危機一髪
街の雑踏に交じって歩きながら、リューリは思案していた。
自分の魔法の技量さえあれば、生活する為の金銭を得ることなど容易いと、彼女は思っていた。
秘境の探索や、魔物の討伐、旅人を安全に目的地まで送り届ける護衛など、危険を伴う依頼でも問題なく熟せる自信があった。
しかし、そこに立ち塞がる「年齢」の壁。
そもそも、冒険者登録に限らず、自活するに足る金銭を得る為の労働を、五歳の幼女にさせてくれる場所などないだろうということに、今更ながらリューリは思い至った。
仮に、先刻、冒険者の誰かが言っていたように「役人に保護」されたなら、どうなるのか。
その場合、まず間違いなく孤児院に入れられ、十五歳くらいまでは「子供」として過ごす破目になるだろう。
前世の記憶と自我が目覚めてしまったリューリにとって、それは耐えがたいことに思えた。
とはいえ、家から持ち出してきた食料も底を尽き、彼女は危機的状況にあるのだ。
――さて、どうしたものか。
溜め息をついた次の瞬間、リューリは自分の身体が、ふわりと浮遊する感覚を覚えた。
思わず周囲を見回した彼女は、自身が見知らぬ大柄な男の小脇に抱えられているのに気付いた。
何をする、と言おうとしたリューリだったが、顔に甘い匂いのする布を押し付けられたかと思うと、その意識は、すとんと闇に落ちていった。
どれくらいの時が経ったのか。
リューリは、口の両端を引っ張られるような不快感で目覚めた。
埃っぽい空気と、排泄物のような臭気に、彼女は眉根を寄せた。
意識を失っている間に、リューリは布切れで猿轡を噛まされた上に、手足を縄で拘束された状態で転がされていた。
身体の下に感じる板張りの床から、ここは建物の中であると、彼女は思った。
室内には窓も灯りもなく、僅かに開いた扉の隙間から光が差し込んでいるだけだ。
暗さに目が慣れるにつれ、リューリは、周囲に自分以外の人間、それも自分と年齢の変わらない子供が、幾人も同じように転がされているのを見て取った。
時折、微かな呻き声や啜り泣く声が漏れている。
彼らも、リューリと同じく拉致され、おそらくは長時間放置されているのだろう。
――それにしても、この猿轡に使われている布、何だか変な匂いがする……明らかに衛生上問題がありそうな感じだ……
リューリが暗澹たる気持ちになった、その時。
扉の向こうから、野太い男の声が聞こえてきた。
「……様、注文通り、子供は揃えましたぜ。しかし、生きた子供を材料にするとは、おっかねぇ魔法もあったもんですね」
「長生きしたければ、無駄口は叩かないことだな」
別の男の、冷酷そうな声が答えた。
「いや、俺たちは金さえ払っていただければ、お客さんが何をしようと構いませんぜ。ぐへへ」
最初の男が、揉み手をしている様子が目に浮かぶ、下品な笑い声をあげた。
――生きた子供を材料に発動する魔法……知識として知ってはいても、普通の神経を持っている者なら実行しようなどと考えることすらしないであろう禁忌の術だ。どこかの魔術師が、裏社会の人間にでも依頼して、子供を攫っているというのか? これは、非常に不味い……!
状況を把握したリューリは、拘束を解こうと必死にもがいたが、幼児の、まして栄養不足の痩せた身体では、どうにもならなかった。
魔法で炎を出して、縄を焼き切れば――彼女は一瞬考えたものの、魔法の発動には呪文の詠唱が必須であるのに対し、猿轡を噛まされている為、それも不可能である。
――こんなところで私は終わるのか?! 冗談ではない! だが、打つ手もない……いや諦めるな……しかし、どうすれば……!
歯噛みしながらリューリがもがいていると、突然、爆音と共に建物が激しく振動し、扉の隙間から風と共に大量の埃が吹き込んできた。
何事か、と思う間もなく、壁の向こうでは激しい怒号が飛び交い、剣戟の派手な金属音が響いている。
やがて、それも鎮まり、何者かが扉を開けて部屋に入ってきた。
「子供たちを発見しました!」
そう叫んだのは、革鎧を身に着け、長剣を手にした若い女戦士だった。
彼女の声に、数人の人間たちが集まってくる足音が聞こえた。
――助かった、のか?
小さく息をつきながらも、まだ油断はできないと、リューリは身を固くしていた。
囚われていた子供たちを救出に来たのは、冒険者の一団だった。
子供たちの多くは、かなり弱っていたものの、全員が命に別条はなかった。
リューリの思った通り、子供たちを攫ったのは裏社会の人間たちだったが、関わっていた者たちは捕らえられ、冒険者たちに連れられて行ったらしい。
女戦士に抱きかかえられながら、リューリは耳をそばだてて、何が起きていたのかを確認しようとしていた。
近くで見ると、燃えるような赤い髪と緑色の目を持つ女戦士は、艶やかに咲いた大輪の花を思わせる。
「可哀想に、怖かっただろう? でも、もう心配ないぞ」
女戦士は、そう言うと、リューリを優しく見つめた。
何と答えるべきか分からず、リューリは俯いた。
「アデーレ、その子は、身元が分からないのか?」
一人の男がリューリたちに近付いてきて言った。アデーレというのが、赤毛の女戦士の名前らしい。
男のほうは、五十代後半というところだろうか。栗色の髪に、狼を思わせる琥珀色の目が印象的だ。鍛え上げられているのが分かる精悍な体つきと、腰に帯びた剣を見ると、やはり戦いに携わる者なのだろうと思われる。
「はい、ジーク様。この子以外は、全員この街の子供で、保護者たちにも連絡がついたのですが」
「そうか、では、少しの間、我々が預かることにするか」
アデーレの言葉に、ジークと呼ばれた男は頷いた。
「私を、どうするつもりだ?」
リューリは、思わず口を開いた。
この二人からは悪意など欠片も感じられなかったものの、見ず知らずの相手に身を任せるのは、やはり抵抗があった。
「ああ、そんなに怖がらないでくれ。絶対に、お嬢ちゃんには悪いようにしないから」
言って、ジークが人懐こそうな笑顔を浮かべた。