二十九音目
「アニマート、今日も来てくれたんですね」
塀に囲まれた庭園。塀の上に人影が見えたユメは嬉しそうに駆け寄っていく。
ユメがアニマートと出会って数か月、アニマートは度々ユメのもとに訪れるようになり、初めはアニマートを思ってすぐに帰るように言っていたユメもアニマートが来ることを楽しみにするようになった。
「何て言うか、ユメももう慣れっこっスね。以前はアニマートに早く帰れって煩かったっスけど」
「今でも、危ないなとは思うんですよ? ですが、アニマートからしか外の世界の話は聞けませんから。
アニマートこそ、どうして私の所に来てくれるんですか?」
「同じ年代の女の子がユメ以外居ないっスから。いや、居るとは思うんスけど、演奏者をやっているとなかなか知り合えないんスよ」
「そういうものなんですね」と感心するユメは、愚痴を言うアニマートに「私はアニマート以外こうやって話せる人は、今はいませんよ」と小首を傾げた。
アニマートはバツが悪そうに頭を掻く。
「今はって事は昔は居たんスね」
「いましたよ。だいぶ年上の女性でしたけれど、この庭園に出られない間は度々来てくれていました。
ここ数年は別の仕事で忙しいらしくて来られないんだって、聞きましたね」
「ユメは寂しくないんスか?」
「最近はアニマートが来てくれますから。それに、彼女も頑張っているのでしょうから、私も負けてはいられませんよ」
花を咲かせたように笑うユメをアニマートはじっと見つめ、間もなく息を吐いた。
「美人は得っスよね」
「どうしたんですか、急に」
「いや、ユメってどうしてこんなに美人なのかなと思っただけっスよ。
アニマートもユメくらい美人だともっと皆にちやほやして貰えると思うんスけどねえ」
首を振るアニマートが、ユメを見て「何笑っているんスか?」と頬を膨らませる。
「アニマートは十分可愛らしいじゃないですか」
「町ではそれを子供っぽいというらしいっスよ」
拗ねてそっぽを向くアニマートを見て、子供っぽいなと思ったユメだが口にはしない。
代わりに思い出したように手を叩いた。
「そうでした、今日はアニマートに見てもらいたいことがありまして」
「ユメが、アニマートにスか?」
首を傾げるアニマートに、ユメは目を細める事で返し、塀の方へと近づいて行った。
一度塀に手をついて、数歩後ろに下がる。
「では、行きますね」
アニマートに声を掛けて、ユメが塀の方へと走って行った。
何をするのだろうかと、黙って見ているアニマートの前で、ユメは垂直に塀をのぼり出す。
飛んでいるわけではなく、微妙にある窪みを使っていて、走っているという感覚に近い。
一番上まで行くと、腰を下ろしてアニマートに手を振り、そのまま跳び下りた。地面に足が付くと同時に膝を曲げ衝撃を緩和して、どうにもできなかった分は魔法で治癒する。
「どうでした?」
「どうでした……って、もしかして、ユメ魔法も使わずに上ったっスか?」
「そうですけど、アニマートは違ったんですか?」
「やっている事は似たような事っスけど、アニマートは魔法ありきっすよ」
アニマートの言葉を聞いてキョトンとしたユメだったが、すぐに帰りがけにアニマートが楽器を持っていた事を思い出した。
「あの楽器は魔法を使うために持っていたんですね」
「ユメってどこか抜けているっスよね」
アニマートがアコーディオンを出現させる。それを蛇のように動かし、鍵盤を叩くと壁から突起が生えてきた。
生えた突起は一瞬で元に戻ってしまうが、次々に現れる。
「足場を作って登ってきていたんですね」
「まあ、こうやって登るのも大変なんっスけどね。でも、ユメの方が凄いっスよ。
何でそんな事が出来るんスか」
驚き荒れたと言わんばかりのアニマートに、ユメは照れたような笑みを浮かべた。
「アニマートが出来るなら私にもできるだろうと思いまして。
アニマートが来ない時は時間になったら箏を弾く以外はすることがありませんから、練習していました」
「練習して出来るものではないと思うっスけどね」
「私の魔法を使えば、休まずずっと練習できますからね。身体を動かすのが楽しくて、他にも色々やっていたんですけれど。
走るのも早くなったんですよ?」
「なるほどっス。ユメはズルいっスね」
ユメの能力の飛躍について理解したアニマートが羨望の目をユメに向けた。
対してユメは唇を尖らせて、不満をあらわにする。
「でも、この町の皆さんも同じことをやっていたというわけですよね?」
「ま、そっスね」
言ってアニマートが笑い、続いてユメもつられて笑う。
話がひと段落したところで、改めてアニマートが話し出した。
「実際、可能であることと出来る事は違うっスからね。出来たユメは凄いと思うっスよ。
非常識と言えば、非常識っスけど」
「私は他にやる事がなかっただけですから」
「何にせよ、これでユメと町を見て回れるっスね」
「……私が? アニマートと?」
ユメが瞬きする中で、アニマートが頷く。
「だって、壁を越えられるんスよ? と、言うか、ユメは越えたくて練習してたんじゃないんスか?」
「いいえ。本当にアニマートが出来るから私も出来るかなと思っただけですよ。
ここから出るのも許されていませんし」
どうしてもちぐはぐに見えてしまうユメに、アニマートが大きなため息をついた。
「今だって、ユメは此処に居ちゃ駄目っスけどね。でも居られるのは何でっスか?」
「定期的にしか人が来ないから、人がいない間に会っているんですよね」
「じゃあ、人が来ない間にちょこっと抜け出しても誰も気が付かないと思うっスよ」
ユメの目が驚きから、期待へと変わっていく。
「私、町に出られるですか!?」
「急に食いついてきたっスね。でも今すぐは無理っスよ?」
「まだ時間は……」
「今のユメの服は目立つっスからね。今度ユメの服を適当に持って来るっス」
待てと言われた子供のようにしゅんと勢いを無くしてしまったユメだったが、「約束ですよ?」とアニマートの手を取った。
後日、アニマートが何やら袋を持ってユメの所へやってきた。
「約束通り持って来たっス」
「これ、前にアニマートが着ていた服ですよね?」
「ちゃんと洗ってあるっスよ?」
自分が着ているものよりもはるかに安い服を広げてはしゃいでいるユメを、アニマートは何とも言えない気持ちで眺める。
「これを着ればいいんですよね」
「ちょっと待つっス」
その場で着替えようとするユメにアニマートがストップをかける。
白い背中が晒された状態で手を止めたユメが不思議そうな顔をした。
「どうしたんですか?」
「ここで着替えるのはどうかと思うっスよ?」
「でも、男性はいらっしゃいませんよ?」
「そこはわきまえているんスね……ともかく別の所で着替えるっス」
釈然としないが、ユメはしぶしぶ隠し扉の向こう側に行き、扉の隙間から入るわずかな光で着替える事にした。
少し手こずりながらも、着替え終わったユメがアニマートの元へ戻る。
「えっと、こんな感じで良いんでしょうか? アニマートが着ていた時よりも露出が……」
「言いたい事分かるっスけど言わないでほしいっス」
「アニマートどうしたんですか、落ち込んだ顔をして」
自分とユメの体型の違いに絶望したアニマートは、現実を直視しないように身体をすっぽりと隠してしまえるローブをユメに手渡した。
「とりあえず、これを着ておくっス。最初はユメの服を買わないといけないっスね」
何に落ち込んでいるかわからないユメは、受け取ったローブを身に纏い首を傾げていた。
二人で塀を超えて、町中を歩く。ことある毎に足を止めてしまうユメを何とか衣料品店へと連れていき、ユメに合った服を着せるとようやくアニマートが安心したような顔をした。
「すみません、お金持っていなくて……」
「最初から分かっていたから別に良いっス。こうやってユメと町を歩いてみて思うんスけど、本当にユメって知られていないんスね」
「顔を合わせた事がある人は殆どいませんでしたから」
「でも、チラチラ視線は感じるんスよね。アニマート一人の時は全くなんスけど」
「私、どこかおかしいでしょうか?」
心配になってユメは自分の姿を確認するが、アニマートは白けた目で視線の元を見つめていた。
「ユメは変じゃないっスよ」
「だといいのですが……では、どうして見られてしまうんでしょうか?」
「ユメは知らなくていいっス。それよりも、ユメは何処か行きたいところとかあるっスか?」
「えっと、それではアニマートの家に行ってみたいです」
思いがけない返答に、思わずアニマートが足を止めユメを正面から見る。
「何もないっスよ?」
「行ってみたいんです」
「仕方ないっスね」
諦めたようにアニマートが頷いたのを見て、ユメが嬉しそうに礼を言った。
町の外側にある、活気の少ない場所にアニマートが拠点にしている家がある。
連れられて中に入ったユメは、小さな空間に色々なものが置かれている事に感動すら覚えていた。
「適当に座ってていいっスよ」
「適当に、と言いますと……」
「そこの椅子に座っていてほしいっス」
「分かりました」
改めてユメの世間知らずを実感しながら、アニマートはキッチンへと向かう。
お湯を沸かして、お茶を淹れて。作り置きしておいたクッキーを持って行くか悩んで結局持っていく事にアニマートは決めた。
舌が肥えているであろうユメに、自分の作ったもの持って行くのは気が引ける面もあったが、今は久しぶりの来客が嬉しかったから。
「とりあえず、お茶を淹れて来たっスよ。口に合うかはわからないっスけど、お菓子もあるっす」
「ありがとうございます。何だかこういうのは久しぶりです」
「そう何っスね」
「はい、前にも話したと思いますが、昔良くしてくれていた人がお茶とお菓子を持ってきてくれていました。
こうやって、外の話を聞かせてくれていたんですよ」
「今日から、外の話じゃなくなったっスけどね」
「そうですね」
顔を綻ばせたユメは「頂きます」とテーブルの上のクッキーへと手を伸ばす。
それを口へと運ぶまでの間、アニマートは必死にユメを観察していた。
「美味しいです……えっと、どうしたんですか?」
「いや、良いもの食べてそうなユメがアニマートの作ったお菓子を食べてどんな反応をするかと思っただけっスよ」
「これ、アニマートが作ったんですか?」
顔を近づけてきたユメに、アニマートが「そうっスけど、ユメも作ってみるっスか?」とたじたじになりながら返す。
ユメはアニマートの手を取って「良いんですか」と目を輝かせた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
ユメが壁を越えられるようになって、さらに数か月。アニマートの家にやってきていたユメにアニマートが真面目な顔をして話しかけた。
「そろそろこの町を出ようと思うんスよね」
「そうなんですか!?」
「もうしばらくは居るっスけど。お父さんほったらかしスから」
「アニマートにもご両親は居るんですよね」
感慨深そうに言ったユメにアニマートが慌てて謝る。
ユメは気にしていないと手を振って「どんな方なんですか?」と尋ねた。
「頭の固い父親っスよ。アニマートがこんな風に話すのが嫌らしくってスね、喧嘩になったから家を飛び出してきたんスよ。
一応アニマートがトーベントに居る事は知っているみたいっスけど。
多分もう喧嘩に勝てると思うので、決着だけつけに行って来るっス」
「喧嘩をするために帰るんですか?」
「……たまには顔を見せてやろうって言う娘心っスよ。
喧嘩別れっスけど、アニマートは嫌いじゃないっスから。頭は固いっスけど、自分のやりたいことに妥協しない所とかは尊敬してるっス」
しおらしくなったアニマートを微笑ましくユメが思っていると、アニマートが「何、にやけているんスか」と怒り出す。
ユメは首を振って「また、会えますよね?」と問い質した。
「もちろんっス。っと、そろそろ時間じゃないっスか?」
「本当ですね、それでは、また」
ユメは手を振りアニマートの家を後にした。
教会の前までは大して気を遣わずに、教会まで来たら誰にも見つからないように辺りを見回す。
「大丈夫みたいですね」
「何が大丈夫なんですかな。ユーバーアルディタメンテ様」
「あの……えっと……」
お目付け役とも言える、教会の牧師の男性に声を掛けられユメがうろたえる。
牧師は呆れた目でユメを見ていた。
「どうやって抜け出したのかは分かりませんが、大切な身なのですから外に出られては困ります」
「……はい、すみませんでした」
「しばらくは、部屋の中だけで過ごして貰いますよ。庭園には人を配置しておきますから、隠れて外に出ようとしないでくださいませ」
「わかりました」
すっかり落ち込んでしまったユメを牧師は先導するように庭園から行ける隠し部屋まで連れて行った。
翌日、ユメはせめてアニマートにしばらく会えないことと庭園に来てはいけないことを伝えようと夜になるのを待っていた。
昨晩様子を窺っていた感じ、夜には見回りは居ないらしいから。
昼も夜も無いような部屋ではあるが、自らの務めの為に人が来るので、ある程度は時間を把握できた。
夜になり、ユメがこっそりと庭園に出てみると案の定、誰もいない。
月明かりの下、壁を乗り越え、アニマートの家に向かう途中夜だというのに妙に騒がしい事に気が付いた。
「何があっているのでしょう?」
不思議に思ったユメは明かりの方へと向かう。
この日は妙に冷え込んでいるのか、ユメは何度も身震いをしながら、人だかりにたどり着いた。
人が多すぎて前には行けないが、何度か歩いたことのある道に見慣れない台が作られその上に暗くて見えにくいが誰かが棒のようなものに縛りつけられている。
「あの、これは何なのでしょうか?」
近くにいた人にユメが問いかける。問いかけられた男性は興奮しているようだったが、説明を始めた。
「あの少女が巫女様をかどわかしていたらしい。まあ、当然の報いだな。
そう言えば、以前にも似たような事があったな。何と嘆かわしい事だ」
話し終えた男性は足元の石を拾い、台の上の人物に投げつける。
気が付けば、他にも石を投げつけている人が沢山いた。
何だか嫌な予感がして、ユメは台の上の人物が見える位置を探して移動する。
「聞いた話だと、巫女様の力によって殺されかけては、治療され、また殺されかけてってのを繰り返していたらしいよ」
「当たり前よね。トーベントを壊滅させようとしたんだもの。あたしも参加したかったよ」
「前々から、怪しいとは思っていたんだ。とうとう化けの皮が剥がされたみたいだねえ」
町人の勝手な話がユメの耳に入ってくる。しかし、お構いなしに移動を続け、ようやく顔が見えた時、ユメは目を丸めた。
「アニマート……」
台の上には、槍で心臓を突かれすでに息絶えているアニマートが晒されていた。
プツリとユメの中で何かが切れる。自分の周りにいるものが人ではない何かにしか感じられなくなった。
目の前が真っ赤になる。それは、たった今ユメが首を切り裂いた人から吹き出す血の為か、それともユメ自身の問題なのか。
ユメには考えているだけの余裕も何もなく、後に史上最悪のモンスター事件と呼ばれる惨劇が始まった。




