2 ウスバカゲロウ
裸足の足が冷たい床にふれた。落下は免れたようだ。恐る恐る目を開けて足もとを見ると、大きなカナブンの上だった。これが夢なら、さほど驚かないぞ。
ぼくは波打つ鼓動を必死に抑えて、落ち着き払った顔を白いネコに向けた。
硬い翅のつけ根にある三角形の出入口が開いた。白いネコはぼくの手を引っぱって、先に中へ入る。
「このタクシーは無人で中に座席があるの。旅行の航空便まで自動で送ってくれるから、ビビらないで入ってね」
カナブンの中に入ると、中は落ち着いた赤い室内で、天井が細長いドーム状になっていた。柔らかい明かりが灯されていて、窮屈さは感じない。
座席は包み込むようにふっくらとしていて、そのまま眠ってしまいそうなくらい座り心地が良かった。
「ごめん。ちょっと質問してもいい?」
ぼくは座席に埋もれるように体をあずけて、隣りに座る白いネコに言った。
「いいよ。何かな?」
「この旅行の代金、相当高いんじゃない? ぼくがついて来て、本当に良かったの?」
恐る恐る尋ねると、白いネコは少し頬をゆるめて答えた。
「わたしはこれでも人を見る目はあるの。キミを誘ったことは正解だと思ってる。わたしが勝手に決めたことだから、無理にわたしと仲良くしようなんて思わないでね。
旅行の代金は言わないでおく。たとえば草しか食べない動物に、どれだけ高級な霜降り肉をあげても見向きもしないでしょ。お金やモノの価値なんて、狭い世界の間でしか成り立たないものだから」
おかっぱの白いネコが小難しい話をしたので、急に眠気が襲ってきた。夢の中で眠くなるなんて。これは本当に夢の中の出来事なんだろうか……。
「到着したわよ。そろそろ起きて」
ぼくは揺り起こされて、まどろみから覚めた。白いネコはお構いなしに、短いはしごを上って天井の出入口を開けた。
白いネコはカナブンの頭を滑り台のようにスルリと滑って滑走路に降りた。
ここまで来たのに置いてきぼりはごめんだ。ぼくも急いで滑走路に降りて、白いネコの背中を追う。
目の前に巨大なトンボがとまってる! ……いや、翅の形がちょっと違うような。ジャンボジェットくらいの大きさはあるかな。
「あれがこの旅行の旅客機よ。ウスバカゲロウをモデルにしているみたい。大きく見えるけど細長い腹の部分が客室だから、思ったより搭乗人数は少ないかもね」
白いネコはまたどこからか柿色の封筒を取り出して言った。
「これが搭乗券よ。階段の前に係員がいるから、これを渡してさっさと指定された座席を探しましょ」
ぼくは白いネコを窓側にゆずって隣りに座った。ざっと数十人の乗客がいるみたいだけど、出発前の緊張感か騒がしい雰囲気はなく、周囲はしんと静まり返っていた。
「自己紹介がまだだったわね。わたしの名前はシャルロット。シャルでいいわ。よろしくね」
おかっぱの白いネコは改まった顔をして、ささやき声で言った。
「ぼくの名前は草薙遊。ユーでいいよ。改めて、旅行に誘ってくれてありがとう。裸足で寝巻のまま飛び出して来たから、何のお礼もできないけど。こちらこそよろしく」
ささやき声で答えると、シャルは爪を隠した小さな手を差し出した。
ぼくは柔らかい肉球の感触を確かめ、シャルの手を優しく握った。出会ってからまだ少しだけど、ネコなのに包容力があって賢そう。何となくの印象だけど、頼りになる相棒になってくれそうな気がした。