十三音目
大きな岩山が、不気味に口を開いている。
案の定、前日に申し訳程度につけたバリケードは溶かされ、松明も倒れて消えていた。
「さて、今からここに入っていくんすけど、大丈夫っすか?」
「この洞窟って、どれくらい長いの?」
テナーの問いに、ユメが思い出すかのように腕を組んだ。
「確か、一、二時間程度歩けば、最奥に到達できるくらいじゃないっすかね。
記憶が正しければ、特に横道とかは無かったはずっすよ」
「じゃあ、道なりに進んで行けばいいんだね」
「そう言う事っす。でも、明らかに親玉っぽい奴がいたら、一旦作戦タイムをするっすよ」
「分かった」
テナーは頷くと、洞窟の入り口の方を見る。何の変哲もないただの穴が、テナーの目には大きな怪物の口のようにも感じられて、ごくりと唾を飲み込む。
それから、一歩足を踏み出した所で「テナー、ちょっと良いっすか?」と、ユメが再度声をかけた。
「えっと、ユメ。どうしたの?」
「洞窟に入る前に、こいつに火を付けて欲しいっす」
ユメが、手にしていた木の棒を二本、ゆらゆらと揺らしながら言う。
それを見たテナーは、肩透かしを食らったような心境で、和太鼓を出した。
「それどうするの?」
「一つは此処に置いておくっす。外に出ているスライムが戻ってきて、挟み撃ちにされるのは避けたいっすからね。
もう一本はただの明かりっすよ。今回は、非戦闘要員のソプラに持ってもらうっす」
そう言って、ユメがソプラに松明を一本渡す。渡されたソプラは、片手でしっかりと持つと頷いた。
「あと、洞窟に入る前に、入り口に向かって思いっきり炎をぶつけて欲しいっす」
「良いけど……どうして?」
「入ってすぐ、スライムに囲まれるとか嫌っすよね?」
「ああ、なるほど。思いっきりやっていいの?」
「よろしく頼むっす」とユメが言うのを聞いて、先ほどまで呆れかえっていたテナーが嬉しそうな顔をする。
それもそのはず、アパの村に居た時のテナーは一度たりとも全力というものを出したことがないから。初めて思いっきり魔法を使って良いと言う状況に心躍らずにはいられないのだ。
テナーは洞窟の方に向き直ると、思いっきり太鼓を叩く。一回、二回、三回……と、最初は人の頭ほどの大きさだった炎の塊が、轟音が響くたびに徐々に大きくなっていった。
その炎の塊は、最終的に人を四、五人程度は巻き込める大きさになり、テナーの合図で洞窟に向かって飛んで行く。
岩山にぶつかった部分は消えてしまったが、それでも入り口付近のスライムは倒しつくしたらしく、炎によって照らされた洞窟内部には石壁が見えるだけだった。
「それじゃあ、中に入るっすよ」
その様子を見ても、ユメは驚くことなくいつもの調子でテナーを促した。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
洞窟は一本道と言っても、曲道や段差等で結構入り組んでいた。
そのお蔭でテナーは既に方向感覚を失いつつあったが、少しずつ地下に向かっている事は理解できる。
ソプラの持つ松明の明かりだけが揺らめく薄暗い中、そのパチパチと言う音と三人の足音しか聞こえない。と、いうことはなく三人は雑談しながら――ソプラは基本聞くだけだが――洞窟をすすむ。
「やっぱり洞窟って薄暗いっすよね。本当は真っ暗だとは思うっすけど」
「じゃあ、松明消してみる?」
「それは嫌っす。いつでも炎出せるとかいうズルをユメは持っていないっすから」
「別にズルってわけじゃ……」
「あ、テナー天井に三匹っす」
「了解」
「あと、洞窟って妙に肌寒いっすよね」
スライム退治は片手間で、緊張感の欠片も無く進んでいるが、テナーが倒したスライムの数は既に両の手では数えきれない。
遭遇直後にテナーが燃やし、倒し損ねがいればユメが行動不能にさせる。
小型から中型のスライムはそれで対処が出来ていた。
「テナー止まるっす」
今まで敵と遭遇してもほとんど足を止めなかった一行を、ユメがそう言って止まらせる。
あと少しで曲道で殆ど先が見えない中、テナーがユメに何があったのか問いかけようと後ろを向いた。しかし、すぐにテナーにもユメが止まるように指示した理由が分かった。
ズリズリ……と何か大きなものがテナー達の方へと這ってくる音。今まで寄って来たスライムのそれに似ているが、明らかに違う音にソプラがテナーの服を掴む。
「大丈夫」
テナーがそう言って、ソプラの手に自らの手を乗せる。
その時、半透明の紫色の大きなスライムが姿を現した。
前日にユメが追い返したものよりも二回りほど大きく、上から降ってきた石が当たった瞬間にジュッと音を立てて形を失う。
テナーが試しに拳大の炎を飛ばしてみても、白煙を上げるだけでスライム自体には大した変化は見られない。
「効いてない……?」
「そんな事はないと思うっすよ。ちょっとだけ小さくなった感じっすよ」
ユメの緊張感のない言葉に、動揺しかけていたテナーが落ち着きを取り戻す。
「効いていたとしても、手ごたえはあまりないんだけど……」
「何回もやればいいと思うっすけどね。そんな事よりも、早くしないと近づいてきてるっす」
「うわっ、ほんとだ」
じりじりと迫ってくるスライムに、テナーが慌てて炎をぶつける。
ぶつけられたスライムは、怯んだのか動きを止めた。代わりに、スライムは身体の一部をテナーに伸ばしてくる。それは、移動速度の数倍の速さで向かってくるが、突然の事に反応が遅れたテナーは回避行動をとることが出来なかった。
「ちょっと、油断し過ぎっすね」
ユメが、ソプラを守るように前に出ると懐からサッと二本ナイフを取り出す。
それを一本ずつ投げると、テナーに迫るスライムの一部を切り落とした。
細長く伸びてきた粘着性の液体が、ビチャッと嫌な音を立てて地面に落ちる。
「ユメ、ありがとう」
「お礼は良いっすから、ちゃっちゃかやっつけちゃって欲しいっす」
ユメの言葉に、テナーが炎を数発スライムに打ち込む。
しかし、大きな効果を得られた様子はなかった。
テナーは少し考えると、ユメの方を見る。
「ユメ、少しの間、時間稼げない?」
「ああ、なるほど。分かったっす。でも、そんなに期待はしないでください……っすよ」
最後の言葉を言いながら、投げナイフで、また伸びてきた触手を切り落とす。
テナーの前に躍り出て、ユメがスライムと本格的な戦闘を開始した。
奮闘するユメを見ながらテナーが和太鼓を叩く。入口でやった時と同じように。
徐々に大きくなる炎が対するスライム以上になった時、テナーが「ユメ退いて」と大声を出した。
テナーの言葉を聞いて、ユメがサッと後ろに回る。その時にユメがテナーに耳打ちした。
「テナーごめんっす」
「ごめんって……」
ユメの言葉の意味を理解できなかったテナーがスライムの方に目を戻すと、先ほどまで何もなかった触手に刃物が付いているものが見えた。
呼び動作なしに迫りくる刃物付触手、テナーの元にその触手が届くより少し早く炎を打ち出す。
触手を蒸発させながら、スライム本体にぶつかった炎は粘液質の身体を蒸発し尽した。
「いやあ、間一髪って感じっすね」
「ユメが相手に武器を……ううん。ありがとう助かったよ」
「テナーが言いたい事も分かるっすけど、一般人であるユメがスライム相手に時間稼ごうとするとこうなるっすよ」
全く反省した様子もなくユメが言うが、テナーもユメの言い分が分かるので何も言わない。それよりも、一つ危機が去った事でテナーの意識は、後ろに控えているソプラに向いた。
「ソプラ、大丈夫だった?」
テナーの言葉にソプラは頷いて返す。
それを見たテナーが安心したように息をつくと、ユメが近くにあった岩に座った。
「結構歩いたんで、そろそろ一回休憩するっす」
「俺は休憩とかいらないよ」
「そっすか? でも、ユメは疲れたんで休むっす」
「分かったよ」
ユメの開き直るかのような声に、テナーが不服そうな声を出す。
しかし、テナーは安堵したように腰を下ろした。
「今のが親玉って事は……」
「無いっす」
「だよね……」
ないと思いつつも、心の何処かで期待していたテナーが肩を落とす。
ユメは、そんなテナーをからかうように、話し始めた。
「まあ、さっきのスライム程度で危なかったっすからね。勿論、親玉はもっと大きいっすよ?」
「触手で攻撃してくるなんて初めて知ったから。前もって知ってたら、もっと上手く戦えたよ」
「最初の一撃が効果なかった時に、だいぶ焦っていたように見えたっすけどね」
的確なユメの指摘に、旗色が悪くなってきたテナーは慌てて話を変える。
「今までのスライムは、せいぜいちょっと身体を伸ばしてくる程度で、あそこまで器用に攻撃してこなかったと思うんだけど、何が違うのか分かる?」
「単純に体積の問題じゃないっすかね。小さいスライムだと触手を伸ばすと、本体の方が小さくなりすぎるとか、そんな感じだと思うっすよ」
「そうなんだ」
あのくらい大きくないと触手は使えない、程度にしか理解できなかったテナーが取りあえずと言った感じの返事をすると、何か思いついたのかそのままは質問を続けた。
「ユメは親玉を見たんだよね?」
「見たっすね」
「どれくらいの大きさだったの?」
テナーの言葉を聞いて、ユメは何故か周りを見渡し始める。
テナーも真似して見回すと、天井がテナーの倍以上あり下手なリビングよりも床面積の広い空間だと分かった。
「大体この空間くらいじゃないっすかね」
「こんなに!? それでなくても、よくユメは行って帰ってこられたよね」
疑いすら感じ取れるテナーの言葉に、ユメはさも当然と言わんばかりに返す。
「ユメは強いっすから。それに、今回みたいに一回一回わざわざ倒していなかったっすもん」
「怪我とかは……?」
「んー、怪我はない状態で家には帰ったっす」
思い出しながら話すユメは、嘘をついている様子も無かったが、テナーは何処か信じられなかった。
しかし、ユメの言葉を否定出来るものを何も持ち合わせていないテナーは少し話を変える。
「じゃあ、親玉がいるって所まであとどれくらいで着くか分かる?」
「さっきのスライムが現れた所を真っ直ぐ行って、その次曲がったくらいじゃ無かったっすかね。確か」
「そんなに近いの!?」
だいぶ歩いたとはいえ、まだあと半分はあると思っていたテナーが、驚いて声をあげる。
そんなテナーをひとしきり笑った後で、ユメが口を開いた。
「所で、テナーって太鼓の革の部分しか叩かないっすよね」
「え? うん。だって太鼓だから」
予想外の言葉にテナーは困惑した声を出す。
「やっぱりそんな認識っすよね。まあ、それはそれで間違っていないと思うんすけど」
「何が言いたいの?」
「何って言うんすかね。もっと、端っこの角になっている部分叩いてみるとか、撥同士をぶつけてみると良いと思うんすよね」
腕を組んで考えるようにそう言ったユメに対して、テナーが首を傾げる。
「それって意味あるの?」
「ユメだってその辺詳しいわけじゃないんすけど、魔法って結局、音なんすよね?」
「そうだけど……」
「だったら、撥同士ぶつけようと音が鳴ったらいいんじゃないんすかね?」
ユメが疑問を返した所で、テナーが疑い半分で和太鼓の撥だけ出現させた。
それから「それじゃあ、やってみるけど……」と撥同士をぶつけて、短いカッと言う音を鳴らした。
一回目、そこにいる誰も気が付くそぶりは見せなかった。もう一度叩くと、テナーの目の前で火花が散るのが見える。
突然の火花に驚いたテナーは「うわあ」と声をあげて後ろにひっくりかえる。
その声は思った以上に大きく、洞窟と言う空間で何度も壁を跳ね返った。
転んだテナーが、痛みに耐えつつ身体を起こすと、ソプラが笑っているのが見えた。
それから数瞬としないうちにユメが思いっきり笑う声がテナーの耳に届いたかと思うと、そのままユメが話し出す。
「そんな大声出すと、親玉に気づかれるっすよ? 目と鼻の先って程じゃないにしても、あと少しな事には変わりないっす」
「ご、ごめん」
恥ずかしさと申し訳なさで顔を赤くしながら謝るテナーを見て、ユメがまた笑う。
「まあ、スライムが音に反応しているかは分からないっすけどね。
それに、聞こえたとしても親玉はこっちに移動はしてこないっすし」
「そういうことなら……ううん、何でもない」
ユメの言いように、一言文句も言いたかったテナーだが、結局自分のミスであることには変わりないので何も言わないことにした。




