表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/62

第5話:宿屋「赤の鉤爪」

 カミノケマーケットを抜け、市場の東側へと足を進める。


 道を進むにつれ、喧騒は少しずつ落ち着き、人通りもまばらになってきた。市場の活気とは対照的に、こちらは陰鬱な雰囲気が漂っている。建物の外壁には剥がれかけた布や木板が貼られ、見上げると黒ずんだ三階建ての建物が不気味にそびえ立っていた。


 「ここが……宿屋か?」


 扉の上にある看板には何か書かれているが、俺にはまったく読めない。どうやら、この世界の文字は俺の知っているものとは違うらしい。


 目の前に立つのは、頑丈そうな石と木で作られた建物だった。扉の上には、赤く塗られた鉤爪のマークが掲げられている。看板の色褪せ具合から見ても、決して新しい宿ではない。


 「……入るしかないか」


 扉を押し開けると、内部は薄暗く、燻った油の匂いが鼻をついた。中には数人の客がいて、みな粗野な雰囲気をまとっている。角の席では、大柄な男が分厚いパンをちぎりながら酒をあおり、カウンターではフードを深く被った人物が何かを囁くように店主と話していた。


 「おい、新顔か?」


 カウンターの向こうから、屈強な体格の宿の主人が俺を見ていた。灰色がかった髪と鋭い目つき、傷だらけの腕が、ただの宿屋の主人ではないことを物語っている。


 「部屋を探してるなら、空きはあるぞ。だが、ここでのルールは守ってもらう」


 「ルール?」


 「余計な詮索はしないこと。ここに泊まる連中は、みんな事情を抱えてる。お前もそうなんだろ?」


 俺は軽く息を呑み、適当に頷いた。


 「……そういうことにしておくよ」


 とにかく、今は寝床を確保しなければならない。


 「宿泊料はいくらだ?」


 「一泊50バイトだ」」


 俺はそう尋ねながら、ポケットの中を探った。異世界の通貨など持っていないが、試しに日本円を恐る恐る取り出してみる。五円玉や百円玉を机に置くと、宿の主人が目を細めた。


 「……おい、これ、本物か?」


 まじまじと硬貨を眺める宿の主人。その手つきは、まるで珍しい宝を扱うようだった。


 「どこで手に入れた?」


 「日本、という国で……」と言いかけて、俺は口をつぐんだ。


 「まさか、お前……冒険者か?」


 「え?」


 宿の主人は五円玉を指で弾きながら続けた。


 「この穴の空いた硬貨、たまに発掘されるんだよ。特に遺跡から。冒険者が見つけることが多くてな、価値のある品として扱われてるんだ」


 「そ、そうなのか……」


 どうやら、日本円はこの世界では珍しい宝物のように扱われているらしい。


 「ちなみに、この国の通貨単位はバイトだ。酒一杯で10バイトってとこだな」


 「なるほど……」


 俺は試しに五円玉を宿の主人の前に差し出した。


 「この硬貨、宿代に使えないか?」


 宿の主人はじっと五円玉を見つめ、指で弾いた。


 「……ふむ、本来なら100万バイトの価値があるが、そんな額の現金はここにはない。30万バイトでどうだ?」


 俺は考え込んだ。一泊50バイトの宿代を払うには、30万バイトは明らかに高すぎる。だが、ここで断る選択肢はない。


 「30万……?」


 額の大きさに一瞬驚いたが、宿代としては十分すぎる。渋々ながらも、俺は頷いた。


 「わかった、それで頼む」


 こうして俺は、異世界での初めての宿泊を確保することができた。


 俺は、自分の手元の日本円がどれほどの価値を持つのか、慎重に考え始めた。俺は主人に金があるとはいえ、適切な使い方を考えながら、宿の空気を探るように奥へと進んだ。


 ふと気になり、振り返る。


 「そういえば、この宿の名前は?」


 宿の主人はニヤリと笑い、指で扉の上を示した。


 「『赤の鉤爪』さ。読めねぇんだろ? なら、しっかり覚えておくんだな」


 俺は看板を見上げ、改めてその異世界の文字を目に焼き付けた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ