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ふたりの危機

 うす暗くなっていくあたりに焦りが募っていく。この手紙を翔平に渡す機会がみつからない。いつものように半ば強引にでもいいから手紙を渡せばいいのはわかっているのに、いざとなるとことばが出ない。あれだけ威勢よく郁美に“けじめ”だって言ったのに、わり切れない。やりきれない。“もう手紙の橋渡しをしない“という誓いと”けじめ“という決心の間で自分の気持が揺れ動いているのを沙南は止められないでいた。


 ほんとは、奈々美の“お願い”は重いだけ。今から自分がしようとしていることも、つらいだけ。あぁ、私ってどうしてこう、ええかっこしぃなの?自分で自分がいやになる。何が、これが最後よ!いつだって、そうやって自分の優柔不断に振り回されて。


 とにかく悩んでいても仕方がない。せっかく翔平が傍にいるのだから、今渡さないでいつ渡せるって言うの。とにかく軽い話題から入って、それから勢いに任せて手紙を渡してしまおう。


 沙南はようやく踏ん切りをつけた。よし、軽い話題から・・・と翔平の方を向くと、鼻と鼻がくっつきそうなくらい間近に翔平の顔があった。ふんわりと鼻をくすぐるレモンライムの匂い。翔平がいつも使っているボディーソープの香りだ。おばさん(翔平のお母さんだけど)の買い物にくっついて行って、翔平が使っているのをチェックして自分も同じのを買った。今使っているのが切れたら使うつもりでいた・・・


 って!


 ななななな何で翔平の顔が目の前に?


 ドアップの翔平の顔に驚いて沙南は思わず飛びのいた。


「「ご、ごめんっ。びっくりしたから。」」


 ここでふたりのセリフ、かぶっちゃう?


 翔平も同じことを考えていたのだろう。かぶったセリフに照れ笑い。


 ざあっと木々の葉ずれの音が耳に心地よく響いた。さっきまでの迷いも戸惑いも全部風が攫っていってくれそうだった。また翔平が少しずつ近づいてくる。白いTシャツにジーンズ姿の翔平が手を伸ばせば触れられるくらい近くにいる。その姿に胸が締め付けられるようだった。ひとりでに鼓動が速く、大きくなる。少しずつ近づくふたりの距離に沙南は嬉しさを隠しきれなかった。沸き立つ心を抑えきれない。あと少し自分が横にずれればふたりの距離は、ゼロになる。それでもまだそうする勇気は、ない。

 

「で、話って、なに?」


 沙南は笑いながらそう言って、自分の沸き立つ気持ちを誤魔化そうとした。


 ふっと、翔平の顔から笑みが消えた。


「沙南、今、沙南は手紙を持っているだろ?それを俺に渡してほしい。」


「・・・・・・・」


 沙南は、なぜ翔平がこの手紙の事を知っているのかわからなかった。いつもなら翔平は、私が誰かからの手紙を渡すのを嫌がった。それなのにどうしてこの手紙は欲しがるのだろう。この手紙が奈々美からの手紙だと知っているのだろうか。奈々美からの手紙だと知っているからこの手紙が欲しいのだろうか。


 沙南は自分の心の奥からどす黒い感情が噴き出してくるのに不快感を抱いた。噴き出してくる嫌な感情に自分が支配されそうになっている。身が焼けつくようにあつかった。胸がきりきり痛みだす。


 これが、嫉妬なの?


 いや、渡したくない。この手紙を翔平には渡したくない。


 沙南は、ポケットの中の手紙を握りしめ、その手を出す事が出来なかった。沙南の頭から“けじめ”も菜々美との約束も消し飛んでいた。自分が卑怯者だと奈々美に罵られたとしても甘んじてそれを受ける方がいい。手紙を翔平の目に触れさせたくない。そう思った。


「沙南、今、事情を説明することはできないんだけど、沙南が持っている手紙が必要なんだ。だから、俺に渡してくれ。」


 翔平の顔は真剣そのものだった。翔平は沙南が手紙を渡すことを疑っていないのだろう。じっと沙南の顔を見つめて待っていた。だが、沙南は動けなかった。心が千路に乱れて自分ではどうする事も出来なかった。


 嫉妬とはこんなに激しいものなのか。こんなに苦しいものなのか。自分の中の倫理をも打ち砕くくらいの狂おしい感情に沙南は抗う事が出来なかった。


 沙南が、ポケットの中の手紙をつかんで動けずにいると、すべり台の影から誰かが出てきた。


「やあ、ちょっといいかな?」


 サングラスをかけた背の高い、がっしりした体格の男が立っていた。サングラスで目は見えないが何か危険な感じがした。


 沙南は怖くて思わず翔平の腕をつかんだ。翔平の顔が厳しさをたたえた。翔平は、すっくと立ち上がると沙南を庇うようにして前に立った。


「あんた、だれ?」


 翔平の顔は険しさを増し、声は硬かった。翔平の顔とは対照的に男は薄く笑いを浮かべた。その笑みが、男が危険であることを誇張しているようだった。


「ふたりでいちゃいちゃしているのを邪魔なんかしたくないんだけど、こっちにもちょっと事情があってね。後ろのかわい子ちゃん、こっちに渡してもらおうか。」

 

 沙南は、男のターゲットが自分だと知って体を強張らせた。自分が見えないようにと翔平の背中に身を縮めて隠れた。手は無意識に翔平のシャツを掴んでいた。


 こわい・・・


 足が震える。悲鳴を上げれば誰か気がついて駆けつけてきてくれるかもしれない。そう思うのに喉から声は出なかった。


「大丈夫だよ、沙南。沙南をこんな奴に渡したりなんかしない。沙南は、絶対、俺が守るから。」


 翔平が、低い声で私にだけ聞こえるようにそう言った。


 翔平の声に勇気づけられて沙南の足の震えは止まっていた。


 大丈夫。翔平がいれば怖くない。


 沙南は少しずつ冷静さを取り戻していた。ぐるっとあたりに目をやった。翔平の足手まといにはなりたくない。いざとなったら、自分で身を守るんだ。そう思って探していると、ベンチの下に50センチくらいの木の枝を見つけた。あれなら小太刀の代わりになりそう。もし男がナイフを出してきたら応じることくらいはできるかもしれない。


「こいつに、何の用?」


 沙南が得物を探している間、翔平は沙南を庇いながら、じりっじりっと後ろに下がった。 


「おいおい、俺から逃げられると思ってんのか?高校生のガキに簡単に逃げられるほど、俺は間抜けじゃないぜぇ。もう一度言う。大事な体、ケガしたくなかったら、その女を渡せ。」


 地面がびりびり振動しそうなくらいドスのきいた男の声に、翔平も沙南も身がすくみそうになった。


 だめだ。このままでは本当に翔平がケガをしてしまう。この男は、私に用があるんだよね。翔平は、大事な大会を控えてる。今ここでケガなんかしたら大変だ。私がこの男の所に行けば、翔平は助かるんだよね?男に従うふりをしながらあの木の枝を手に入れられれば何とかなるかもしれない。


 沙南はそう決心すると、翔平のシャツを放して前に出ようとした。すると、翔平は、右手で沙南を制止するときっぱり言った。


「沙南、俺が沙南を守るって言ったろ。お前をあの男になんか渡さない。」


「翔平、でも、翔平は大事な大会を控えているし、あいつが用があるのは私なんだから、私が行けば・・・」


「だめだ!そんなこと絶対させない。沙南があいつに攫われるくらいなら俺は大会なんか出ない。」


 翔平の気持ちはうれしかった。でも・・・


「おいおい、かっこいい事言うねぇ。さすがイケメンは何を言ってもさまになる。だ・け・ど・かっこつけるのは、これで終いだ。俺は忠告したぜぇ。それなのに、刃向ってきたのはお前だからな。どんな大ケガをしたっててめぇが悪いんだからなっ。」


 男はそう言うと、あっと言う間に私たちに近寄ると、翔平の胸ぐらを掴んだ。翔平は、男の手を掴み返して応戦しようとしていた。


「沙南っ、今のうちに逃げるんだっ!早くっ。俺が、こいつを掴まえているうちに、早く逃げろっ。いいか沙南、俺はお前が大事なんだ。テニスなんかよりもずっとだ。だから間違ってもお前が応戦しようなんて考えるなよっ。とにかく逃げてくれ、沙南っ。」


 翔平のことばに沙南は走った。木の枝を拾う事も忘れて夢中で走った。沙南は助けを呼びにいくつもりだった。

 

「まてっ!このやろう、放せっ。」


 翔平が男ともみ合っているのがわかったけど、今は、助けを探すのが先。公園の角を曲がった所のコンビニのおじさんに助けてもらおうと思った。


 もう少し。


 沙南が角を曲がろうとした時、誰かにぶつかった。


 どんっ


 ぶつかって転んだ私を誰かの手が掴まえた。


 っ!!


 自分を掴む大きな手に沙南は恐怖した。サングラスの男の顔が見えた気がした。


「いやっ、放してっ。」


 自分を掴まえている手を振りほどこうと、沙南はむちゃくちゃに暴れた。さっきの木の枝を拾っておけばよかったと思った。


「沙南っ、俺だよ、史輝だ。」


 へっ?しき・・・って、史輝兄ぃ?


 沙南は暴れるのをやめて、自分の手を掴まえている人を見た。確かにサングラスをかけてはいたが、その顔は見慣れた史輝の顔だった。見知った顔に安心して沙南の体から力が抜けそうになった。

 

「史輝、その子を頼む。俺は、翔平を助けに行く。」


 史輝と一緒にいた男の声に沙南ははっとした。男の人は全力疾走で公園の方に走っていった。


 そうだ、翔平が危ない。


「史輝兄ぃ、翔平が危ないっ、翔平っ、私を庇って・・・助けて、史輝兄ぃ!」


 沙南は涙で霞む史輝の顔を見ながら必死で頼んだ。


 もし、翔平が大ケガをしていたらどうしよう?私のせいで翔平が大会に出られなかったら?


 そう思うと涙があとからあとから溢れてきた。沙南は史輝の胸に縋って泣いていた。


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