八音目
最低限の食料と水を買ってテナーとソプラが宿に戻る頃には空は真っ黒の中点々と小さな光を湛えていた。
先にソプラが中に入り椅子に座ったので、テナーがベッドに座る。
それからテナーは今後の事についてソプラに聞きたくて話しかけた。
「ねえ、ソプラ。南領に落ちた星はどうするの?」
『今の所何の情報もないから一周回って最後にしたいかな』
「確かに、南領って言っても広いからね。じゃあ、明日の朝からリュミヌって所に出発しようか」
『分かった。でも、テナー場所知ってる?』
ソプラから見せられる紙を見て、テナーが「う……」とうめく。
それから、取り繕うように言葉を探し始めた。
「えっと、ほら。明日オフィスにもう一回行くから、その時に聞けばいいんじゃないかな」
『そうだね』
その簡素な字とは対照的にソプラは意味ありげな笑顔を向ける。
そんなソプラの態度にバツが悪くなってしまったテナーはいっその事寝てしまおうかとそっぽを向いたが、そうするにも結局ソプラに声を掛けないといけない事に気が付いた。
「ソプラ、そろそろ寝たいから場所変わって」
正確には床に寝るのだけれど、ソプラが椅子に座っていると寝る為に十分なスペースが取れない。そう思ってのテナーの台詞だったが、ソプラは少し考えるようなそぶりを見せると何かを書き始めた。
『一緒に寝る?』
「い、一緒にって」
ソプラの大胆な発言にテナーは顔を真っ赤にして俯いたが、ソプラはソプラで真面目な顔でペンを走らせる。
『冗談。でも、テナー最近ちゃんと寝てないでしょ?
私は慣れているから今日は床で大丈夫だよ』
ペンを走らせても、紙を振っても、何をしても音が鳴らないので俯いたテナーに紙を見せるためにソプラがテナーの肩を叩く。
それでようやく気が付いたテナーが書かれてある事読むと首を振った。
「流石にそれは駄目だよ」
『でも、明日は町を出るんだよね? それなら私よりもテナーにちゃんと寝ててもらった方が安心でしょ?』
「確かにそうかもしれないけど……」
壁のない町の外に出るとモンスターと遭遇する可能性が出て来る。その時に戦うのはテナーであり、もしもモンスターと遭遇した時にテナーの体調が悪ければその分危険が大きくなる。
そう言う意味でも今日はテナーに負担が無いようにするべきであると、テナーも頭の中では分かっていた。
しかし、女の子を差し置いて自分だけベッドで寝るのには抵抗もある。
そのままテナーが何も言えないでいると、ソプラが音を立てずにベッドの上から毛布を奪い去った。その事にテナーが気が付き「あ、」と声を出す頃には毛布に器用にくるまったソプラが床に寝転がっている。
そんな強攻策をとったソプラにテナーは溜息をもらしながらも、明かりを消してベッドの上に横になった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
次の日の朝、ここ数日感じていた体の痛みを感じる事無くテナーは目が覚めた。
体を起こして辺りを見回すとすでにソプラは起きているようで窓際に椅子を持って行ってじっと外を眺めている。テナーは目を擦りながら「ソプラ、おはよう」と声をかけた。
声が聞こえたソプラはゆっくりとテナーの方を見ると口の動きだけで『おはよう』と返すと笑顔を見せる。
ソプラの隣まで歩いたテナーはソプラが見ていた方に視線を向けた。
「外見てたの?」
昼間と比べるとだいぶ人通りの少ない道を見ながらテナーは尋ねると、ソプラの方を向く。
ソプラは一度頷くと、テナーの手を取り細く柔らかい指で文字を書き始めた。
『やっぱり、朝は人が少ないなって』
「そうだね」
テナーは軽くそう返すと、そのままソプラの手を掴んで立ち上がらせる。
急な事で体勢を崩しかけたソプラのバランスが整うまで待ってからテナーが口を開いた。
「さて、朝は早いけど出発しようか」
それから、テナーはソプラの反応を待つことなく荷物を持って扉をくぐった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昨日言われていたようにエスティントの町を後にする直前、テナーとソプラはクエストオフィスを訪れた。
何のために呼ばれたのだろうかと思いながらテナーがその戸を開くと中には昨日までと同じようにスターレが受付の向こう側にいて、トリオンが退屈そうに椅子に座っている。
「おはよう。ごめんね、出発の日に呼びつけて」
「それは良いんですが、何があるんですか?」
「テナー君にも用事はあるんだけど、今日はソプラちゃんの方がメインかな」
スターレの言葉にテナーが、どうしてソプラが? と考えているとトリオンが緊張した面持ちでソプラの正面に来ている事に気が付いた。
ソプラはフードの向こう、少し怯えた様子で事の成り行きをみつめる。
「ソソソソ、ソプラさん」
ガチガチのトリオンの様子にスターレが声に出さないように気を付けながら笑う。
トリオンはそんな事露にも目に入っていないらしく真っ直ぐにソプラを見て言葉を続けようとしていた。それがソプラを怯えさせているなんて思いもしていない。
「こんな田舎者とではなくオレと一緒に来てくれませんか? ソプラさんの為なら不肖このトリオンどこまででもお供します」
そんな事を言いながら頭を下げて手を伸ばす。
しかしソプラはテナーの手をぎゅっと握ると、その陰に隠れてしまった。
「やっぱり駄目だったね」
スターレの言葉にトリオンが顔を上げたが、その表情は悔しそうな悲しそうな辛そうな何とも言えない物。
「オレ、絶対にソプラさんに相応しい男になりますから、それまで待っていてください」
それからトリオンは泣いているような声でソプラに頭を下げると、テナーを睨み付けた。
「ソプラさん泣かせたら承知しないからな」
捨て台詞の様な言葉を吐くと、ポカンとしているテナーをよそにトリオンは逃げるようにオフィスから出ていく。
残され呆けているテナーにスターレが声をかけた。
「時間取らせてごめんね」
「えっと、何だったんでしょう?」
「見ての通り、トリオン君がソプラちゃんに一目惚れしちゃったみたいなんだよ」
「ああ、なるほど……って一目惚れ?」
一度納得しかけたテナーが信じられないと言う風に舵を切った。
しかし、スターレはそのテナーの反応こそ意外だとばかりに口を開く。
「確かにトリオン君が一目惚れって言うのは不思議な感じがするけど、ソプラちゃんにってなら納得できると思うけどな。
テナー君もソプラちゃん可愛いって思うでしょ?」
「えっと、まあ、可愛いとは思いますけど……」
本当は見た事ない位可愛いと思ったし、今でもソプラ以上に可愛いと思う人も思いつかないテナーだが、本人を目の前にしていたせいもあって言葉を濁す。
「ともかく、時間取っちゃってごめんね。そのお詫びってわけじゃないけど、荷物にならない程度に餞別を用意したから持って行って」
「良いんですか?」
「次に来た時に精一杯働いてくれたらいいから」
そう言いながらスターレがソプラでも簡単にもてるくらいの小さな革の袋をテナーに渡す。テナーも今回はそれを素直に受け取った。
テナーが素直に受け取ってくれたことに満足したのか嬉しそうな顔になったスターレが次はソプラに視線を移す。
「これはトリオン君からソプラちゃんに。全くトリオン君らしくないんだから」
後半堪え切れずに笑い始めたスターレがソプラに渡したのは小さい花をあしらった髪留め。受け取ったソプラは困ったようにテナーを見た。
「よかったらつけてあげてくれる? たぶんトリオン君昨日から今日までで必死に探してきたと思うから」
「たぶんソプラには似合うんじゃないかな? 悔しいけど」
スターレとテナーにそれぞれそう言われ、ソプラは迷った挙句テナーの耳に口を近づけた。そうしつつ本当はその手に文字を書くのだけれど。
『後でテナーが付けてくれない?』
「良いけど、上手くつけられるかわからないよ?」
『私こういうのつけた事ないから』
「うーん……分かった」
ソプラとテナーが何か話していることはわかったけれど、何を話しているのか分からなかったスターレが、二人の会話が終わったと思う所で「ソプラちゃんどうしたの?」と尋ねる。
「あ、えっと。後でつけるって」
「つけてくれるならよかった。それにしてもソプラちゃんは恥ずかしがり屋みたいだね。
そういう所が男の人は好きなのかしら」
そこまで言うと、スターレはブツブツと何かを言い出した。
よくよく聞けば近所のおじちゃん達には評判良いのに、と言った内容。
自分の世界に入り込んでしまったスターレにテナーが「あの」と、恐る恐る声をかける。
「あ、えっと。どうしたの?」
「出来ればリュミヌへの生き方を教えて欲しいんですけど……」
「それなら……」
我に返ったスターレに道を教えてもらいテナーとソプラはエスティントを後にした。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
どうやらリュミヌまでは東へ続く街道に沿って真っ直ぐ行けば着くらしい。
と、普通の旅人なら街道の上を堂々と歩きながら行けばいいだけなのだが、テナーとソプラはそう言うわけにはいかない。
街道を見失わない程度に街道から逸れて道なき道を歩く。
道なき道とは言っても今は平原、道がないだけで歩き難いと言うことはないが。
「こうやって歩いていると思うんだけどさ」
『どうしたの?』
いつものように手を繋いで歩く為、ソプラからテナーへの意思の伝達はつないだ手に文字を書く事が基本になった。
ソプラが持っているメモ帳が有限だと言う事情もあるけれど。
それと、移動の時にはソプラもフードを脱いでいるので、トリオンからもらった髪留めが耳の近くで揺れているのが良く分かる。
「街道ってあんまり使われないんだね。今までに馬車の集団が二つと、ローブを着た旅人みたいな人しか見てないし」
『モンスターの数が増えたからじゃないかな? それに、テナーだってほとんど村から出ていなかったでしょ?』
「確かに畑って毎日世話しないといけないからって昔は畑仕事ばかりしてたな。
それにモンスターも……」
テナーがそう言ったところで、二人の前方の草がガサガサと動く。
すぐに戦闘態勢に入ったテナーの前に飛び出してきたのは、緑のドロドロしたもの。
ドロドロの上に乗るように目のようなものがあり、緑の身体の一部が鋭くとがった白い爪のようなものになっている。
「また、スライムか……」
テナーがため息をつく理由はこのスライムで今日五体目であるから。しかも、東に進むほど出現頻度が上がっている。
スライムはモンスターの中でもかなり厄介な部類に入る。ゲル状の身体はいくら刻んでも再生し、いくら叩いても手ごたえを感じる事はない。
つまり基本的に物理攻撃が全く効かない為、一般兵では押し返すので精一杯なのだ。
しかし、スライムは火に弱い。半端な火力だとその身体に触れた瞬間に消えてしまうが、蒸発させれば再生することはない。彼ら自身それをよくわかっているのか、一般的なスライムは松明ほどの火からは逃げようとする。
要するに、テナーがスライムを倒すのはほぼ作業でしかない。
和太鼓を出して、叩いて、燃やす。そんな作業にもまたテナーは飽きつつあった。
『今日はよく遭うね』
「そうだね。これで、魔法が使えなかったら大変ってどころじゃなかったかも」
『うん。テナーが一緒で良かった』
恥ずかしげもなくソプラが笑うので、テナーは照れたように顔を赤くする。
すぐにテナーは顔を逸らしたけれど、その胸の内でソプラのために頑張るのだとやる気を取り戻した。