ふたりの時間
ちょっと休憩。事件の幕間的なふたりの淡くて甘い時間です。
うっすらと東の空が明るくなってきた。今日もいい天気になりそうだと沙南は明けたばかりの空を見て思った。
「いってきます。」
5時40分に沙南は家を出て学校に向かった。
澄んだ空とは対照的に、沙南の気持ちは沈んでいた。これからすることを考えると気が重くなる。自分の好きな人へ他の子が手紙を渡すのを手伝うなんてどうかしていると、さんざん優衣から言われた。自分でもそう思う。本音をいえば、やりたくない。だが今回だけはどうしようもない。
あぁ、こんなことならあの手紙をきちんと翔平に渡しておけばよかった。手紙がすり替えられた後だっていくらでもそうする機会はあったのだ。それなのにそのままにしておいたのは、翔平に奈々美の手紙を渡したくないという自分の身勝手な気持ちが勝っていたから。だからこれからする事は自業自得。誰も責められない。とにかく、早く終わらせてしまおう。
奈々美とのこと考えながら歩いていたので、沙南は家の前で翔平が待っていたのに気づかなかった。気づかないまま、向かいの家の塀に腕組みして立っている翔平の前を通り過ぎようとした。
「俺のこと、無視かよ、沙南?」
ん?
翔平に関わること考えていたら幻の声まで聞こえてきたの?私はほんとうに翔平のこと好きなんだな。歩いていても幻聴が聞こえるくらい。
沙南は、自分の恋心は重症だ呆れながら首を振った。
「お~い、沙南、寝ぼけてるのかよ。」
また!
なんてちょ~リアルな幻聴。こんなにはっきり聞こえるなんて。でも、どうせなら本物の翔平の声が聞きたいな。
沙南がため息をついて歩いていると、不意に、歩く道を誰かが塞いだ。虚をつかれて沙南は、もう少しで通せんぼをしている人にぶつかりそうになった。驚いて立ち止まった。目の前に白いジャージの胸がある。
「危ないなぁ。誰っ?」
沙南はぶつぶつ文句を言うと、目の前に立ちはだかっている人を見上げた。
「っ!しょっ、翔平っ?」
翔平が沙南を見て笑っていた。水色Tシャツに上下ともテニス部のジャージ姿の翔平が目の前にいた。
これは幻か?まだ夢の中なの、私?
「おはよう、沙南。これから朝練だろ?いっしょに行こうぜ。」
突然のことで、沙南は、ぼ~っと夢うつつな表情で翔平を見ていた。まだ夢か現実かはっきりしない。
「お~い、沙南、起きてるか?」
翔平が沙南の目の前で、ひらひらと手を何回かかざした。
「なんだよ、ま~だ、寝ぼけているのか?さっきも、何度も呼んでいるのに、ぜんぶスルーだもんな。」
翔平は呆れたようにそう言うと沙南の鼻をつまんだ。
「ふがっ」
いきなり鼻をつままれて、沙南は妙な声をあげた。一気に頭がクリアになった。脳が目の前の事をちゃんと現実だと受け止める用意ができたようだ。
さっきの声は、幻聴じゃなかったんだ。私、てっきり・・・
「な、なんで翔平が家の前にいるの?同じ日に朝練があっても今まで一緒に行ったことなかったじゃない。それに、どうして私が家を出る時間を翔平が知っているの?いつもより20分も早いのに。」
「俺の彼女は薄情なようで、昨日の夜、何度も電話したのに取らないから優衣に聞いた。」
「うっ・・・」
昨日の夜、沙南は優衣からの電話に出た後、一度も携帯に出なかった。優衣が今日の事を羽瑠たちに黙っているとは思えない。今日の事を羽瑠たちに止められるのはわかっていたから電話に出なかったのだ。携帯はたくさんのクッションの下に埋もれて今朝まで放置されていた。
「だって・・・今まで翔平が迎えに来た事なんてなかったじゃない・・・」
「これからは毎日そうだから。今日からそれに慣れろ。」
「ま、毎日・・・?」
それって・・・翔平が、毎日迎えに来るって・・・こと?うそぉ~。
「そう、毎日、迎えに来てやるから、ありがたく思えよ。」
「部活のない日も・・・?」
「ああ、部活のない日も。行くときも、帰る時もだ。これからは、毎日、送り迎えしてやる。」
翔平は、すっと手を伸ばして沙南の手を握るとさっさと歩きだした。
手っ、手っ、手っ!
翔平にしっかりと指をからませるようにして手を握られて沙南は耳まで赤くなった。まるで、らぶらぶな恋人同士みたいな翔平の行動に沙南の心臓は破裂寸前だった。
こんなこと、今までなかった。
沙南は恋愛にはずいぶん奥手な方なので、中学時代は男子と親しくなる事はなかった。高校に入ってからは翔平の事が気になりだしていたので、やっぱり翔平以外の男子と親しくなる事はなかった。何度か告白されたこともあったが、つき合おうと思える人はいなかったので、やっぱり恋愛沙汰にはとんと疎かった。
「しょっ、しょう・・へい・・・手・・・・」
沙南はそう言うのがやっとだった。
「イヤか?」
翔平が沈んだ声で聞いてきた。
「い、いやじゃないっ。うっ、うれしいよ・・・」
真っ赤になりながらそう答えると、翔平はにこっと笑った。絡んだ指に力がこもる。
「じゃあ、学校までこのままでいいだろ。手を繋いでいるのにも早く慣れろよ。こうして沙南と手を繋いでいると、両想いになったのがほんとなんだって実感できるから、嬉しいんだ。」
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翔平がそんなこと言うなんて思わなかった。今までの翔平では絶対あり得ない。沙南は翔平の変化に戸惑いを隠せなかった。
それでも、翔平と一緒に歩く学校までの時間は沙南にとって幸せな時間だった。このふたりの時間がずっと続くといいのに。
次から事件が動き出します。