クレタ島にて(うっかり契約してしまったツアー会社の売り文句がでたらめだった件)
「私達日本語話せます」に騙されて入店してしまったアテネの旅行代理店(力士のような恰幅のおばさんが二人いたので「どすこいトラベル」とあだ名をつけました)で、うっかり契約してしまったエーゲ海巡りの話です。
これまでUPしてきた「旅先の出来事」シリーズの話は対人関係メインで描写がほとんどありませんが、今回はちょっと風景描写が入っていたりして、普通の旅日記になっています。
「旅のトラブルがどんなだったかだけ知りたいのに」という方には申し訳ありませんが、よろしければ、しばしお付き合いくださいませ。
1991年3月20日、曇り。5:30起床。寒い。どすこいトラベル手配のタクシーでプラカ地区の安宿からエリニコン国際空港へ。
空港にはゴミ箱も灰皿もなくて、床にポイ捨てされた吸い殻や紙屑を複数の掃除人がせっせと掃き集めている。バゲージチェックを抜けると掃除屋さん達がいなくなって灰皿とゴミ箱があったので、セキュリティの問題かな。地下鉄サリン事件以降は日本でもいくらかセキュリティ意識があがったけど、湾岸戦争が終わってまだ日が浅かったこの頃でも日本国内はのどかなものだった。
乗り込んだのはボーイング737、小型のジェット。オリンピックエアウェイのスチュワーデスさん(この頃はキャビンアテンダントではなくこう呼んでいた)の制服はブルーのズボンとオーバーコート。あったかそう。
空席の目立つ機内にはスーツを着た男性が多かった。みんなお仕事なのかな?
オレンジジュース一杯飲んでいる間にクレタ島に着いちゃった感じ。
バス(自腹。一人200ドラクマ。全交通付きプランなんだから、これもセットさせておけばよかった)でハニア市(Χανιά)中心部へ。小雨がぱらついている。
車窓から荒れ野を見ていて、ギリシアって厳しい土地なんだと思う。
オフシーズンなので街は閑散とした雰囲気。ツーリストが少ないのは湾岸戦争のせいもあったかもしれない。
私達の旅もトルコから始めるつもりだったけど、まだ危なそうな地域に近いから、という理由でトルコを避けたんだし。乗り換え地点のモスクワまでの飛行機で隣に座ったトルコ在住の日本人の方からトルコは大丈夫と聞いたので杞憂だったみたいだけど。
港町ハニアには石造りの灯台と水門のある防波堤があった。ヴェネツィア人が築いたという古い城砦は潮風にさらされ、あちこちが崩れ落ち、それでも堅固にこの港を護っていた当時を偲ばせる。
街のあちこちに魚屋がある。ハーブを売っている店もたくさん。
予約されていたホテルは部屋に貼られていた料金表によるとCクラス。デラックスホテルは嘘だった。今はローシーズンなので宿泊料も安い。
バスタブなしのシャワーのみ。夕方私が入った時はぬるかったけど、夜に友人が入った時はちゃんとお湯が出たらしい。不安定でもお湯も出るのはましかな。安い宿だとせいぜいぬるま湯にしかならない事も多いから。
隣のホテルはAクラス。あっちだったらバスタブもついているんだろうなー。
「ROOM」の看板があちこちに出ていたし、これなら安い部屋がいくらでも見つかっただろうにと、またちょっと後悔。
3月21日。
朝食はめちゃ甘いオレンジジュースとポットのネスカフェ、ミルク付。大きめのパン。小さいチーズとバター。チェリーとアプリコットのジャム(一回分のパック)。カステラ一切れ。
ギリシアでコーヒー(カフェ)を頼むとフィルターを使わず、挽いたコーヒー豆と水を鍋で煮立て、カップの底に粉が沈むのを待ってから上澄みを飲むやつが出てくるので、日本で言うコーヒーはネスカフェと呼んでいた。今でもそうなのかは知らない。
これのどこが豪勢なアメリカンブレックファストだって? ベーコンエッグとか、でっかいソーセージとかフルーツ入りのヨーグルトとかコーンフレークとか言ってなかったか?
でも、給仕してくれたおばさんに「エフハリストー(ありがとう)」って言うと「パラカロー(どういたしまして)」って極上の笑顔が返ってきて、ちょっぴりいい気分。
食堂の窓から向かいの屋根でくつろいでいる猫を眺める。
街の玩具屋さんでドラえもん電卓発見。別のお店では古びた感じのする十字手裏剣が売られていた。900円くらいだったかな?
3月23日
明日はイラクリオンに移動する日だというのに、どすこいトラベルから連絡がこないので何時に出ればいいのかさえわからない。
3月24日。晴れ。
どすこいトラベルで渡されたクーポンと引き替えに、ホテルのレセプションでバス代(現金3300ドラクマ)をもらって長距離バスに乗った。
岩山。カラッカラに乾いた岩山。大地にへばりつくように生える濃い緑の木々。斜面で草を食む羊。何かの識別用なのだろうか? 時々、赤く染められた羊が混ざる。遠く、白い雪を頂く山々。
いくつか川らしいものを見たけれど、まともに水が流れていたのはひとつだけ。
海岸からいきなり切り立った岩山になる。もしくはほんの少しの帯状の平地を残して。
とろりと青い海。ギラギラ照りつける太陽。
イラクリオン到着。
長距離バスの発着場でホテルの場所を訊くと「ここから行くのは難しいよ。タクシーに乗るんだね」。
どすこいトラベルから渡されたのは長距離バス代だけなので、タクシーは使いたくないと言うと「ブルーバスの6番に乗りなさい」との事。
ブルーバスの乗り場の場所を尋ねると、横でその会話を聞いていた女の子を二人連れた夫妻が連れて行ってくれた。ありがとう。
ブルーバス(一人180ドラクマ)から降りると、ホテルの場所を尋ねた人が「タクシーに乗るべき」と言った理由がわかった。クーポン記載の宿の場所がわかりにくいのなんの。
かなり迷ってやっとたどり着いたというのにレセプションで聞かされた科白は
「満室だから別のホテルへ行ってくれ」
以下レセプションでの会話。
「そのホテルまでの地図ってある?」「ない」
「距離は?」「1キロぐらいかな?」
「どーやって行けばいい?」「タクシーで」
「それって、自腹?」「そう」
いい加減疲れていたし、そこで問答しててもしょうがないと指定されたホテルへ行く事にした。が、タクシーがなかなかみつからない。こんな事ならレセプションから呼んでもらえばよかった。でも、チップ払うの嫌だし、とか思って頼まなかったんだけど、よく考えたらオーバーブッキングは宿の責任なんだからタクシーくらいそっちで手配しろって粘ればタクシー代宿持ちで呼んでもらえたのかな。
なんで今朝のうちにハニアのホテルに連絡くれないかなぁ。荷物かついで随分ウロウロさせられたうえにタクシー代まで使わされてしまった。
そしてやっぱりホテルはデラックスではない。
3月25日
クノッソス宮殿行のバスに乗ろうとしたらチケットブースがお休みだった。
近くの煙草屋で「クノッソスまで」って言って買ったら90ドラクマのチケットを渡されたんだけど、バスの運転手さんは一人130ドラクマだと言う。で現金で300ドラクマ渡したら20ドラクマしかお釣りをくれなかった。計算を間違えたのか、先に買ったチケットと現金だと料金が違うのかわからないけれど、言い争うのも面倒でそのままにした。
着いてみると今日は見学お休み。土産物屋らしい小さな建物もしまっている。周囲は何もない山の中。そのへんをうろうろして街に帰った
街を歩いていると人がたくさん流れてきたので訳がわからないままついて行くと、エレフテリア広場にロープが張ってあって、みんな場所取りをしている。ギリシアの独立記念日だという事がわかり、宮殿のお休みもなるほどとなる。
待つこと約1時間。ブラスバンド、銃を担いだ兵隊さん、民族衣装の女性などが行進していった。テレビカメラも回っている。
演奏は下手だったし、行進の足並みも揃っていなかったけど、カメラを持った親御さんらしい人達が少しでもいい場所から写真を撮ろうと頑張っていた。
3月26日
昨日使い損ねたチケットでクノッソス宮殿へ行く道の途中にある病院までバスに乗った。そこから歩き。
アテネは寒かったけど、クレタ島の日差しは結構きつい。周囲に何もない田舎道、たまに車が通るくらいで、私たちの他に歩いている人もいない。
代り映えのしない風景に飽き飽きしていると、畑仕事をしているおばさんを発見。
「カリメーラ(おはようございます)」と挨拶して、「カリメーラ」と返してもらっただけで少し浮上する。
そうこうしているうちに、ミノタウロス伝説の地、クノッソス宮殿に到着。
入場料は500ドラクマ。
かなりの部分がなくなってしまっているので、ぱっと見て宮殿と言われても「え?」って思う人が多いんじゃないかな。
それでも当時は4階建てで、1200以上の部屋があったとされている。下水溝とか、一部残っている壁画とか、じっくり見ていたら3時間くらいかかった。
使ってある石材には雲母がたくさん混ざっていて、きらきらと陽光を反射して綺麗だった。
帰りもまた途中まで歩き。
3月27日
18時に出向する船でサントリーニ島に渡る予定なのに、午後になっても船のチケットが届かない。
大丈夫か、どすこいトラベル。
以下 クレタ島で書いた落書き
春 クレタの夕陽はつつましい
海の青が徐々にその濃さを増し 半透明の黒い薄ガラスを通したような色が混じる
西空はエアブラシでぼかしたような薄桃
太陽はわずかな光輝を放つ黄色味を帯びた白金の盆だ
あつかましい程のぎらつきも 鮮血のような毒々しさもない
中天は淡い水色 白く輝く月が浮かぶ
どれもこれも 淡い色調の赤紫・藍・黄・桃色が複雑に それでいて明確に層を成し じわじわと薄墨が世界を侵し始める
ふと気付くと 太陽の黄色が濃さを増し パステルオレンジに変じたと思った次の瞬間 全面が淡い朱色に染まっている
かすかに煙る 山の端
下方から暗い赤に変じていく太陽 まるで消えゆこうとしている線香花火を見ているようだ
アポロンの馬車が朱に染まってからほんの僅かの後
月だけが天空で冷たい微笑みを投げかける
が 街はまだ充分に明るい
地下のトンネルの入り口から 日の光が漏れだし
ふたつの光源の魔法が世界を目まぐるしく塗り替え 万華鏡のように変貌させていく
ここには眩しく眼を射る残照はない
エリニコン国際空港はアテネ南部約7kmに位置していた。2001年に閉鎖。
当時1ドラクマ90銭はしない感じかな。両替した日によっては82銭くらいの事も。
サントリーニ島の話は明日UP予定です。




