ふたつの部をつなぐもの
夢の時間は、あっという間に過ぎていく。もう学校のグラウンドが見えてきた。もう少し、このままでいたかったが、今日はこのまま部室まで翔平と手を繋いでいくわけにはいかない。
奈々美はまだ沙南と翔平が両想いになったことを知らない。だから、翔平と手を繋いだ姿を奈々美に見られるわけにはいかない。奈々美が傷ついてしまう。
沙南は奈々美と会った時に、翔平とつき合い始めた事を言うつもりだった。どんなに詰られても仕方がない。その事実を隠して奈々美の手助けなんかできない。また、その事実を知っても奈々美が翔平に手紙を渡したいと言ったら、その時には手助けをするつもりだった。
「翔平、私ね、部室に行って先にすることあるんだけど、もうすぐ来る羽瑠にこれを裏門で渡す約束してたんだ。だから、翔平、悪いけどこれ、羽瑠に渡して。お願い。」
繋いだ手を放すのは名残惜しかったが、沙南は翔平の手を放すと持っていた小さなカバンを翔平に押しつけた。そして先に裏門のほうへ向かおうとした。だが、沙南は翔平に手を掴まれ引き寄せられるとあっという間に翔平の胸の中におさまっていた。
「沙南、行くな。」
「えっ・・ふっ」
沙南の声は翔平の唇でふさがっていた。昨日のキスとは違う荒々しいキスに沙南は立っていられなくなりそうだった。自分の身に何がおこっているのかよくわからない。何度も角度を変えて口づけられ、狂おしいほど強く抱きしめられると体がざわざわと疼き始めた。はじめての感覚に沙南はどうしていいかわからなくて、ただ必死に翔平の背中に手をまわしてジャージを掴んでいた。
どれくらいの時が過ぎたのかわからなかった。翔平はしぶしぶ沙南を放した。沙南の目は潤んでいて少し開いた唇は濡れて赤みが増していた。その扇情的な様子に自分のストッパーが外れそうになるのを翔平は体中の理性を総動員して止めた。
「沙南・・・」
翔平の声に沙南ははっと我に返った。思わず自分の唇に手をあてた。体のしびれも胸の高鳴りもまだおさまってはいない。翔平によって引き起こされた感情に沙南は戸惑った。頭がじんじんする。考えがまとまらない。
「沙南、もう行かなくていいのか?」
ふたたび翔平が声をかけた。今度の声で沙南は完全に正気を取り戻した。
こんなことしている場合じゃない。
沙南はまだふわふわと地に足がつかなくなりそうな自分を叱咤して、それから、少し苦い顔を翔平に向けた。
「・・・これからつきあうにあたって、翔平にはたっぷりと言いたい事がある。でも、今はそんな時間ないから、今度ゆっくり話し合うからね。」
「俺は構わないよ。沙南とゆっくりできる時間がもらえるなら大歓迎だ。」
っ、この男はっ!今までの翔平とは絶対違う。誰、こいつ?
翔平の意外な一面に動揺しそうになる自分を落ち着けて沙南は、
「羽瑠にちゃんと渡してよね。」
と言ってから裏門からつづく坂道を走って上っていった。
「沙南っ。」
翔平が叫んだが沙南はふり返えらなかった。
沙南、お前は俺がどんな気持ちで『行くな』って言ったのかわかっていない。これから危ない目に会うとわかっているのに、お前を行かせたくなんかなかった。でも、絶対お前を傷つけさせたりはしない。絶対だ。
翔平は坂道を上っていく沙南を見送るとその場を後にした。
奈々美はもう来ているかもしれない。沙南は、走って部室長屋に行って剣道部の部室を開けた。部室の中は薄暗くてよく見えなかったが、まだライトをつけるわけにはいかない。奈々美が誰にも知られないように手紙をロッカーに入れたいって言ったから。
時計を見ると6時25分。
奈々美との待ち合わせにはまだ少し時間があった。
「沙南」
振り返ってドアの方を見ると、奈々美が立っていた。
「奈々美、早かったね。」
「沙南こそ、早かったね。」
奈々美はにこっと笑って部室に入ってきた。奈々美は緊張してるように見えた。笑ってはいるけど、どこかぎこちない。沙南は、それを好きな人のロッカーに手紙を入れる緊張のためだと思っていた。
「奈々美、うちの部もテニス部も7時半からの朝練のために7時にはみんな来る。だから、早く手紙をロッカーに入れないと時間が、ない。」
「わかった。じゃあ、はじめよう。」
奈々美が頷いてテニス部との間の壁の方に行こうとするのを沙南は止めた。
「待って、奈々美。私、奈々美に言わなければいけない事がある。」
「なに?時間がないんでしょ、早く言ってよ。」
沙南はごくりと唾をのみ込むと、口を開いた。
「私、昨日から翔平とつき合う事になった。」
一瞬、奈々美の目が大きく見開いた。が、すぐに平静な顔に戻ると、
「そう、それで?」
と言った。
「私、翔平とつき合っている事を黙ったまま奈々美の手助けはできなかった。だから、話したんだけど、奈々美はそれでも翔平に手紙を渡したい?」
沙南のことばに奈々美は自嘲気味にふっと笑った。
「たしかに、今から翔平に手紙を渡しても100%私が両想いになる見込みはないよね。でも、彼女がいるから諦められるような、それぐらいの想いじゃない。私の気持ちを翔平にはしっかりとわかってもらいたいから、計画は変えない。」
奈々美のきっぱりとした口調に沙南は覚悟を決めた。自分が嫌だという気持ちはもう表に出さない。奈々美の手助けをする。
「わかった。じゃあ、テニス部に行こう。」
沙南はそう言って部室の竹刀入れを動かした。すると、竹刀入れの後ろにぽっかりと穴が開いていた。
実は、剣道部とテニス部はつながっている。
いつの頃からかはわからないが、しゃがんで人がひとり通れるくらいの穴がふたつの部室の間にあいていた。その穴は、ふたつの部員たちの暗黙の了解で、先生たちや他の部には内緒になっている。内緒といっても、部員以外の子にも結構知られてはいる。きっと知らないのは先生だけ。
ばれたら、即、穴を塞がれてしまうだろう。そうされるのが嫌で部員たちはみんな黙っている。なぜなら、その穴を利用してお互いにちょっとした集会(ま、集会とは名ばかりの宴会?)をしている。宴会といっても、ジュースやお菓子を持ち寄っての健全なものだ、もちろん。双方とも部活動には熱心だから、自分たちに不利になるような一線を超えるようなことは、しない。
普段は、剣道部の方は竹刀入れで隠していて、テニス部は用具入れで隠している。だから、一見してはそんな穴があいてるなんて誰にもわからない。
奈々美が沙南の協力がないと困ると言ったのはこのためだ。剣道部にもテニス部にも関係のない奈々美が翔平のロッカーに手紙を入れるためには、ふたつの部の誰かの協力が必要なのだ。しかも沙南は剣道部の女子キャプテンで、顧問から部室の鍵を預かっているのを奈々美は知っていた。だから奈々美が沙南に協力をお願いした時、沙南はその理由がすぐにわかったのだ。
沙南は、体半分だけ穴の中に入ってテニス部側のネット入れを動かした。そして、そのままテニス部側へ移動した。
移動した後、剣道部側の奈々美に声をかけようとした時、突然、後ろから口をふさがれた。