俺と沙南の距離(翔平のつぶやき)
どこにいるんだ、沙南は?
自分の部屋を抜け出して郁美の家に行ったら、沙南はもういなかった。郁美は、俺が突然家に訪ねてきたから吃驚してた。そりゃそうだよな。俺だって、こんなことがなきゃ、郁美の家なんか行かないし。
いや、郁美のことはどうでもいいんだ。問題は、沙南だ。
郁美の話だと、俺ん家に向かったみたいだったから、俺はそのまま家まで引き返したんだけど、沙南には会わなかった。携帯で一平に確かめたけど、沙南が俺の家に来た様子もなかった。
一平には沙南が見つかったら、また携帯で連絡を入れると約束した。
一平の話だと、俺の家では、俺が抜け出したことを兄貴たちに言い訳するために3人とも大変な思いをしたみたいだった。兄貴たちは俺が勝手に抜け出した事を怒っていたようだ。だから、あまり自由にしていられる時間はない。早く沙南を探さないと。
それにしても、沙南はいったいどこだ?
沙南が俺の家に行こうとしているのは間違いないようだから、とにかく家の近くを探してみよう。
翔平は、10分くらい自分の家の近所をうろうろして、気がつくと沙南の家の近くの東公園に来ていた。
東公園か。小学校のころまでは、この公園で沙南とよく遊んだな・・・
っ!!
見つけた。沙南だっ。
翔平は急いで携帯を鳴らした。すぐに一平が出た。
「一平、沙南を見つけた。今、東公園にいる。これから手紙を受け取る。またあとで連絡するよ。」
早口でそれだけ言うと翔平は携帯を切ってポケットにしまった。
「○△@&☆§×Σ□!!!」
途中で、一平が何か怒鳴っているようだったが、沙南から手紙を受け取って早く沙南を安全なところに連れていきたいという思いが先に立ち、無視して電源を切った。
沙南は、公園の奥のゾウさんの形をしたすべり台の横のベンチに座っていた。うす暗くなる中、沙南の白いブラスだけがぼんやりと見えた。
翔平は、沙南をしっかり目に焼き付けたくて目を凝らして沙南を見つめた。沙南は、白いフレンチスリーブのシャープなラインのブラウスに紺のショートパンツ姿だった。足元はおしゃれなピンクのミュールをはいている。
最近は学校以外ではあまり会う事がなかったから、制服姿ではない沙南が沙南に見えない。
沙南、あんなにかわいかったっけ?
形のよいふっくらした唇。伏せたまつ毛の長さがここからでもわかる。きゃしゃな体にショートパンツからのびた細く白い足。隙だらけで無防備な沙南を他の男には見せたくない。そんな衝動が胸の奥から湧き出てくるのに翔平は戸惑った。
今、どうしてここにいるのかということは、翔平の頭から吹っ飛んでいた。
この時、この世には翔平と沙南しかいない。翔平はそんな気持ちになっていた。ひとりでに動悸が早くなる。じっとりと手に汗をかいている。足が思うように前に進まない。
どうしちゃったんだ、俺?
いつものように沙南に会うだけなのに。学校以外で沙南に会うの、初めてじゃないのに。私服姿の沙南だって、ほんとは何度も見ているのに。
落ち着け、俺っ。
翔平は大きく深呼吸をした。それから試合の前のように右手を心臓の上にあててぐっと押す。落ち着かせるための翔平のジンクスだった。ふうっと息を吐く頃には体の震えが止まっていた。幾分動機も落ち着いてきた。
とにかく、今は沙南から手紙を受け取るんだ。優衣からまだ何にも聞いてないけど、あの手紙を沙南が持っていると、沙南は危険な目に合うんだ、きっと。それだけは、断固、阻止しないと。
翔平は、ゆっくりと沙南に近づいた。
「沙南」
翔平の呼びかけに、沙南が顔をあげた。
「しょ、翔平っ!」
沙南は驚いて飛び上がった。
「沙南、話があるんだ。横、座っていいか?」
翔平は沙南の返事を待たずに横に座った。正面から沙南の顔を見ながら話す勇気は、まだなかった。沙南と翔平の間にはもうひとり座れるだけの距離があった。離れて座ったのは、自分の心臓の音が沙南に聞こえやしないかと心配だったからだ。
「めっ、めずらしいよね。ここで翔平に会うのって。」
沙南が笑って話しかけてきた。髪を耳にかけながら少し首をかしげてにこっと笑う沙南の左ほっぺにみえる片えくぼ。沙南は知らないが、この片えくぼに落ちた男を翔平は何人も知っていた。
やっぱり、こいつ、かわいいよな。
思わず抱きしめたくなる衝動を抑えようと、翔平は、ぎゅっと両手を握りしめていた。風に乗ってふわっとフローラルの香りがした。この香り、沙南がいつも使っているシャンプーの香りだ。このシャンプーはずっと沙南のお気に入りで、俺も何回か一緒に買いに行ったから知っている。
沙南の香り・・・・
もっとその匂いをそばで感じていたくて、知らないうちに自分から沙南に近づいていた。不意に腕と腕がぶつかった。沙南が驚いて俺を見ている。俺も沙南を見つめ返した。目と目が合う。鼻がくっつきそうなくらいのとこに、沙南の顔がある。
アップの沙南の顔を見て、思わず1メートルくらい飛びのいた。沙南も同じように飛びのいた。
「「ご、ごめんっ。びっくりしたから。」」
ふたりでハモって、ふたりで照れ笑いした。さっき、お互いに飛びのいたために開いた距離を縮めようと、俺はまた自分から沙南に近づいた。今度は、沙南は驚かない。また、ふたりの距離が近くなる。あと少し俺が横にずれればふたりの距離は、ゼロになる。
でも、そんなことは、できない。
そんなことしたら、今、俺が沙南に会っている本当の目的を忘れて、俺は沙南を抱きしめてしまう。きっと抱きしめて離したくなくなる。
翔平は、ありったけの理性をふり絞って自分を抑えていた。
「で、話って、なに?」
くすくす笑いながら、沙南が翔平に聞いてきた。
「沙南、今、沙南は手紙を持っているだろ?それを俺に渡してほしい。」
「・・・・・・・」
沙南の顔から笑顔が消えた。沙南は、何も言わずに黙って俺を見ていた。
ふたりの距離がゼロになるまでもうちょっとかかります。あと少し、あたたかく見守ってやってください。