19 ソリチュード⑤ プレゼント
シャルはぼくの肩から鏡台の上に飛び移った。卓上のスマートウォッチを手に取って、鑑定するように確かめた。
「時計の裏蓋に旅行会社のマークと製品番号が刻印されているわ。おじいちゃんはわたしたちと同じような、旅行の乗客だったのかも」
「そっちにある白い封筒は、おじいちゃんの書置きかな? アイリス、封筒を開けてみてくれる?」
ぼくが言うと、アイリスは糊づけされていない封筒を開いて、中に入っていた手紙を広げた。
「……ワタシには読めない文字です」
自分のふがいなさを責めるように、アイリスは肩を落として、ぼくに手紙を渡した。
手紙は驚くことに、日本語で書かれていた。
だけど、ぼくに難しい言葉や漢字はわからない。シャルに読んでもらったほうがいいかも。
「シャル、ぼくの代わりに読んでくれない?」
シャルはしっぽを揺らして、鏡台から直接ぼくの肩に飛び乗った。ぼくは読みやすいように、手紙をシャルの目線に合わせた。
シャルは落ち着いた声で、ゆっくりと手紙を読みはじめた。
「訪問者へ。
この町は、私が最初にスマートウォッチで生み出した人造人間たちによって作り上げられた町だ。彼らは思いやりがあって、とても優しい。テーマパークとしては、少し面白味に欠けているかも知れないが。
どうか彼らが末永く暮らしていけるように、旅行会社にでもアドバイスしていただけるとありがたい。
さて、私の体もずいぶん歳を重ねたので、残された時間はあとわずかだ。
あなたにもし時間があるのなら、もう少しだけ世捨て人の無駄話に付き合ってくれないか?
ふふふ。興味が無ければ、この手紙を捨ててもらっても一向に構わないよ。
私は煩わしい世間のしがらみから逃れたかった。やりかけの仕事も、家庭も、みんなほっぽり出して、誰にも何も告げずに逃げ出した。
経緯は省くが、とにかく私はウスバカゲロウの旅客機に、着の身着のまま乗り込んだ。
乗客には様々な機能を兼ね備えたスマートウォッチが与えられた。これさえあればどんな環境の世界へ行っても、無難に暮らしていける。
私は誰にも邪魔をされない自由な孤独を求めて、この何も無い町に辿りついた。
私はスマートウォッチの機能を使い、少しずつ自分の生活環境を整えていった。いろいろと工夫して、無から有を作り出す喜びや楽しみは飽きることが無かったな。
しかし暮らしが安定してくると、やらなければならないことが徐々に減っていく。たとえばスマートウォッチは完成された料理は生み出せるが、動植物を生み出すことはできない。手間がかかり、十分やりがいのありそうな農業や畜産は、どうあがいてもこの土地では不可能だった。
私は段々とヒマを持て余すようになっていく。この土地は風も無く日没も無く、天気や気温は一定で、自分が立てる音以外は無音に近い。
時が止まったような、こんな土地で孤独に過ごす時間が、とても長く耐えがたい苦痛に感じるようになっていった。
無性に本や新聞が読みたい。世の中のニュースが知りたい。くだらないバラエティー番組が見たい……いつの間にか、どうでもいいような無駄なことや、煩わしく思うようなことでさえ、必死に求めている自分自身に気づいた。
淋しさに追い打ちをかけるような思考ばかりが次々に浮かんでくる。もっとシンプルに生きることができたら楽なのに。
人間が本当に面倒くさい生き物だと、死ぬ間際になって身に染みて感じている。
無駄話が長くなって申し訳ない。そろそろまとめに入ろう。
自分の無様な亡骸を残したくはないので、私は前もってスマートウォッチで遺体を自動で処理するロボットを作成しておいた。
私の生命反応が消えると同時に、ロボットは活動を開始する。この家に私の遺体が無く、部屋の中が綺麗に整頓されていれば、抜かりなく処理は済んだということだ。
心残りがあるとすれば、私の荒んだ心をずっと慰めつづけてくれた人造人間たちのこと。
私は彼らと過ごした大切な思い出を、ずっと記録に留めておきたいと思った。
この家で彼らと一緒に過ごした当時の写真や映像、思いの丈をデータにまとめて、リス型ロボットの中に詰め込んでおいた。
もし町中で、アイリスという可愛らしい女の子の人造人間に出会ったら、このリスのロボットをプレゼントしてほしい。と言ったら、ちょっと図々しいかな?
それじゃあ、無駄話はこれくらいにしておこう。
匿名の日本人より」
シャルは手紙の文章を読み終え、ぼくと目を合わせた。ぼくはゆっくりと鏡台に向かい、リスの玩具を手に取った。すでに胸の開口部が開いていた。
「新しいバッテリーと交換してあげて」
シャルはカフスボタンくらいの小さなバッテリーをぼくの掌に載せた。劣化して膨らんだバッテリーを新しいものに替え、胸の開口部を閉めた。
ぼくは鏡台の前でじっと待っているアイリスに、小さなリスの玩具を手渡した。アイリスは目に涙を浮かべて、両手でしっかりと受け取った。
リスは小さな声でキュっと鳴き、長いしっぽをビビビと震わせて、アイリスの肩に乗った。
「おじいちゃんとアイリスの思い出をたくさん知ってるリスだから、すぐにアイリスのことがわかったみたいね」
シャルがにっこり笑って言った。
「シャル。ぼく、ちょっと試してみたいことがあるんだけど」
「試してみたいこと?」
シャルはぼくの肩の上で顎に手を当てた。
「おじいちゃんは生前の記録や思いの丈をデータにしてリスに詰め込んだ。つまり、言ってみればそのリスはおじいちゃんの生まれ変わりだよね?」
ぼくは鏡台に置いてあったスマートウォッチをリスの首に近づけた。リスは首輪を受け取るように、両手を広げてベルトをつかむ。
その瞬間、スマートウォッチが小さく縮んで、リスの首にフィットした。
「アイリス、私のわがままで家を追い出してしまい、本当にすまなかった。あの時の悲しそうな顔が、ずっと心に残って苦しかった。許してくれ」
リスがキュっと鳴かずに、言葉をしゃべった。きっとスマートウォッチのお陰だね。
「おじいちゃん、おかえり! また一緒に暮らせるね!」
アイリスは弾けるような笑顔を浮かべて、肩にリスを乗せたまま、くるりと回った。