九音目
それから二人がリュミヌと思われる町を見つけた時、すでに日が暮れてしまっていた。
日が暮れ辺りが暗くなってしまっても二人が町を見つけることが出来たのは、街道沿いに松明が並べられていたから。
「どうして、松明が並べられているんだろうね。スライムが近寄ってこなくて楽なんだけど」
『スライムが来るからじゃないかな』
「なるほど。確かにスライム沢山いたもんね……」
ソプラの返答にテナーが遠くを見る。
ここに来るまでにテナーが倒したスライムの数は両手では足りなくなってしまった。リュミヌに近づき松明が並べられている場所に着く頃には和太鼓を戻すのすら億劫になるほどで、炎で脅して逃げるを繰り返していた。
「ともかく町には着けて良かった。野宿ってしたこと無かったからその時にはどうしたらいいのかわからなかったよ」
ソプラは野宿したことあるの? とテナーは尋ねそうになって思わず口を閉じる。
『私は野宿したことあるけど、参考にならないかも』
「そうなの?」
野宿と言う言葉が出てきたので何気なくソプラは返しただけだったけれど、テナーは願ったり叶ったりと言った気分でソプラに問いかけた。
ソプラは頷くとゆっくりとテナーの手に文字を書き始めた。
『私の場合音がないから、普通の人よりはモンスターの事を気にしなくてもよかったんだよ』
「そっか。でも、今日はまたベッドで寝られそうだね」
慌てて話題を変えたテナーにソプラは首を傾げずにはいられなかったが、テナーとしてはどこに地雷があるかわからない。
「早く町に入ろう」
そう言って手を引くテナーにソプラは黙ってついて行った。
町の前、閉じた門の上にリュミヌと書かれてある。
門の大きさをかんがみるにエスティントよりもさらに大きそうな町。
「ここで間違いなさそうだね」
テナーが安心したようにそう言うと、ソプラも一度頷くが困ったようにテナーの手を取った。
『どうやって入る?』
「ノックしてみる……とか?」
冗談のつもりでテナーがすぐに返すと、ソプラが呆れたように首を振る。
今の状況、冗談を言っている場合ではないとテナー自身も分かってはいるのだけれど、他に何か具体案も思いつかないので黙り込んでしまった。
ソプラがよくよく門の周りを観察してみると、門の隣に小さな扉がある事に気が付く。
ソプラがテナーの肩を叩いてそちらを指さすと、テナーも心ここにあらずと言った様子でそちらに目を向ける。
「うん……」
初めは興味なさげにそう呟いたテナーだが、目に映ったものを頭が認識できた時に「ん!?」と目を見開いた。
テナーはソプラの方に向き直ると嬉しそうにその手を引く。
「あそこから入れるかも、行ってみよう」
先ほどまで黙り込んでいたとは思えないほど活き活きとするテナーに、ソプラは呆れと共に安心感を得た。
扉の前についたテナーはある事に気が付いてしまった。
扉には長方形ののぞき穴が開いている。しかし、そののぞき穴から光が漏れていない。
気が付きながらも、テナーはノックをしてみる事にした。
「すみません、誰かいませんか?」
反応は無し。もう一度テナーがノックしながら声をかけてみても結果は変わらず、試しにあかないかとドアを押したり引いたりしてみても開く気配はない。
「ここもダメみたい」
落ち込んだようなテナーを見てソプラも肩を落とす。
それと同時にソプラがどうやって野宿をしようかと考えだした時後方からいくつかの足音が聞こえた。
「お前たち、何者だ?」
ソプラがフードを被り直した所で、テナーと共にそんな声がかけられた。
その声は低く渋く、壮年から初老程度の男性を思わせる。
凄みを利かせた声は明らかにテナー達を警戒していて、テナーが振り向くとそこには暗くてよくは分からないが白髪の混じった精悍な顔つきの男性と、スターレと同年代と思われる女性が立っていた。
テナーは緊張しながらもこちらに害意はないと分かってもらう為、明るい声で困ったように口を開く。
「俺達、今旅をしているんですけど、日が暮れて門も閉じられてしまっていたので困っていたんですよ」
「お前たちの様な若さで、このご時世に旅とは……何を持って信じたらいいと言う?」
「ソメッソさん。そんなだから皆に怖がられるんすよ」
睨むようにテナー達を見ていた男性と違い、女性は親しみやすそうな感じで男性を諌めた。諌められたソメッソはぎこちなく困惑の表情を浮かべる。
「そんなつもりはないのだが……」
「そんな事あるですって。それにユメだってこのご時世旅をしている若者っす」
「そう言えばそうだったな、ユーバーアルディタメンテ」
「ユメの事はユメって呼んでほしいと何回言えば分かるんすか。その名前長くて好きじゃないんすよ」
「悪かったユーバー」
ユメの話を聞きいれたかどうかわからないソメッソにユメがため息をついていると、テナーが恐る恐る「あ、あの……」と声を出した。
すると、ユメがくるっと回るようにしてテナーの方を向く。
「おっと、ユメはユメっす。で、こっちのお堅いおじさんがソメッソさんっす」
「えっと、俺はテナーで後ろにいるのがソプラです」
「それで、お前たちは何者なんだ?」
ソメッソが怖い顔をして、再度テナー達に問いかける。それに対してユメももう一度口を挟んだ。
「だから、旅するのに理由はないんすよ。村や町を追われた人、ただ世界を見て回りたい人、お金を儲けたい人、強敵を探している人。
でも恐らく普通の人にはどの理由も納得できないはずっす。
だいたいソメッソさんはユメがどんな理由で旅しているのか知らないっすよね」
「そうだが……」
まだ渋るソメッソにユメは考えるように腕を組むと良い案を思いついたとばかりに手を叩いた。
「じゃあ、この子達は今夜ユメが預かるっす。
それで二人が怪しかったらソメッソさんに突き出すって事でどうっすか?」
「そういうことなら、任せよう」
テナーとソプラが関与しない所で二人の処遇が決められていく事にテナーがもやもやし始めた所でユメとソメッソの話が纏まった。
「と、言う事で今日はユメの所に泊まって貰うっす。別に良いっすよね」
「そちらがそれでよければ」
テナー達はリュミヌで何か悪い事をするつもりはない。それならば、泊まるところも信頼も得られるその提案を飲まない理由は無かった。
「それじゃあ、こっちから中に入って貰うっす」
そう言ったユメに先導されて、テナーとソプラはリュミヌの中に入ることが出来た。
リュミヌの町の中は外の暗さとは違い、どの家からも明かりが漏れ建物の外にもそれなりに歩いている人が居るくらいには賑わっていた。
「おお、ユメちゃん飲んでかないかい?」
「ユメはお酒飲めないっす」
「そんな年齢じゃないだろう?」
「体質的な問題っすから無理っす。でも、また今度ご飯食べさせてくれると嬉しいっす」
町を歩いているとまだ開いている店からこんな風にユメに声がかけられる。
そんなユメについて行くのがテナーは少し居心地悪くなってきた。
かと言って、自ら会話に入って行ってソプラの存在を知らせることは出来ない。
明るかった通りを抜け、明かりが極端に少なくなった通りに入ったところでユメが足を止めた。
「ここがユメの家っす。家と言っても、借家なんすけどね」
「ユメさんも、旅人なんですよね」
「そうなんっすけど、まあ、取りあえず中に入って欲しいっす」
そう言って家の扉を開けたユメに招かれてテナーはソプラの手を取ったまま家の中に入った。
ユメが部屋の明かりをつけると家の全容が露わになって、テナーの家のように二つに分けられているのが分かる。
それから、テナーがユメにいろいろ尋ねようと、ユメの方を向いた所テナーの動きが止まってしまった。
それを見たユメが企んだような笑顔をテナーに寄せる。
「何っすか。ユメが思った以上に美少女だったから驚いたんっすか?」
テナーの反応を急かすようにユメが「ん? ん?」と言うが、テナーは反応できなかった。
それも、半分はユメが言った通りだったから。
色白で青い目が大きくて、金にも近い茶色い髪は長くサラサラで。それに、女性らしい身体つきをしている。町ですれ違えばその清楚さに多くの人が振り返るようなそんな女性。
ただ、ソプラもそれに負けず劣らずの女の子であるのは違いなく、そのソプラと四六時中一緒にいたテナーとしては、むしろもう半分の方で驚いたと言って違いない。
「ユメさんの喋り方と顔とに違和感が凄くてびっくりしたんです」
「つまり、ユメが可愛いから驚いたって事っすよね」
「まあ、そうと言えばそうなんですが」
テナーが諦めたようにそう言ったところで、満足げのユメが話を始める。
「さて、改めて自己紹介をするっす。ユメはユーバーアルディタメンテって言うんっすけど、長いのでユメって呼んでほしいっす。
たぶん、ユメの方が年上っすけど、敬称敬語なんて使わずに接してくれて良いっすよ」
「えっと、さっきも言ったけど俺がテナーで後ろにいるのがソプラ。
どうしてユメは俺達を助けてくれたの?」
テナーに尋ねられてユメは悪い顔をした。それから、テナー達を指さす。
「君たちがどう見ても訳ありだからっすよ。君達って言うよりも君の後ろの娘が……っすけどね」
ゆっくりと、指した指をソプラの方に持って行きながらユメが言うと、テナーがソプラを身体全体で庇う。それから、ユメを警戒しながらテナーが鋭く問いかけた。
「ソプラを追っているやつの仲間?」
「残念ながらユメはそんな事しないっすよ。むしろ逆っす」
そう言いながら、ユメは敵意はないとばかりに両手を振る。
それでも警戒を解かないテナーにユメは続けた。
「一言で言ってしまえばユメも訳ありなんすよ。だから、君達テナーとソプラの事情を聴く気はないっす」
「じゃあ、何でソプラが訳ありだって言うの?」
「人が近づいた時に顔を隠すようにフードを被ったら普通警戒すると思うんすけどね。
まあ、それよりも喋らないどころか、殆ど音も鳴らさないんだから訳がないって言う方が無理だと思うっすよ」
ユメの言葉にテナーがしまったと顔をしかめる。
それに対してユメが慰めるように続けた。
「とは言え、あの様子だとソメッソさんは気が付いていなかったみたいっすけどね。
それにユメもどういう事情でそんな事になっているかは聞かないっす。
ユメは同じ訳あり同士ちょっと手伝って欲しい事があるんすよ」
「手伝って欲しい事?」
テナーが警戒を解かずに尋ねてもユメは「それはまた今度で良いっす」と手を振った。
「その前にユメへの警戒を解いて貰わないと困るっすからね。何でも聞いてくれて構わないっすよ」
「じゃあ、ユメはどんな訳があるの?」
「それは秘密っす」
悪びれもせずに即答するユメをテナーが睨む。
ユメはそんなテナーの顔を見て食えない笑みを浮かべた。
「そんな怖い顔をしないでほしいっすよ。こっちだってそっちの事情は訊かないって約束なんすから、当然じゃないっすか。
とは言え、こちらからも譲歩はしないと話が進みそうにはないっすね。
そう言うわけで、詳しくは話せないっすけどユメがどういう立場かって言うのを簡単に説明するっす」
そこまで言うと、今の今までおどけたような、親しみやすさすら感じたユメの表情が急に殺気すら感じるほどに険しくなった。
今までに見た事のないような表情にテナーは嫌な予感がし、全身から汗が流れるのが感じる。その腕は恐怖により震え始めた。
「私は……そうですね。犯罪者なんですよ。しかも、情報提供しただけで大金がもらえるくらいの」
そう言ってユメは笑うが、その笑みが逆に恐怖しか呼び起させない。
とうとう、テナーが立っているのすらやっとという感じになってユメの雰囲気が元に戻った。
「勿論、告げ口したらどうなるかは分かるっすよね」
「う、うん」
「今のユメは自由を愛する旅人なんで安心してくれていいっすよ。
その証拠にこうやってソメッソさんに信頼して貰えるくらいには町の為に頑張っているっすから」
「ソメッソさんってそんなにすごい人なの?」
もうユメに逆らっちゃいけないと確信したテナーが、それでも自らの身の安全を確かめるべく控えめに尋ねる。
尋ねられたユメは話し忘れていたとばかりに、それに答え始めた。
「ソメッソさんは中央から送られて来た演奏者っす。確か、ある事件の犯人を追いたいとかで軍に入ったは良いっすけど、このご時世そんな事も言っていられずに一所に身を寄せざるを得なくなった可哀想な人っす」
その話を聞いてテナーはパカートの事を思い出していた。
モンスターが増えたから中央から送られて来た演奏者。
何処もそうなのだとしたら、自分を犯罪者だと言うユメは大層動きにくいだろうなと、テナーの中で同情が生まれなくもない。
しかし、目の前のユメの様子を見るにそんな事はないかと考えを改めた。
「ユメは町の外で何をしていたの?」
「松明が消えていないかの確認っすね。ユメが此処に来たのはひと月前くらいだからいつからかは分からないっすけど、この付近は何か月か前からスライムが大量発生しているらしいっす。
らしいと言うか、ユメ自身嫌になるくらい追い返しはしたんっすけど、相手がスライムっすからね……」
「倒しきれなかったんだ」
「そう言う事っす」
少し話がそれたなと思いつつも、テナーはようやくあの松明の意味が分かった。
スライムが近寄らない為の松明である。人は夜には眠ってしまうが、モンスターには昼も夜もない。むしろ夜の方が活発なものだって多い。
「スライムを沢山押し返したって、ユメは演奏者なの?」
「いいや、ユメは一般人っす。騎士とかでもないっすよ」
「一般人って……」
さっき自分で犯罪者って言っていなかっただろうかと、テナーは疲れた声を出す。
ユメはそんなテナーの反応をまるで気にしていないとばかりに口を開いた。
「そう言うテナーは演奏者っすよね。もしくはソプラ」
「どうしてそう思うの?」
ユメはそんなすぐにイエスと言わないテナーが未だ自分の事を警戒しているなと確認すると同時に、その返答はほぼ肯定しているようなものだよなとテナーの単純さに安心感すら得る。
「それはテナー達がこの町まで二人だけで来ることが出来たからっす。
此処に来るまでにスライムばかり出くわしたはずっすから、それに対処する場合演奏者じゃないと辛いっすからね。
二人の格好を見る限りたぶん炎を操るとかそう言った類の能力っすね。苦戦してきたって様子はないっすから」
「どうっすか?」と確信を持ってユメがテナーに尋ねる。
それに対して、テナーはゆっくりと頷く事しか出来なかった。
そんなテナーの様子にユメが残念そうにため息をついた。
「何て言うか、まーだユメの事信頼してくれていないみたいっすね」
「そ、そんな事ないよ」
「ま、そういうことにしておいてあげるっす。今日はもう遅いから寝る事にするっすが、信頼してくれたのなら、ユメと同じ部屋で寝られるっすよね?」
ユメがからかうようにテナーに言うと、テナーが「う……」と情けない声を出す。
思い出されるのは先ほど口調が変わった時のユメの事。
そんな人と一緒の部屋で寝るのにテナーは恐怖しか感じない。テナーがそんな風に思っているとユメが「冗談っすよ」と笑った。
「年下とは言え男の子と同じ部屋なんて貞操の危機を感じるっすからね。
可憐で可愛いユメが襲われでもしたら大変っす。むしろ、ソプラは今までテナーに襲われなかったんすか?
起きている時にそんな事無くても実は寝ている間に体中まさぐられていて、いつの間にかテナーの方がソプラの身体に詳しくなっているなんてことあるかもっすよ」
ユメは好き放題にそう言うと「こっちの部屋は好きに使って良いっすからね」と付け加えて隣の部屋に入る。
「そんなことしないよ」とテナーが返した時にはもう扉が閉まっていた。
ひどく疲れてしまったテナーであるが、別の部屋とは言え同じ家にユメがいると言う状況に緊張が取れない。
こんな状況下で眠れるのだろうかと思っていると、ソプラがテナーを見ていることに気が付いた。しかも、何だか疑うような視線で。
「えと……ソプラどうしたの?」
『テナー、本当に何もしてないの?』
「何もしてないって……」
『私が寝ている間に』
そこで、テナーはソプラが先ほどのユメの言葉を鵜呑みにしたんじゃないかという考えに至って慌て出す。
「そ、そんな事してないよ」
『私そんなに魅力ない?』
「あ、えっと。その……」
頭から煙でも出るんじゃないかというくらい慌てふためきだしたテナーを見てソプラが小さな笑みを浮かべる。
それからテナーの手を取って『冗談』と書いた。
それで安心したテナーは「止めてよ」とため息を漏らす。
『たぶんユメは何もしてこないよ。してくるつもりだったら、もう私達生きていないと思うから』
今度はメモ帳にソプラが文字を書く。それを読んでようやくテナーはソプラが自分を落ち着かせようとしていたのだと気が付いた。
「そう……かな?」
『それに、心配だったら私が見張ってるよ?』
「いや、それは俺がやるからソプラは寝てて」
ソプラは少し考えてから頷くと、着ていたローブを床に敷いて横になる。
それからすやすやと眠り始めた。