。だが、裏返せばそれだけ仲が良い、親しいということでもある。
「安心しなよ、誠一郎に今のところ危険性はない。すくなくとも人間の敵に回ることはないさ」
「あんたがそう言うのなら、信用もするけど。けどよ? それにしたって坊やの能力は危うい。経験や技術、精神面で、能力の強大さと釣り合いが取れていない。いつも言ってるでしょう。過ぎたる力は身を滅ぼすって」
「でも、だからってほっぽり出す訳にもいかない、だろ?」
「まぁね」
観念した。そう言うように、如月さんはあっさりと肯定する。
「たしかに坊やの能力も、坊や自身の存在も危ういことに変わりはない。でも反面、味方に出来れば即戦力になる。身体の維持に生命力が必要なら、食べることが必要なら、妖怪退治だって喜んでする。そうでしょう? 坊や」
「えぇ、まぁ」
「何より死ぬ危険性が極端に低いところが魅力的ね。危ない仕事も気兼ねなく任せられる」
「姉御」
「冗談よ」
言葉ではそう言うものの、顔は至って真面目だった。
如月さんは咥えた煙草から紫煙を燻らせながら、その双眸でこちらを射抜く。
「坊やという存在を私達が見付けた以上、捨て置くことは出来ない。坊やの身柄はこれからうちで預かることになるわ。構わないわね?」
それは肯定を前提とした、提案ではなく確認だった。
断ることなど初めから考慮に入っていない。俺の返事は肯定以外に用意されていなかった。もし拒否をしたら、その答えは火を見るよりも明らかだ。そして、肯定は俺に取って好都合でもある。
殺人鬼を捕食するという目標を達成した以上、これからは生き返るために生命力をより多く集めることになる。その上で妖怪退治の専門家という後ろ盾を得るのは都合が良い。
話を聞いていると、どうやら如月以外にも組織めいた機関が幾つかある。そう言った所と揉めないように、敵対しないように、という意味でもこの話はありがたい。
「はい、構いません。如月さん」
「うん、良い返事だ。聞き分けの良い子は好きよ、気分が良い」
そう言いつつ、横目でちらりと如月さんは折部を見た。
「なーんでそこで私を見るのかな」
「決まってるでしょ。あんたが聞き分けのない子だからよ」
とにかく、と如月さんは続ける。
「事情は把握したし、坊やにもその気があるのなら話が早いわ。特別に坊やをこの如月組で雇ってあげる。詳しい手続きや諸々の説明はまた後日ってことにして置きましょう。あぁ、そうそう監視役もつけなきゃね」
とんとん拍子に話が決まり、いまこの時をもって如月組の一員となる。
だが、見ず知らずの俺を、ノーライフである俺を、信用した訳では恐らくない。こんなにも即断即決で雇うことに決めたのは、未知の存在である俺を手元において監視するためだ。
如月さんがわざわざ付け加えて監視役と言ったのも、忘れていた訳じゃあなく故意によるものと見ていい。つまり、何時でもお前を見ているぞ。下手な真似はするなよ。と、釘を刺しているのだ。
もとよりそのつもりはないが、俺が誰かを――人間を殺さないように。
「それじゃあ夜も遅いし、坊やは寝る時間でしょう。凛、そこまで送ってあげなさいな」
「わかった。行こうぜ、誠一郎」
諸々の話が一段落し、時間も時間ということで今日のところは解散となる。
畳の匂いのする部屋を出て、程よく軋む廊下を渡る。玄関までの途中にある庭には、風情な枯山水があった。月光に照らされたそれは神秘的で、こんな存在になっても情緒を感じることが出来るのだと再確認させてくれた。
すこしだけ嬉しくなった心を落ち着かせながら、ゆっくりと折部の背中を追いかける。玄関まではそう遠くなく、すぐに向かうことが出来た。けれど、そこで俺は意外な出会いをすることになる。
「紹介するぜ、今日から誠一郎の監視役になる銀だ」
「監視役って、こいつが?」
折部の紹介を経て現れたのは、随分と小さい監視役だった。
というか、犬だった。
パグ、だった。
「そう、使い魔の銀だよ」
「使い魔、ね」
見た目は完全に犬、パグだがどうも普通とは違うらしい。使い魔という存在に知識がないが、言葉の響きからして妖怪や魔物に似た生き物なのかも知れない。
足下にまで来たパグ、銀を両手で持ち上げてみる。するとすぐに円らな瞳と濡れた鼻が目についた。今までパグは可愛くないと思っていたけれど、こうしてみると案外愛嬌があっていいな、と考えを改めさせられる。
「よう、坊主」
「……いまこいつ、しゃべったか?」
物凄く渋くて良い声で坊主と呼ばれたんだが。
「あぁ、しゃべるぜ。使い魔だからな」
「マジかよ、すげぇな」
つい先ほど鬼と戦っておいてなんだけれど、それでも言葉が口をついて出た。
鬼のような現実離れした存在を目にするよりも、パグのような身近な存在が言葉をしゃべるほうが遥かに衝撃的だ。頭の出来とか、声帯の作りとか、いったいどうなっているんだろうか。
「俺のことは銀と呼びな。こいつじゃあねーぜ」
「あ、あぁ、わかったよ。銀」
「それとそろそろ降ろしてくれ。ガキじゃあねーんだ、自分で歩ける」
希望通りにゆっくりと降ろすと、銀は真っ直ぐに玄関先へと向かう。
「仲良くしたほうがいいぜ。あいつはちょっと気難しい所があるけど面倒見のいい奴なんだ。良い関係を築ければ、困った時に助けてくれるようになる」
「良い関係を築けなかった時は?」
「いやいや助けてくれる」
「助けてはくれるんだな」
何はともあれ、どうやら今後はこの銀と一緒に過ごすことになるらしい。
渋い良い声で人語をしゃべる犬とどう仲良くするべきかは疑問だが、まぁなんとかするとしよう。言葉が通じて意思疎通がとれるなら、そう難しいことでもないはずだ。
後は、どう母さんを説得するかだな。