第9話:私たちの嘘の重み
第9話へようこそ!
今回は、ちょっとだけ胸がキュッとなる場面と、思わず笑ってしまうやり取りが詰まっています。
サユリとヒロシの距離が、ほんの少し…でも確実に近づく瞬間を、ぜひ見守ってください。
それでは、物語の扉を開けましょう。
第9話:私たちの嘘の重み
「……その、記憶をなくすようなトラウマ? 私には全然わかんないんだよね」
ぎゅっと拳を握って、テーブルを見つめながら言った。
「お父さんもお母さんも全然話してくれないし、“気にすんな”って…それだけ」
小さくため息をついて顔を上げると、ヒロシがこっちをじっと見てた。
(またこの無表情…何考えてんだろ。もしかして、私の記憶のこと心配してる…? はぁ〜、もうちょっと顔に出せばいいのに…)
「ま、でも心配しないで。別に頭がズキズキするとか、そういうのはないから」
緊張をほぐそうと、笑ってみせた。
ヒロシは腕と脚を組んだまま、髪を軽く揺らして鼻を鳴らす。
「ふん、別にお前の記憶なんか気にしてねーし。俺の知ってる話じゃねぇし」
わざとらしく咳払いしてから続ける。
「ただ…忘れんなよ、俺らは“仮の関係”だってこと。ウチの親の前でいきなり記憶喪失とか言われたら困るだろ」
そう言って、ぷいっと視線を逸らした。
「……あ、あぁ…そ、そういうことね」ちょっとムッとしながらも、笑顔は崩さず返す。
「忘れたりしないから」
ヒロシはちらっとこっちを見て、また窓の外へ目をやった。
(何その発想!? 別にアルツハイマーじゃないんだから! ただ昔のことを忘れてるだけなのに…)
心の中でぶーぶー文句言いながらも、表情は柔らかく保った。
時間はいつの間にか過ぎていて、夕方の柔らかな光が部屋を満たしていた。緊張感はあるのに、不思議と落ち着く。こんなに自分のことを誰かに話したのは久しぶりなのに、ヒロシ相手だと妙に自然だった。
(…シンといる時みたいに安心する)
しばらくして、ヒロシが時計を見て小さく息を吐く。
「もう遅いな。今日はこのへんにしとくか。続きは明日だ」
そう言って立ち上がると、寝室の方へ歩いて行った。
私はこくんとうなずきながら、胸の中で色んな感情がぐるぐる回る。
こんなふうに他人の家に泊まるなんて初めてで、少し不安…でもこれは計画の一部。慣れなきゃ。
ふと、さっき荷物を渡したときに手が触れた瞬間を思い出した。あの一瞬のぬくもりがまだ指先に残ってる気がする。
(な、なんで今それ思い出すの!?)
頬がじわっと熱くなり、慌てて俯く。心臓が変に跳ねた。
ほんの一瞬の触れ合いなのに、忘れられない。理由はわからないけど、何かが胸に残ってる。
(…シンに悪い気がする)
でも、そもそもこの状況を作ったのはシンだし…バカシン。
ヒロシが戻ってきて、咳払い。
「…ベッド、用意しといた」視線は合わせない。
「あ、ありがと…」思わず声が小さくなる。
手首を軽く振って寝室を示す。
「行けよ。別に俺は急いで寝るわけじゃねーし。俺はソファで寝るから」
私はこくんとうなずき、まだ少し早い鼓動を感じながら立ち上がる。
「…ありがと、ヒロシ」視線を逸らして頬の熱を隠した。
ヒロシは軽くうなずくと、また元の場所へ腰を下ろした。
私は…またあの触れた感覚を思い出してしまう。何なんだろう、この感じ。
じっとヒロシを見ていると、彼が低くぼそっと言った。
「…言いたいことあるなら言えよ。見つめてても通じねーし。俺、エスパーじゃねーんだから」
一瞬だけ、頬が赤く見えたけど、すぐに元の表情に戻った。
(あ…私、ずっと見てた!? うわ、絶対変な感じに思われた…!)
「い、いや、なんでもない!」慌てて立ち上がり、寝室へ逃げ込む。
暖かく柔らかい光に包まれた部屋。ベッドはきちんと整えられていて、まるで「おいで」と誘っているみたい。
(なんか変な気分…ここは私の家じゃないのに、今からここで寝るんだ…しかも“あの人”と同じ屋根の下で)
パジャマに着替えてベッドに横たわり、天井を見つめる。数日間の出来事、計画のこと、ヒロシのこと…色んな思いが頭の中を巡る。
(…なに考えてんだか)
コンコン、とドアを叩く音に心臓が跳ねた。
「…ユリさん、落ち着いたか?」少し控えめな声。
「うん、大丈夫」返事をすると、ドアが開き、小さなランプの光に照らされたヒロシの顔が覗く。
「…風邪とか引くなよ。居心地悪くても」腕を組みながらも、視線はどこか柔らかい。
「何かあったら言え。別に無視するわけじゃねーし」
(…ちょっと髪が乱れてる。なんか、いつもより…かっこよく見えるんだけど)
慌ててその考えを振り払う。
「ありがとう、ヒロシ」
(もっと素直に言えばいいのに…)
しばらく黙って、私の様子を確認しているみたいだった。あの目が、なぜか安心させる。…気のせいかな。
「…おやすみ、ユリさん」少し頬を染めて、踵を返す。その途中で振り向き、
「…朝になって全部忘れてたとか、そういうのやめろよ。計画が狂うから」
(またその言い方〜!)
「お、おやすみ、ヒロシ!」思ったより温かい声が出てしまった。
ヒロシはうなずくだけで、ドアを閉めた。
(はぁ…シン、今何してんのかな…)
ここまで読んでくださってありがとうございます!
第9話は、書いている私も少し照れてしまうシーンが多かったです。
サユリの気持ちの変化や、ヒロシの不器用な優しさが、少しでも皆さんに伝わっていたら嬉しいです。
次回もぜひ、お楽しみに。