十九音目
先ほどまでの静寂など無かったかのように、町は騒然としていた。人々が走り回り、泣き声が聞こえ、怪我した人が運ばれていく。
門の前には人だかりができていて、四人はかき分けるように一番前に出た。
そこには、血だらけの男性が何人も寝かされていた。その中の一人にセグエが近寄る。
「どうして、カルモさんまで」
「急に……何体も来たからね……僕の魔法は……知っているだろ?
セグエ……が、僕の事を……心配するなんて、明日は……」
カルモと呼ばれた男性の身体から力が抜ける。名前を呼び続けるセグエの隣でルーエがカルモの腕を取った。
「大丈夫、眠っているだけみたいだから。でも、早く治療はしないと」
ルーエの言葉にソプラの腕が、ピクッと動いた。しかし、それは一瞬で誰も気が付かない。
一方、多量の血を見てしまい少し気分が悪くなってきたテナーだったが、死人が出わけではないと知りわずかに安堵した。
「セグエ早く外に出たいんだけど。これ以上被害を出さないうちに」
「は、はい」
ルーエに急かされ、セグエが町の人に事情を話し三人を門の外へと案内する。
四人が門の隣にある監視室に入った時、ルーエが足を止めた。
「テナー、大丈夫?」
「だ、大丈夫だよ。あれくらい」
自分が血に怖気づいていた事を悟られていたのかと、テナーが強がる。
しかし、ルーエは冷静なまま、低い声を出した。
「今から戦うのは、一歩間違えたら命を落とすような敵。悪いけど、足手まといは居ない方が良い」
「……ルーエはあの人達を見て何とも思わないの?」
「思う所はあるよ。でも……彼らよりもひどい状態になった所を私は知ってるから」
ルーエの目が遠くをみる。そんな所が存在していたのかとテナーは内心驚いたが、一つテナーにも心当たりがあった。西にあったという最悪のモンスター事件が起こった町。
「私達が死ねば、もっと多くの人が死ぬことになるんだから、こういう時だからこそ演奏者は冷静でいないと」
「……うん、もう大丈夫」
尊敬と感心、自分の甘さへの戒めを込めてテナーが頷く。
先ほどとは目の色が違うテナーを見て、ルーエは外へ通じるドアのノブに手を掛けた。
「最初、私が注意をひきつけるから、少ししたら出て来て」
ルーエはそう言って、テナーの反応を待たずに外に飛び出した。
外には、ざっと十以上の狼。大きさからして、タイミングよく現れた方だとルーエはすぐに気が付いた。
「まあ、予想通りなんだけど」
ルーエの存在に気が付いたモンスターは、すぐに飛びかかってくる事なく、しかしいつでも飛びかかれるように低い姿勢で様子を窺っている。
注目が自分に向いていることを確認したルーエはすぐに駈け出し、篠笛を吹いて弧を描くように陣取っていた狼の上を走って背後に回り込んだ。
狼がすぐに向きを変えルーエを円状に取り囲み始める。
ルーエは考える。どうやって安全に倒すかを。恐らく、怪我を恐れなければ一人で倒しきれるだろう。しかし、一撃でも喰らえば致命傷になる可能性も大いにあるため、無理は出来ない。
目的を果たすまでは死ぬわけにはいかないから。
ルーエが考えている間に一匹がルーエに飛びかかって来た。カウンターで魔法を使おうとしたが、反対側の狼が動く音がしたので開いた穴からルーエは円の外に逃げ出した。
逃げるルーエの左右を塞ぐように狼が並走する。しかし、こうやって逃げるだけなら安全に行えるかと、ルーエは逃げに徹することにした。
外に出たテナーが見たのは、十数匹の狼に追われるルーエの姿。しかし、すべるように地面を移動し、時に空を駆けるように逃げるルーエを、狼は捕まえる事はなさそうで安心した。
同時に不安にもなる。目の前の強い狼も青い炎ならば一撃で屠る事が可能だろうが、ルーエが好き勝手動くので誤ってルーエに当てしまうかもしれない。
当ててしまった場合にどうなるかは考えるまでもないだろう。
ひとまず、炎を出さなければ始まらないとテナーが和太鼓を叩くと、ルーエを追っていた物の内数匹が足を止めテナーの方を向いた。
一歩テナーの方へ歩みを進めようとした狼の足元に、風の刃が襲い掛かる。
ルーエの牽制に飛び退いた狼はターゲットをルーエに戻し追いかけっこを再開した。
その間にテナーは準備を終えたが、やはり狙いを定めることが出来ない。
撥を構えたまま動かないテナーを見て、ソプラがテナーの手を掴んだ。
『ルーエの音をよく聞いて』
「ルーエの音を?」
聞こえてくる篠笛の音に耳を澄ませる。風が歌っているかのような音はメロディを奏で殺伐した戦闘の場だと言うのに心惹かれる。
初めは演奏として完成していると思ったが、ふと、テナーの中に物足りなさを感じた。
篠笛の鋭くも爽やかな音の中に何かアクセントがあれば、元の音が引き立ちもっと良くなるはずなのに。
そこでテナーは目の前の和太鼓の存在を思い出した。
試しに叩いてみる。いつものように真っ直ぐ炎が飛んで行く。
今度はルーエの音に合わせて、ダッダッダとテンポを取るように。最終的に和太鼓の音も時折目立たせるように。
テナーはルーエの動きを全く追っていなかったが、和太鼓に操られる炎はまるでルーエと踊るように複雑な動きをしていた。
自分を守るように動く青い炎に、ルーエは一瞬恐怖した。狼を一瞬で墨にする火力を持つ炎球に近づくだけでもかなり熱いのではないかと思ったから。しかし、そんな事は無く、ルーエは魔法と言うものに瞬く間思いをはせる。
しかし、現状を思い出し、すぐに演奏に集中した。
テナーの炎が粗方狼を倒してくれる。自分も攻撃に移って大丈夫だろうと思ったルーエがメロディを転換させる。少し荒々しい印象を持つようになったメロディに青炎はピタッと動きを止めた。
しかし、すぐに動き出す。今度はルーエを守る事無く攻撃的に。
ルーエの風の刃とテナーの青い炎球は、的確に、確実に狼を死へと追いやる。
間もなくすべての狼を倒し終えた所で、逃げるように男たちがやって来た、後ろには狼を引き連れていた。
「早く中へ」
ルーエの存在を疑問に思いながらも、血だらけの男たちは助かったとばかりに門へと急いだ。その後、テナーとルーエは空が赤くなるまで、安全を掻く確保しながら怪我人が帰ってくるのを待っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
オフィスに戻った一行は深刻そうな顔でテーブルを囲んでいた。
「モンスターが現れるようになったのは一年前からなんだよね」
ルーエの問いかけに、セグエが頷く。そのままルーエはテナーの方を見た。
「テナー一つ聞きたいんだけど、星ってモンスターを強化させたりとかしない?」
「……たぶん、させる」
「となると、かなり厄介だね……知恵をつけてるんじゃないかな。このモンスター」
「どういうこと?」
怪訝な顔をしたテナーに、ルーエが説明を始める。
「今日戦った大きい方の狼。統率がとれていたでしょ? 少なくとも囮を使う、みたいな頭がある事は確実。
それから考えたくないけど、繁殖も計画的にやっていると思う。群れの中で弱い、小さい奴は群れから追い出されて囮に使い、強い奴が今回みたいに良いところを持って行く。
一回しか使えないこの策の為に、一年間も使ったと考えると本当に厄介。本拠地であるアンティコ遺跡には、強い方がそれこそ数十単位で居るかも」
「じゃあ、ルーエはどうしたらいいと思う?」
「星を取り戻す事かな。テナーの話を聞く限りだと、星がなくなったら群れが崩れて少なくとも今よりはましになると思う。
セグエは無理って言っていたけど、町の演奏者の中には大きい方を倒せる人もいるでしょ?」
「いますね……今は怪我していますが……」
セグエが目を伏せる。恐らく、カルモと言う人物がその一人だったのだろうと当たりをつけたルーエはテナーを見た。
「明日、アンティコ遺跡に行こうか」
「分かった。ソプラも大丈夫だよね」
『早く音を取り返したいから、大丈夫』
「まってください。流石にお姉さまと言えど危なすぎます」
「でも、わたし達もいつまでもここにいるわけにはいかないから」
「それならわたしも……」
「セグエは町を守らないといけないでしょ?」
ルーエの指摘に、セグエは歯がゆいと感じながらも頷く。
ルーエはセグエに心配をかけないように「大丈夫、私は強いから。お祝いの用意でもして待っておいて」と笑顔を作った。
セグエと別れて三人は宿へと戻り、一同はテナーの部屋に集まった。
それぞれ昨日と同じように座ったところで、テナーがルーエに問いかける。
「明日遺跡に行くのは良いんだけど、何か用意するものってある?」
「万全な体調と精神」
「そう言うのじゃなくて……」
『いいんだよ。テナー達は演奏者なんだから』
ソプラに諭されてテナーが納得する。何故納得できたのかルーエには分からなかったが、話を続ける事にした。
「テナーの言う準備として、一つ聞いておきたいんだけど良い?」
「何?」
ちょっと不満そうな声でテナーは言うが、ルーエは全く気にする様子はない。
「既にいくつか星を集めているんだよね? どんな風に手に入れたの?」
「まだ一つだけど……スライムが取り込んでいたから、倒して手に入れたかな」
「つまり、取り込んだモンスターが強くなるって事だよね」
テナーが頷いたのを見て、ルーエが「親玉が居るって事か」と呟く。
少しして、ルーエが気を取り直したように顔を上げた。
「明日は基本的に今日みたいに私が囮でテナーが殲滅って感じで数を減らしたいんだけど、テナー出来る?」
「もちろん。でも、ルーエの負担が大きくない?」
「逃げるだけなら何匹来ても大丈夫。何なら百匹と一対百の追いかけっこでも勝てる自信あるよ」
誇張などまるで感じないルーエの言葉に、テナーが半信半疑ながら了解する。どうやるのだろうかと、テナーが考え始めた所で一つルーエが恐れていない理由を理解した。
「そっか、最悪空に逃げればいいもんね。そこから牽制すれば良いわけだし」
「最悪空に逃げればいいのはあるけど、加えて牽制は無理だよ。二三歩踏み台の変わりにするならまだしも、居続けるには神経を使って他の事が出来なくなるから」
「じゃあ、どうやって……」
「テナーには内緒。でも、ちゃんと囮はするから、テナーは準備よろしく。
ところで、テナーの青い炎ってどれくらい維持できるの? あと出せる数とか分かる?」
「えっと……試した事ないかも」
「折角炎の温度に気が付いたのに、やっぱり抜けてるんだね」
呆れの息と共に言われた言葉に、テナーが何か言いたそうにルーエを見る。
しかし、何も言わずに飲み込んでしまった。
『じゃあ、今から調べてみたら?』
首を傾げるルーエにテナーがそのままの言葉を伝える。
次いで自分の言葉を述べる。
「流石にここで太鼓を叩くのは躊躇うんだけど」
「大丈夫じゃない? 私達以外泊まっていないみたいだし、今日の件で宿代もタダになったし」
「確かに、報酬を貰わない代わりに好きなだけ泊まり続けていいって言われたけど……」
『でも、自分の能力の確認は大事だよ』
「うーん……」
テナーが良識と現実との狭間を彷徨い始めてから、しばらく経った頃いつの間にか外に出ていたルーエが部屋に入って来た。
「ルーエ何処に行ってたの?」
「店主さんに聞いてきたけど、太鼓、叩いて良いって」
先ほどまでのテナーの迷いなどどこ吹く風と言った様子のルーエに、テナーは驚き瞬きをするしかなかった。
『じゃあ、テナー。頑張って』
純粋なソプラの笑顔を久しぶりに見たテナーは、言われるままに太鼓を叩き始めた。
「持続時間はあるけど、同時に三つまでが限度って感じだね」
『テナーお疲れ様』
「もう……休んでいい?」
「訂正、現実に運用できるのは二つか」
テナーを無視して、ルーエが冷静に分析する。
和太鼓叩きはじめて一時間弱。青い炎を三つ出すためにテナーが叩いたのは一つの時の三倍では収まらない程だった。
テナーが腕がパンパンでもう上が辛くなっている中、結果に満足した様子のルーエが手を叩いた。
「じゃあ、テナーは一つの炎を常に浮かべるような意識でよろしくね。あと、モンスターの頭は私が叩くから、テナーは周りの敵殲滅をよろしく」
「う、うん。分かった」
ルーエとソプラが部屋を後にして、テナーは倒れるようにベッドに横になった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「あ、あの。それでは、行ってらっしゃい。お姉さま」
日もまだ昇らない白んだ空の下、テナー達は門の前セグエに見送られながら、一度ムルムランドの町を後にしようとしていた。
「セグエも町の事、頼んだよ」
「もちろん、わたしの命に替えても」
「それは駄目。命は大切にしないとね。戻って来た時にセグエがいないと寂しいでしょ」
「勿体ないお言葉です。お姉さま」
今にもルーエとぶつかるんじゃないかと思えるほどに近づいたセグエに、ルーエは困惑しつつも「行ってくるから」と頭を撫でた。
「ルーエ、早く行こう」
すでに少しは歩いていたテナーに呼ばれ、ルーエは手を振って追いかける。
セグエは、躊躇いがちにテナー達に聞こえる声を出す。
「ソプラさんも、て、テナーも、ちゃんと帰って来て下さいね」
初めてセグエに名前を呼ばれたテナーは嬉しそうな顔をして、セグエに手を振って歩き出した。




