05
「(生物室行って、美術室行って・・・音楽室も定番だよな)」
三十分前、部活に行ったはずの晴太と明が(二人とも同じ部だ)がいきなり図書室に乗り込んできて、俺に一枚ペラリとノートの切れ端を与えて去っていった。何も言わなかったので、変に思い渡された紙を見ると上のほうにきれいな字で「肝試しのルート考えろ!」と書いてあり、その下にずいぶんと汚い字で「これは明日の朝京介に提出」とあった。
「(あと礼拝堂とか?あー、でも俺あそこは本気で怖いしな)」
運動場をはさんで校舎と向かい合うようにして建っている礼拝堂の闇夜にひっそりとたたずむ姿を思い浮かべて、一人ぞっとする。あそこは日の高いうちでも、一人で入っていくのははばかられる場所だ。
この際あえて自分の事は考えずに最恐コースをつくるか、とぼんやり考えているとふと目の端に時計が映った。時刻は五時五十八分、そろそろ閉館だ。カウンターから立ち上がり、図書室内を見回す。たしか、今日はもう生徒がいなかったはずだ。
「そろそろ閉館です」
念のために声をかけたが、棚の間から生徒の出てくる気配はない。
「(先月だったらそろそろ『おうい』がくるな)」
そう言えば、結局香川さんの体はどんなものだったのだろうか。もし俺が香川さんと出会わなければ、肝試しで俺たち四人は本物のおばけを見たかもしれない。図書室の扉の前に立っている、人骨のどの部分かを。
「(あ、俺本物に会ってんじゃん)」
肝試しを怖い怖いと思っていたが、気づけば俺は香川さんという本物の幽霊に出会っているのだ。そう思えば、怖くないような気もする。
「(でも姿は見てないんだよね。実体があったらもっと怖いかな)」
香川さんが幽霊だと知った時、俺は怖くて怖くてしょうがなかった。竹田のお遊びのお陰で救われたものの、あれがなければたぶん今でも怖がっていたはずだ。
「(いくら本物に出会ってても、他の奴が出てきたら怖いかな、結局)」
はあ、とため息をついた。本当、あの三人にかなり振り回されている気がする。なんだか明日の事を思うと急に疲れがでてきて椅子に座りこもうとした、その時であった。
「おうい」
一言。聞きなれた声が、図書室中に響き渡った。
「(香川さん?)」
いや、そんなはずはない。彼は昨日、体と再会して成仏したはずなのだ。きっと空耳だ、そう思い帰り支度をはじめると、
「おうい」
確かに、聞こえた。俺は一回椅子に座りなおし、そして目をつむった。もう一度、確かに聞きとれれば返事をしよう。カウンターの上に先生が置いていった鍵の束を握りしめ、俺は三度目の「おうい」を待った。
「おうい」
「はい」
来た、そう思った時には声を張り上げていた。飛び上るようにして椅子から立ち上がり、書庫へと向かう。
「六角君、失敗だ!」
俺が書庫に入る前に、たまらなかったのか香川さんはそう叫んだ。
「体が来なかったんですか?」
あせって書庫の鍵を開け、中に滑り込むと俺はすぐに香川さんのとり憑いている本を手にとる。昨日の放課後、わかりやすいようにと入ってすぐ目にとまる場所に位置を変えておいたのだ。
「いや、体は来た。来たが、入ってこなかった」
「入ってこなかった?」
おかしい。鍵は全て開けておいたはずだし、朝登校して一番にすべての鍵を閉めにここに来たのだ。誰か他人が夜中に閉めた可能性は無い。
「扉を開ける事が出来なかった?」
図書室の扉は少し重みがあり開閉には力がいる。窓にしても手をどこかの突起にひっかけて、横に押さなければならない。つまり、鍵は開いていても、その二つを開ける力、または能力がなかったと考えられる。
「おそらく体は窓ではなくこの部屋の外側の扉あたりにいたと思う」
気配が遠かった、と香川さんがつぶやいた。
「他に何か、気づいた事はありませんか?」
骨の一部だったら、扉や窓を開ける事はきっとできない。やはり、手だけ、とか足だけ、が正解だったのか。
「うん、何かカリカリという音が聞こえたよ」
「カリカリ?」
「何だろうな、爪で木を引っ掻くような音だ」
香川さんの意外な言葉に、俺はますます頭をひねった。カリカリという爪で木を引っ掻くような音・・・
「・・・あ」
ふと頭の中に、あるイメージがうかびあがった。扉を開けることができなくて、学校の近くにいて、夜中に歩き回ってもけして目立つことのない存在。
「ああ」
気づけばするすると謎が解けてきた。
「香川さん」
「なんだね」
「あなたは神様に言語能力を与えられたんですよね?」
「そうだよ」
やはり。たぶん、俺の考えはあっている。
「香川さん」
「うん?」
「明日、俺が体を連れてきてあげます」
「本当かい!?」
「ええ、楽しみに待っておいてください」
俺はにっこりと本に笑みを向けた。あとは明日、答え合わせをするだけだ。
「それじゃあ、ルートは五階の中教室からはじめて各教室をまわった後にこの教室に戻ってくるという案でいくぞ」
夜の九時をすぎて、やっと職員室の明かりが消え、俺たち四人は懐中電灯を片手に学校の地図を広げていた。明が見つけてきた教室は窓もなく、四人が泊まるには十分な広さのある物置状態の部屋だった。学校の最上階にあり、警備員がまわってくる事も無いらしい。放課後にジャージ姿で集まった俺たちは、教室を掃除してメシを食った。生徒のほとんどが下校する時間を見計らい、茶道部の部屋に置いてあるという噂だった布団(未確認情報だったが、行ったら本当にあった)を失敬し、教室に急いで運び込むと、結構な快適空間へと様変わりした。
「特別教室の鍵はいつも空いてるから良いとして、本日は肝試しのために我らが六角敬英君が唯一施錠している図書室の鍵を開けておいてくださった、拍手!」
パチパチと盛大な拍手が巻き起こる。俺は片手を肩の高さにあげ、軽くお辞儀をしてみせた。
「さらにこの会を後援してくださった大島京介君のご両親に感謝!」
今日学校に泊まるという事は、親にはもちろん秘密である。だからみんな、今日は一応京介の家に泊まっているという事になっていた。京介の両親はと言うと、両親とも学生時代にこの「合宿」をやった事があるそうで喜んで息子にも「やれ」とゴーサインをだしたらしい。変わった家もあるものだ。
「各教室に行った証拠として、その教室の中にある物をとってくる事!制限時間は一人三十分でかかった時間が一番短かった人が勝ちで長かった人が負けな」
「罰ゲームは?」
「明日の昼に売店のパン一個おごる」
「いいぜ、じゃあ誰から行く?」
黙っているうちに話はどんどん決まっていく。もう香川さんの体は図書室の扉の前にいるだろうか。
「俺行くよ」
なんとなく、いるような気がした。
「まじかよ、タカ」
「勇気あるぅ」
「早く終わらせたいだけだよ。最速で戻ってくる」
「お、勝利宣言ですか!んじゃ、扉出る所からストップウォッチかけるぞ」
京介が布団の上に寝そべり、うきうきとストップウォッチを手にとる。俺はうなずき、扉に手をかけると、
「それじゃ、行ってきまーす」
と真っ暗な廊下に一歩踏み出した。後ろ手に扉を閉めると、すぐさま走り出す。目指すは生物室、そして図書室だ。あらかじめルールを予測しておいた俺は図書室に特別教室の数と同じ本数のチョークを用意していた。香川さんの事で時間をとられても、それを持ち帰れば全ての教室をまわる必要はない。ポケットの中に入れている懐中電灯は廊下ではつけない事にしていた。もしつけて巡回中の警備員にでも見つかったら大変だ。下りなれた歩幅の階段を小走りで過ぎていく。生物室は二階下だ。
細心の注意を払い、無事につまずくことなく月明かりに照らしだされた廊下に到着した。生物室は一番奥、角を曲がると俺はすぐに懐中電灯を握りしめ、いつでも点灯できるようにスタンバイする。
「(お願いだ、あっていてくれよ)」
ガラリと生物室の扉をあけ、ぱっと懐中電灯を点けた。とたん、照らしだされるホルマリン漬けの標本たち。さすが、夜見るのと昼見るのとでは迫力が格段に違う。懐中電灯の光を反射したそれは、かなり不気味な光景だった。進みたがらない足を無理やり動かし、教室内へと入り込むと真っ先にホルマリン漬けを通り過ぎ、人骨の標本が入っている棚を見た。
「(やっぱり)」
俺は予想通りの状態に思わずにやりと笑みをうかべた。棚の戸は少し開いており、二つの人骨標本の下、この前見た時には確かにあった猫の骨格標本がなくなっている。
ずっと人間だと思っていたが、香川さんは猫だったのだ。
俺は懐中電灯を消し、一目散に駈け出した。向かうは図書室、香川さんとその体をひきあわせてやらなければならない。
香川さんは明治時代に、人間と一緒に大陸から渡ってきたのだろう。恐らく、誰かのペットか、日本で売られるためにつれてこられた。どちらにしろ、母親猫が脱走を図り、野良になった所で香川さんが生まれた。やがて母親が死に、まだ子猫で生きる術を知らなかった彼は運良く「香川さん」に拾われたのだ。学校の経営者だった「香川さん」はキリスト教徒だったのだろう。香川ルカ、変な名だと思ったが、聖書の中の「ルカによる福音書」のルカからとったものだったのだ。学校内に自由に出入りできたのも、猫だから、生徒に人気があるのも猫だから、殺されても大騒ぎにならなかったのは猫だったから。何の恨みを買ったかは知らないが、生徒に本で殴られたのだ。そして骨は標本となり、魂は本に宿った。きっと本は、殴った生徒が書庫に投げ入れたのだろう。
足音を殺して図書室付近までやってくると、かすかにカリカリと木を爪で引っ掻く音が聞こえてきた。図書室の扉の傷、あれは香川さんの体が中に入りたくて一晩中引っ掻いた痕だったのだ。
「ルカ」
一声、闇の中から呼びかけると、カリカリという音がやみ、コツコツと二、三歩動いた音がした。明かりはなかったが、かまわず進む。
「ルカ、おいで」
扉の前にたどりつき、俺はその場にしゃがみこんだ。とたん、膝の上にかたいものが乗ってくる。
骨だ。
「今つれてってやるからな」
なでてやろうにも毛並みがないので、優しく話かけ、抱きかかえて立ち上がった。香川ルカは抵抗せずに、おとなしく腕の中におさまっている。左手で触れている骨はひやりとしていた。
重さのある扉を片手で押し開け、懐中電灯をとりだした。窓から月明かりがさしこんでいたが、書庫の中は真っ暗だろう。
「おうい」
「はい、今来ました香川さん」
書庫の鍵も、放課後に開けておいた。体を軽く押し当てると扉は開き、隙間ができた瞬間、腕の中から体が飛び出す。コツ、という音が響き、次にバサリと本の落ちる音がした。
「香川さん?」
今落ちたのは、香川さんのとり憑いた本だろうか。
「大丈夫ですか?」
なんとなく明かりをともすのがはばかられ、懐中電灯を持っていた手を下におろした。そのまま目の前の暗闇を凝視する。
しばらくの間、何の音も動きもなかった。ただ何かにとり憑かれたかのようにその場に立ちすくみ、じっと次の気配を待っていたのだ。何か、起こらないのか。とても長い間、そうしていたように感じた。
「ニャーオ」
突然、静寂をやぶり甘えたような甲高い声がした、と思うと足元にふさふさとしたものがまとわりつき、
「ニー」
二言目と同時に、ふとそれは走り去ってしまった。