三音目
次の日。ソプラに自分のベッドを渡したテナーはせめてもと渡された毛布の上で目を覚ました。
この毛布も本当はソプラに使って貰うつもりだったが、それ以前にソプラが自分は地面で寝るのに慣れているからと一向にベッドを使おうとしないので、落としどころとしてソプラがベッドテナーが毛布と言うことになったのだ。
少し痛い体を起こすと、テナーは目を擦りながら水を飲み顔を洗う。
それからいつも通りに朝食を作り始めた。
作り始めたと言っても、パンを焼いてスープを作るだけなのでさほど時間もかからなかったが。
二人分作った朝食をテーブルの上に持っていくと、少し考えてソプラの様子を見に行く。
ベッドの上、気持ちよさそうに眠るソプラはとても無防備で、テナーは湧き上がる感情を抑えながらソプラを起こすために揺さぶる。
「ソプラ、ご飯出来てるよ」
肩に触れテナーはソプラを揺すっていたが、当たり前のように音はしない。
ぼんやりと目を開けたソプラがのっそりと体を起こす時も同様。
目を擦りながらソプラがテナーを不思議そうな顔で見ていたが、一連の動作で衣服が乱れていたソプラを見たテナーはサッと後ろを向くと「ご飯出来てるから準備が出来たら来て」と言って後ろ手にドアを閉めた。
寝室を出た後、テナーは激しく鼓動する心臓を収めながら「何か変なところ無防備なんだから」と漏らす。
しかし、赤くなったその顔は苦言を呈しながらも嬉しそうに見えた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
昨日のままのボロ切れを、それでも何とか正したソプラがリビングに現れた時、パンとスープと言うまともな朝食に感動を隠しきれなかった。
それを見たテナーは嬉しそうに「早く食べよう」と声をかける。
頷いたソプラは完成されたかのように優雅な動作で椅子に座ると、昨日とは違い行儀よく用意された食事を食べ始めた。
その一連の流れはテーブルマナーなどまるで覚えのないテナーですら、上品だと思ってしまうほど。
恐らくこちらが通常のソプラなのだろうと思うほど自然な動きはテナーを驚かせた。
それと同時に、こんなに育ちの良さそうな少女がボロ切れの様な服を着て森の中に居たと言う事実がテナーの想像力を駆り立てる。
「今日はいつも通りに見回りをしながら、出来るだけ準備してみるよ」
ソプラは実は元々高い身分の子で、でも、悪い奴のはかりごとで没落してしまったんじゃないのか、と言った想像から来る興奮を表に出さないようにテナーが言うと、ソプラは頷く。
それを見たテナーは話を続けた。
「ソプラには悪いけど、今日は一日ここにいてくれないかな?
カーテンを開けなかったら何をしていてもいいから。あと、昨日言っていた通り服を貸したいから、そこのタンスにある服から好きなのを選んできていてくれない?」
テナーがそう言って木製のタンスを指さした時「テナー起きてる? 見回りに行くよ」と外からルーエの声が聞こえてきた。
テナーは「今行く」と外に声を返すと、慌てたように「それじゃあ、行ってくるから」とソプラに声をかけて家の外に飛び出していった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
今日の天気は曇り、村の外周をテナーとルーエは歩いていた。
そんな中ルーエがふと足を止めテナーの方を見る。
その目は何処かテナーを責めているようで、怖気づいたテナーが虚勢を張った。
「どうしたのルーエ。見回りしないと」
「ねえ、テナー。昨日星について聞きまわっていたって本当?」
「何の事?」
ソプラの事を感づかれたのかとテナーが白を切ると、ルーエが強い口調で「お姉ちゃんに聞いたの」と返す。
ルーエがお姉ちゃんと呼ぶのはアフェットの事だと分かっているテナーは昨日口止めしておけばよかったと苦い顔をしたが、すぐに開き直ったように口を開いた。
「うん、聞いたよ。でも、ルーエには関係ないよね?」
「どうしてそんな事調べようと思ったの?」
「だから、ルーエには……」
「どうして?」
有無を言わせないルーエの剣幕に、テナーは目を逸らし「ちょっと気になっただけだよ」と弱弱しく返した。
「本当?」
「本当だよ」
「……まあ、分かった」
ルーエは一人何か納得したように頷くとテナーに背を向けて歩き出す。
「全くなんだったんだよ」
釈然としないテナーは悪態をついたけれど、それ以降は黙ってルーエの後をついて歩いた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一人テナーの家の中に残されたソプラは、しばらくベッドの上に横になっていた。
テナーがソプラを一人家の中に置いておいても不安なく外に出て行ったのは、今のソプラがどんな行動をテナーの家で行ってもその音で存在を悟られる心配がないから。
ソプラ自身もその事は了解していて、分かっているからこそ本当は歩き回ってもいいのだけれど、久しぶりのベッドから離れる事が出来ないと言った心境。
しかし、ベッドの魔力に負けていはいけないと思い切って体を起こすと、テナーに言われていた通りにタンスの方へと向かった。
何の飾り気も無いタンスの引き出しを開けると、決して良い素材で作られたわけではない服がきれいに並べられている。
良い素材じゃないと言っても、今のソプラが来ているワンピースに比べればどれもこれも上等なもので、ソプラはその中から一つ選び取ると広げて見てみた。
仮に今後とも一人で行動することになっても、目立たないと言う事は重要になってくる。
目立たないとはつまり街に溶け込める恰好。女の子ならば女の子らしい恰好。
その観点から見て今手にもつシャツは駄目かなと思ったソプラは元あった通りに畳もうと一度綺麗に広げる。
それから、服を折り曲げるが元通りにならないどころか、綺麗に端が揃わずぐちゃっとなってしまった。
ソプラは自分のしてしまった参事を不思議そうな目で見ると、まあ何とかなるだろうと次の服を取り出した。
結局、黄色の長袖シャツと茶色の長ズボンを身に纏ったソプラの周りには沢山の脱ぎ散らかしたかのような衣類が散乱していた。
勿論、一つ一つはソプラなりに畳んではあるのだけれど。
どうしても上手く行かない作業に途方に暮れ始めていた時、家のドアが開く音がした。
ドアが閉まる音がした後でテナーの声が響く。
「ソプラ、ただい……ま?」
いつも自分が着ている服をソプラが着ていると言う違和感と、その周りの惨状にテナーが言葉を失う。
それを見る事も無く、ソプラは一枚の紙を顔の前に持って行っていた。
そこには小さな字で『ごめんなさい』と書かれている。
テナーはそんなソプラを怒る気にもなれず、一つ溜息をつくと「畳み方知らなかった?」と声をかけた。
頷いたソプラの隣にテナーは移動すると、散らかっている服の中から一枚手に取る。
「一枚畳んでみるから見といて」
そう言っていつも畳むようにサッと、一枚畳むとソプラの方を向いて「分かった?」と尋ねる。
ソプラは少し首を傾げながらも、一枚手に取りテナーの畳み方を思い出しながらゆっくりと折り曲げ始めた。
それをテナーが上手くできているなと頷きながら見ていると不意にソプラの手が止まる。
ソプラが助けを求めるかのようにテナーの顔を見た。
「えっと、ここは……」
畳みかけの服を受け取ると、テナーはパパッと畳んでしまう。
ソプラはやはり首を傾げて、近くにあった紙とペンを取り出すとササッと文字を書きつける。
『もう少しゆっくり』
「あ、ごめん」
自分がソプラの事を考えずにやってしまっていた事に気づかされたテナーは反省してもう一度今度はゆっくりと服を畳む。
それをソプラがきちんと真似するのを見ながら無意識のうちに「そうそう、そんな感じ」と声に出していた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一通り片づけ終わって、ソプラがテナーに問いかける。
『そう言えば、お仕事終わったの?』
「そうだ、ご飯を食べに帰って来たんだけど……」
そう言いながらテナーが外を見る。
テナーが帰って来た時には真上にあった太陽が目視できるくらいには傾いていて、テナーが困った顔がした。
それを見たソプラは申し訳なさと、声を出せないことに対するもどかしさで俯く。
「そんな、ソプラが悪いわけじゃないんだから。
でも、簡単なもので我慢してくれる?」
ソプラがゆっくり頷くのを見て、テナーはパンを焼き始める。
焼きあがったそれに特に何もつける事はせずに、片方の手で掴むと口にくわえながら家を後にした。
「テナー遅い」
「ごめん、ちょっと立て込んでて」
「立て込む……ねえ。まあ、いいけどね。久しぶりにテナーがちゃんと魔法を練習するって言うんだから」
午前中見回りを終えたテナーは、ルーエに午後から練習に付き合って欲しいと頼んでいた。
ソプラについて行くにあたって少しでも強くなっていた方がいいと思ったから。
ルーエは急な申し出を不審に思ったが、それ以上に久しぶりにテナーがやる気を出してくれたことが嬉しくて快く引き受けた。
「それでテナー。魔法の基本は?」
「基本って……子供じゃないんだから」
「良いから」
ルーエに念を押されてテナーがしぶしぶ返す。
「音でしょ」
「そう、音。正確には楽器から鳴る音。その楽器も普通の楽器じゃなくて自分の魔力を形にした楽器じゃないといけない」
「分かってるよ、それくらい」
テナーが少し不機嫌に返しても、ルーエは気にせずに話を続ける。
「一人が使える魔法は基本的に一つだけ。私は風の刃でテナーは炎の球」
「……でも、ルーエ飛ぶように移動してたよね」
この前やられた時の事を思い出して、テナーが口を開く。風の刃しか出せないはずのルーエがどうしてあんな高速移動が出来たのか。
魔法の基本を逸脱しているのではないかといぶかしげな目をルーエに向けた。
「そう、そこがテナーの一つの問題点」
「問題点?」
「テナーは自分が炎の球を飛ばす事しか出来ないと思っているでしょ?
でも、炎の球だっていくつもたくさん縦に伸ばしたら炎の柱になるって思わない?」
「確かに……」
「出来る事は一つだけど、それをどう使うかをテナーは考えていなかった……というか教えていなかったんだけどね」
そう言うルーエにテナーはムッとした表情を見せる。
「どうして教えてくれなかったのさ」
「だって、テナーが話を聞こうとしてくれなかったもの」
「それは、ルーエが……」
とそこまで言ってテナーは口を閉じる。今日は強くなるためにルーエに来てもらったのにここで機嫌を損ねられた方が困る。
恐らくルーエもテナーが言いたかったことはわかっていたのだろう、意地悪そうな顔をして「私がどうしたの?」とテナーに尋ねた。
「そんな事より、教えてくれるんでしょ?」
「はいはい」
ニヤニヤと笑うルーエにテナーは納得がいかなかったがぐっと我慢してルーエの話に耳を傾ける。
「基本的な事は音を出すだけで何とかなるんだけど、私がやったみたいに複雑な事は“旋律”が重要になってくるの」
「旋律って?」
「音の高低や長短の事。単音だとその一つの音だけの動きしか出来ないけど、旋律として流れを作ってあげると、直進、上昇、下降みたいに魔法を操れるんだよ」
「だから、ルーエを乗せた刃があんなに自由に動いていたって事?」
首を傾げながらそう返したテナーにルーエが「半分正解」と答えた。
「後は囚われ無い事かな。風の刃は何も相手を切り裂くだけの魔法じゃないんだよ」
「つまりどういう事?」
「使い方しだいって事。テナーは旋律なんてなくても出来る事をしてなかったんだけど、何だと思う?」
ルーエに問われテナーは首を傾げる。
魔法が使えるようになって一年。今回のように教えられていなかったことはわからなくても、すでに出来る事をしていないとはテナーは思いたくなかった。
それくらいに、自分は魔法を使いこなしていると思っていたのだ。
そのような前提で考えてもテナーに答えなど出るわけなく、すぐに白旗を上げる。
「降参。何?」
「楽器の出し入れだよ」
「いや、それくらいちゃんとやってるよ」
真面目な顔でルーエは言うけれど、テナーにしてみればそんな初歩中の初歩が出来ていないと言われたようでムキになって和太鼓を出現させる。
ルーエは待っていましたとばかりに篠笛を出すと、不意打つように刃を飛ばした。
驚いたテナーは大きく後ろに飛び退いた後、ルーエに「何するのさ」と文句をつける。
「ほら、そうやって楽器出しっぱなしでしょ?」
「ほら……って」
テナーがルーエの指差した方を見ると大きな和太鼓がふわふわとテナーの方に近づきつつある。
それでも首を傾げるテナーにルーエはやはり真面目な声を出した。
「今のだって、楽器を一度戻して再出現させればすぐに反撃に転じられるでしょ?」
「あっ……い、いや、でも、楽器を出せるのだって無限ってわけじゃないから」
「私相手に温存する必要もないよね。それに、「あっ」って言ってたし」
そう言って笑うルーエにテナーは何も返すことが出来なくて、代わりに悔しそうな顔をしていた。