港町にて
「ほう、これが海か。本物は初めて見た」
目の前に広がる白い砂浜と、青空の下で輝く水平線に、リューリは思わず呟いた。
「リューリちゃん、海は初めてか。ハルモニエにも海はあるが、ここも美しいな」
潮風になびく髪を押さえながら、アデーレが言った。
「前世では、ほとんどの時間、引きこもって魔法の研究をしていたからな。今思えば、勿体ないことをしていたかもしれない」
初めて目にする本物の海をよく見ようと、リューリは波打ち際に近付いた。
足元には小さな蟹が遊び、ところどころに渦を巻いた貝殻が埋まっているのが見える。
「あまり波打ち際に近付くと、危ないですよ」
ローザが言うのと同時に、リューリは突然襲ってきた大きな波に足を取られて転んだ。
「大変だ!」
そのまま波に攫われかけていたリューリを、ジークが目にも止まらぬ速さで駆け寄って抱き上げる。
「すまないジーク……うう……しょっぱい……想像以上だ……」
海水が口に入ってしまい、リューリは、その塩辛さに辟易した。
「今日は風があって、波が高いみたいだね。とりあえず水分を飛ばそう」
ウルリヒが魔法で水分を飛ばすと、ずぶ濡れだったリューリの服は、見た目には元の乾いた状態に戻ったようだった。
「ウルリヒは器用だな。あとで、私にも、やり方を教えてくれ」
「お安い御用さ。ただ、水分を飛ばしただけで塩気は残っているから、真水で洗ったほうがいいね」
「しかし、大人の体格なら平気だったと思うんだが、子供の状態だと不便だな……」
リューリは、溜め息をついた。
「では、急いで宿を探して、リューリちゃんをお風呂に入れてあげましょうね」
ローザの言葉で、一行は街へと向かうことにした。
ここマーレは大きな港街であり、物流の要の一つとも言われている。
出入りする人間も船員や商人に観光客と様々な為、宿泊施設も充実しており、すぐに宿は見つかった。
案内された部屋の浴室で、リューリは軽く湯浴みした後、清潔な衣服に着替えた。
――思えば、生家にいた頃は、いつから着ていたのか分からない服を、ずっと着ていたっけ。汚しても叱られたりしないのは、本当に幸せなことだ。
アデーレとローザに手伝ってもらいながら、リューリが身支度を済ませると、誰かが部屋の扉を叩く音がした。
「この音は、ウルリヒだな」
そう言ってアデーレが扉を開けた先に立っていたのは、ウルリヒだった。
「よく分かるな」
「それは、子供の頃から一緒にいるからね」
リューリが目を丸くすると、アデーレは微笑んだ。
「……ええと、リューリちゃんを誘いにきたんだけど」
「私を?」
ウルリヒの言葉に、リューリは首を傾げた。
「この宿に来るまでの間に、結構大きな魔導具屋があったんだ。夕食まで時間があるし、興味があるなら一緒にどうかと思って。あ、ちなみにジーク様は偵察に行くと仰って出かけられてるけど」
「魔導具屋? それはいいな! この街には色々なものが集まっているらしいし、魔法に使う素材もありそうだ。是非、見に行きたいぞ」
「リューリちゃん、魔法のことになると目が輝いてしまうのね」
ローザが言って、ふふと笑った。
「私は、もう少し宿で休むつもりですが、夕方には戻ってきてくださいね。アデーレは、どうします?」
「それでは、私は護衛としてローザ様とご一緒させていただきます。ウルリヒ、リューリちゃんを頼んだぞ」
アデーレとローザに見送られ、リューリとウルリヒは部屋を後にした。
宿から、ほど近いところに建つ「魔導具屋」は、どちらかといえば仕入れに来る業者向けの、半分倉庫に近い造りの店舗だった。
それだけに、置いてある品物の種類は多岐にわたり、リューリにとっても見ごたえのあるものだ。
ローザから渡されていた小遣いで、リューリは魔術師用の小さな杖を購入した。
トネリコの枝で作られたそれは、魔法を使う際に精神集中しやすくなる他、僅かだが、発動した魔法を強化する効果もあるという。
ウルリヒが持っている杖に比べれば遥かに小ぶりなものだが、現在のリューリの体格には、それでも少し大きい感がある。
「お嬢ちゃん可愛いから、この帯も付けてあげるよ」
店員が「おまけ」だと言って、杖を剣のように腰から下げられる帯を付けてくれた。
――なるほど、見た目が子供だと、こういう利点もあるのか。
腰に巻いた「おまけ」の帯から下げた杖を眺めつつ、リューリは思った。
「これは何だ?」
リューリは、商品棚に並べられた、魔法薬の材料が数種類詰め合わせてある袋を見付けた。
「作りたい薬の種類ごとに、最初から材料が揃えてあるのか……説明書には初心者用って書いてあるね」
袋の内容を確かめたウルリヒが頷きながら言った。
「なるほど、最近は便利になったな。……こっちは何だろう」
近くに置かれていた、色の異なる袋を手に取って、リューリは説明書を読んだ。
「……初心者向け・よく効く媚薬の作り方?」
「それは、お嬢ちゃんには早いんじゃないかな」
通りかかった店員が困ったような笑顔で言った。
「これは、何の薬?」
「それはね……男の人と女の人が仲良くなる薬さ。子供には毒になるから、使っちゃ駄目だよ」
「そうか、ありがとう!」
リューリが礼を言うと、店員は、そそくさと去っていった。
「……リューリちゃん、知ってて聞いたでしょ?」
ウルリヒが、少し呆れた顔をした。
「この姿だと、どういう反応をされるかと思ってな。だが、私には必要なくても、ウルリヒたちなら、使い道があるんじゃないか?」
「僕……たち?」
リューリの言葉に、ウルリヒは、きょとんとした。
「アデーレとは、恋人同士だろう?」
リューリも、きょとんとした。
「ええッ?! そんなんじゃないよ!」
ウルリヒは即座に否定したが、その顏は熟れたリンゴのように赤くなっている。
「そうなのか? いつも一緒にいるし、私から見ても距離が近いし、てっきり付き合っているのかと……す、すまん」
早とちりしたと、リューリも顔を赤らめた。
「ぼ、僕が彼女に『そういう目』で見てもらえるなんて、考えられないよ……」
そう言って、ウルリヒは眉尻を下げた。




