会心のツキ
「沙南、大丈夫だよ。今、俺の友だちが翔平を助けに行ったから。って、沙南、どうしたんだ?待てよ。」
今まで自分に縋って泣いていたはずの沙南が、いきなりコンビニの中に入っていった。
「おじさん、箒、箒を貸して。ううんモップでもいい。」
突然の沙南のことばにコンビニの店長は目を丸くして固まっていた。
「おじさんっ、早く。」
沙南がたたみかけるように言うと、
「あ、ああ・・・」
と曖昧な返事をして、店長は目で掃除用具が入っている場所を示した。沙南は驚くぐらい機敏な動作でそこから箒を取り出すと、
「しばらく借りるねっ。」
と店長に言うと、コンビニを飛び出して公園の方へ走っていった。
沙南の突飛な行動に唖然としたままその様子を見守るだけだった史輝は、沙南が箒をもって公園へと走っていくのを見て我に返った。
「沙南っ、待てっ。沙南が行っては危ない。待つんだ、沙南っ。」
史輝が怒鳴るように叫んだが沙南は聞かなかった。史輝は仕方なく疾走する沙南を追いかけて一緒に公園へと向かった。
公園ではサングラスの男が史輝と一緒にいた男と間合いを取りながら睨み合っていた。
翔平は?
沙南が翔平を見た時、翔平は、転んでいた所から素早く跳躍するとサングラスの男の足にタックルして男を押し倒そうとしていた。翔平にタックルされて男がバランスを崩して仰向けに倒れた。その上に史輝と一緒にいた男が覆いかぶさり、足と手でサングラスの男の両手を拘束すると、腰から手錠を出して男の手にかけた。
かちりという手錠の閉まる音を聞いて男は観念したのか、だらりと腕をたれて抵抗をやめた。
「翔平っ。」
沙南が叫ぶと、翔平は沙南の方を見て笑った。翔平の口からは血が流れていて、ほっぺたには殴られた跡がある。翔平がゆっくり立ち上がって歩きだした。沙南ははっと息を呑んだ。翔平は左足を引きずっていた。
「翔平っ!」
沙南は箒をもったまま急いで翔平に駆け寄ろうとした。
その時
公園の横に止めてあった黒塗りの車から男がふたり降りてきた。ひとりは史輝を威嚇しようとナイフを取り出し、もうひとりは沙南に向かって走ってきた。
「「沙南っ。」」
ふたりの男を見て史輝と翔平が同時に叫んだ。翔平は体の痛みは全く感じなかった。沙南の危機に翔平の全神経は沙南を助けることだけに集中していた。
「ちいっ」
史輝は舌打ちをしながら自分に向かってくる男に応戦しようと警棒を構えた。目の端に沙南を捉えながらも史輝にはどうする事も出来なかった。素早く公園の中を見ると、浩二が顔を歪めながらサングラスの男を引きずってすべり台の階段に手錠の片方をかけようとしていた。浩二も焦っていた。
「沙南っ」
翔平は、もう一度沙南の名前を呼びながら沙南に駆け寄ろうとした。男はあっという間に沙南の目前に迫っていた。男が沙南の手を掴もうとした瞬間、沙南はひらりと後ろに跳躍すると持っていた箒を木刀を持つようにして構えた。
「女のくせに無駄の抵抗をっ。」
男がふたたび間合いを詰めようとすると、沙南がゆれるように横に飛び、同時に無駄のない動作で男の手首にするどく箒を振り下ろした。ひゅっと空気を切り裂く音がしたかと思うと、がきっという鈍い音がして男の体が前かがみにバランスを崩した。そんな男の様子を見て沙南は次の一手を放った。箒の柄が男の両側の鎖骨の間に食い込んだ。そんなに力が入っているようには見えなかったが、伸びるように繰り出された箒の柄は、男を1メートル離れた街路樹まで吹き飛ばした。男は背中と頭を街路樹に打ちつけられて苦しそうに呻いて蹲った。
そこにサングラスの男をすべり台に繋ぎ止めた浩二がやってきて、男をうつぶせに倒すと両手を後ろにひねりあげた。
浩二が史輝の方を見ると、あちらも決着がついたようだった。史輝が男を組み伏せて後ろ手に手錠をかけている。
表通りの方からパトカーのサイレンが聞こえてきた。
翔平は沙南の行動を唖然として見ていた。
おっかね。俺、喧嘩しても沙南にはすぐ謝ろう。沙南をキレさせたら俺の身が危ない。
いやいやいや、何呑気なこと考えてんだ、俺。今は沙南の無事を確かめるのが先だろう。
翔平は、気を取り直して沙南のそばに駆け寄った。
「沙南・・・よかった。沙南は、ケガ、ないよな?」
翔平の声を聞いて、沙南はびくっと肩を震わせると、固く握りしめていた箒を放した。それまでの緊張が一気に抜けて、沙南は立っていられなくてその場に座り込んでしまった。
「翔平・・・」
自分の肩を抱く翔平を見上げて、翔平が傷だらけなのを思い出した。さっきの光景が一気にフラッシュバックしてくる。押し殺していた恐怖が噴き出して沙南の目からは大粒の涙が溢れだした。
「うっ、ぐすっ・・・ごめ、ん、翔平、私のために・・・」
翔平は、泣きながら自分を気遣う沙南の肩を抱きしめた。頬を流れる沙南の涙を見て、男と対峙していた時の沙南がどれだけ必死だったのかを思い知らされた。そんな沙南にいっそう強い愛おしさを感じた。
「沙南のせいじゃ・・っつ!」
喋ろうとすると切れた口の中の傷でことばが続かない。
「翔平っ、痛いの?」
沙南はポケットからハンカチを取り出して翔平の口にあてた。ハンカチを取り出した時、手紙が落ちた。沙南がはっとして手紙を拾おうとすると、史輝がすっと手を伸ばして手紙を拾った。
「この手紙が奈々美って子からあずかった手紙?」
えっ?どうして史輝兄ぃはその手紙が奈々美のだって知っているの?
沙南がぽかんとしていると、駆けつけた警官に男の身柄を渡した浩二が話しかけてきた。
「翔平、沙南ちゃん、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ。・・つ、浩二さんが来てくれたから、助かった。ありがとう。沙南は・・・いや、沙南も無事だったからよかった。でも・・つう、黒塗りの車っ、いつの間にかいなくなっていて・・・」
翔平は、痛みに顔をゆがめながらそう言った。
「あの車の事は、心配しなくていい。ちゃんと、別の尾行がついているから。それより手紙があの男に渡らなくてよかったよ。これは今回のヤマの大事な証拠だからな。」
翔平が“浩二さん”と呼んだ男の人が、史輝から受け取った手紙をひらひらさせながら言った。
「ああ、間一髪だったな。まったく、こっちの事情なんかお構いなしにスタンドプレイするんだからなっ、お前はっ。沙南の警護だって俺たちなりに考えていたんだぞ。それなのにお前がスタンドプレイをやらかすから手配が後手に回っちまったじゃないか。」
史輝が、ばしっと翔平の腕を小突いた。
「いっっっ!」
翔平は、腕を押さえてうめいた。
「まあまあ、結果としてはよかんたんじゃねぇの? 俺たちじゃ、沙南ちゃんの行きそうなとこ、わかんなかったから。沙南ちゃんを探すのにもっと時間がかかったかもしれない。そしたら沙南ちゃん、本当に危なかったかもしれないし。」
いつもの口調で浩二が飄々と言うのを聞いて史輝はため息をついた。
「はぁ、それじゃそういうことにしとくよ。とにかく、今は翔平の手当てをしなきゃな。詳しい話はそれからだ。」
「え~っと、沙南ちゃん、ちょっと沙南ちゃんにお願いがあるんだけど。」
浩二が沙南に話しかけてきた。
「えっ、はい・・・なんですか?」
「翔平の手当て、沙南ちゃんに頼んでいいかな?史輝の話だとここからなら沙南ちゃん家が近いんだよね?史輝ん家よりも。だから、沙南ちゃん家で翔平の手当てをして、手当てが終わったら翔平と一緒に戻ってきて。そしたら、沙南ちゃんが気にしている手紙のことを話してあげるよ。」
「はい・・・私は、翔平の手当てをすればいいんですよね?」
私の曖昧な返事に、にこっと笑って浩二さんは頷いた。
「そう、よろしく。君の家までは俺と史輝で送っていってあげるから。それから、手当てが終わったら必ず翔平と一緒に史輝の家に来るんだよ。いいね?」
浩二が念を押すように言ったので、沙南はこくこくと二度頷いて了解を示した。それから沙南と翔平は、史輝と浩二に送られて沙南の家に向かった。