沙南VS奈々美
部室を飛び出した沙南は、そのまま校門を出た。行く宛てがあったわけではない。とにかくその場から離れたい一心だった。どれくらい走っただろうか。気がつくと沙南は自分の家の近くの公園にいた。いつの間にか日が陰り足元の影が長くのびていた。公園には誰もいなかった。沙南は公園に入るとブランコに腰掛けた。
今朝、学校に行く時に見たすっきりと晴れ渡った空はとても気持ちがよかった。でも、今は、夕日にゆらぐ長い影のように、私の心はゆれている。
うっ、ぐすっ、う・・・
目頭が熱くなり、ブランコのくさりをぎゅっとにぎりしめた。思い出したくもないのに、勝手に部室でのことが頭をよぎる。一平が話したことばの一つ一つが沙南の心を打ち砕いた。
一平が沙南に告白するお膳立てしたのが翔平だという事実は消しようがない。翔平にとってやっぱり自分はほかの女の子と変わらないのだと、はっきり突きつけられた気がした。
翔平にとって私は、ただの幼なじみ。それだけなんだ。
そう思うとまた涙があふれ出す。沙南の頬を伝った涙は、ぽたっぽたっと、あとから、あとから膝に落ちた。
「もう、いやだ・・・」
沙南は、思わずつぶやいた。
夕暮れの風が濡れた頬をくすぐる。爽やかな風なのに、今の沙南には、そよぐ風も煩わしく感じた。
みんなにも合わす顔がない。
みんな・・・ごめん・・・みんなが、あんなにがんばってくれたのに、ダメだった・・・
私・・・私・・・ふられちゃったよ・・・
ふっ、うっ、っく・・・
涙はとまらない。止めようとも思わなかった。
「沙南?沙南じゃない?」
後ろから沙南を呼ぶ声がした。沙南は、びくっと肩を震わせて、慌てて涙をぬぐうと、後ろをふり向いた。
「奈々美・・・」
そこには、奈々美が立っていた。
「沙南、どうしたの?泣いてるの?」
優しい奈々美の声に、また涙が溢れそうになる。奈々美は、何にも言わずに沙南の隣のブランコに腰掛けた。二つの影がならんで揺れた。
しばらく、二つの影は、揺れ続けていた。
ぎぃっこっ、ぎぃっこっ。
交代で揺れるブランコをこぐ音だけが、誰もいない公園に響いていた。しばらくして、奈々美が沈黙を破って話しかけてきた。
「沙南、この前はありがとね。」
「えっ?」
沙南は、お礼の意味がわからず奈々美をみつめた。
「翔平に手紙渡してくれたでしょ?翔平からは何の返事もないけど、自分の気持ちはちゃんと伝えられたから。だから、ありがと。」
少し悲しそうな顔をして話す奈々美を沙南は見られなかった。沙南はまだ奈々美の手紙を翔平に渡してはいない。でも、それを奈々美には言えなかった。
「でもさ、返事がないのが翔平の返事なんだってわかっているんだけど、私、諦められないんだ。」
ブランコをゆっくり揺らしながら奈々美は言った。
「・・・・・・・・。」
「だからね、もう一回、チャレンジしようと思って。」
「チャレンジ・・・?」
沙南は驚いて聞き返した。
「そう、明日の朝ね、テニス部の翔平のロッカーに手紙を入れておこうと思って。」
テニス部と聞いて沙南は、思わずブランコのくさりをぎゅっと握りしめた。奈々美の声はしっかりしていた。同じ人を好きになって、その人に振り向いてもらえない事実は変わらないのに、自分と奈々美の覚悟の差を見せつけられた気がした。
「でね、その時にね、沙南にも立ち会ってほしいんだ。」
「えっ?」
思いがけない話に、沙南は思わず奈々美を見返した。
「もう一回翔平に自分の気持ちを伝ようっていう覚悟はできているつもりなんだけど、いざとなったら、ひとりでは怖くて・・・。」
奈々美は、さっきとは違って自信なさそうに少し俯いて、ぽつりぽつりと言った。
奈々美の気持ちを聞いて、沙南は手紙が翔平に届いていない事を奈々美に謝ろうと思った。奈々美は、翔平からの返事をずっと待ってたんだと思うと心が痛んだ。肝心の手紙は翔平には届いていない。
奈々美にきちんと謝ろう。それから・・・
沙南は、奈々美に自分の気持ちも伝えようと決めた。そして、もうメッセンジャーみたいなことはできないとはっきり言おうと思った。
私は翔平が好きだ。本当の私は、他の子の応援できるほど心が広くない。自分の気持ちを誤魔化してまでいい子でなんかいたくない。
「奈々美・・・あのね、」
「沙南、沙南も翔平のこと、好きでしょ?」
えっ!
突然、奈々美にそう言われて、私はことばに詰まってしまった。言おうとしたことが喉の奥に引っ込んだ。
「くすっ。その目、図星でしょ。」
奈々美は、くすくす笑いながらゆっくりとブランコをこいだ。
図星・・・
そのとおりだ。奈々美は気づいていたんだ。私が翔平を好きだってこと。
「うん・・・好きだよ。」
きいっ、ざっ。
奈々美はブランコを足で止めて降りると、すっと、私の前に立った。
「やっと認めたね、沙南。私、ずっと前から、沙南の気持ち知っていたよ。知っていて・・・翔平への手紙を沙南に頼んだんだよ。」
「・・・・・・・・・」
「どうしてって思った?普通、沙南も翔平が好きって知っていたら、手紙渡してなんて頼めないはずなのにって。‐‐‐‐‐‐‐‐だってさ、沙南はずるいよ。」
「えっ」
奈々美にずるいと言われて沙南はどきりとした。ブランコを握る手に力がこもる。
「ずるいんだよ、沙南は。沙南はいつだって翔平の近くにいられるじゃない。沙南が側にいても翔平は嫌がらないでしょ。沙南が話しかければ、翔平は笑ってこたえてくれるでしょ。でも私は・・・、私がどんなに思っても翔平には簡単に声もかけられない。勇気を出して声をかけたって、たいがい無視される。沙南にはわからないでしょ?好きな人に・・・本当に好きな人に、ありったけの勇気をだして声かけても無視される私の気持ちなんて!!」
「奈々美・・・」
奈々美が、そんなことを思っていたなんて知らなかった。奈々美が言うように、私は思い上がっていたのだろうか。
確かに翔平は、私が翔平の声が聞きたいと思えばいつでも話し相手になってくれる。側にいて欲しいと思えばとなりに座ってくれる。それは幼なじみの特権だと甘えていた。だから、翔平を好きなのにこのままでいいなんて思っていたのかもしれない。自分の本当の気持ちは心にしまったままで、わざわざ告白して今の関係を壊したくないと思っていたのかもしれない。
「奈々美のいうとおりかもしれない・・・私・・・ずるいよね。幼なじみだってことに甘えて、自分は本当の気持ちを伝えなくても翔平は変わらず側にいてくれるって思い上がっていた。」
奈々美はまっすぐに沙南を見返していた。
「きっと、奈々美から見たら私って優越感に浸っているように見えたんだろうね。翔平にとって自分は特別だからって上から目線で人の手紙届けてって、そう見えたんだろうね。」
「わかってんじゃない。そう見えたんじゃなくって、そうだったでしょ!」
奈々美の怒りがことばから伝わってきた。奈々美がそう言う気持ちになるのは理解できたが、こうストレートに言われると何だか面白くなかった。
沙南だって余裕があったわけでも、自信があったわけでもない。翔平にどう思われているかという不安な気持ちは奈々美と同じだった。
「違う。私だって余裕なんかないよ。自信だって・・・ないんだから。奈々美が素直に自分の気持ちを翔平に伝えようとしているのを見て、いいな、うらやましいなって思っていた。ほんとは、誰かの本気がつまった手紙なんか翔平に渡したくなかった。そう思っているのに、断れない自分にどれだけうんざりしていたか。何で私は断れないんだろうってどれだけ自分を責めたか奈々美にはわからないよ。幼なじみだから踏み出せないこともあるんだから。」
こんなに自分の気持ちを外に出したのは初めてかもしれないと沙南は思った。いつもは自分の気持ちを飲み込んで言いたいこと我慢していた。けれど今日は違う。自分の言いたいことをきちんと伝えられた。
「言いたいことは、それだけ?」
「っ!」
奈々美の冷たい声に、今までの勢いを削がれた沙南はぐっとことばを飲み込んでしまった。
「沙南がどんなに自分を弁解したって、私がこれまで味わった苦しさの半分にもならない。だから私は沙南の気持ちなんかわかってあげない。沙南も私の気持ちをわからなくてもいいよ。でも、でもね、明日は来てほしい。沙南には私の覚悟を見届けて欲しいから、ぜったい来て!」
奈々美はそう言い放つと駆け足で去っていった。
「奈々美っ」
大声で呼んだが奈々美は振り返らなかった。あっという間に公園の角を曲がって見えなくなった。
沙南は困ってしまった。もう、翔平への恋の橋渡しなんかしないと決めたのに、このままでは同じだ。しかし、沙南には奈々美の手紙を翔平に渡せていない負い目があった。
はぁぁぁっ、思いっきり、気持ち重っ。
翔平に振られたばかりで、つらいのに・・・なんで私が。
沙南はこの時、奈々美が計画していた恐ろしいことをまったく知らなかった。奈々美の計画を知っていれば、絶対行くはずはなかったのだ。