こんなところにいられるか
今日も、リューリの両親は、彼女を挟んで言い争っている。
「こんな奴、俺の子じゃない!」
「あたしだって、こんな子が生まれるなんて思ってなかった」
「お前が浮気したんだろう! 不義の子でなければ何だと言うんだ!」
「あたしは、神に誓って、そんなことしてない! 取り替え子よ! 呪いの子よ!」
ひとしきり罵り合った二人からリューリが叩かれるのも、いつも通りだ。
リューリが気付いた時、それが「いつものこと」として骨身に沁みていた。
生まれて五年ほどの彼女にとって、当然のことなのだという刷り込み。
数人いる兄や姉たちも、両親に倣ってか、リューリに冷たくあたるか、でなければ、彼女を「いないもの」として無視した。
この家は、経済的に割と余裕があるのか、兄姉たちは、常に小ざっぱりとした格好をさせられていて、食事も好きなものを好きなだけ与えられていた。
しかし、リューリに与えられるのは、皆が着古した服と、僅かな残り物の食事だった。
――ああ、きっと、私が悪い子だから。父さんと母さんが、いつも不機嫌なのも。
両親の気に入るような「いい子」になろうという努力をしたこともあったが、リューリが何をしても両親の機嫌が良くなることはなかった。
やがて、ひどい扱いを受けてもリューリは泣かなくなった。慣れたのではない。
泣いても無駄だからだ。
何を言われても無表情なリューリに、両親は「可愛げがない」と、更に苛立ちをぶつけた。
しかし、両親が言っていた「取り替え子」「呪いの子」という言葉が気になったリューリは、ある時、家族の中でも比較的温和と思われた長兄に尋ねてみた。
「取り替え子というのは、悪魔や妖精が、攫った子供の代わりに置いていく偽の子供の言い伝えさ。実際にどうかはともかく、お前が生まれてから父さんたちは喧嘩ばかりだ。お前、顔立ちから髪や目の色まで家族の誰とも似ていないからな」
長兄は、さも面倒だと言わんばかりに説明すると、溜め息をついてリューリの前から歩き去った。
たしかに、両親や兄姉たちの髪は茶色か暗い金髪で、目の色も茶色か青のどちらかだ。
対して、リューリは貝殻の裏面を思わせる不思議な光沢を持つ白い髪に、菫色の目をしている。
これまで気付きもしなかった事実に、リューリは愕然としたが、同時に、奇妙な納得も得ていた。
――私は、「偽の子供」なの? だとしたら、この家にいちゃいけないの?
そんなある日、何か気に入らないことがあったのであろう、機嫌を損ねている母に、リューリは罵られ、手近にあった掃除用ブラシの柄で何度も殴られた。
身を縮め、腕で顔や頭を守りながら無言で蹲っているリューリの姿が気に障ったのか、母は彼女を足蹴にした。
蹴られたリューリは勢いよく後方に倒れ、柱に後頭部を打ちつけた。
視界に火花が散り、頭の中が痺れるような感覚の中、彼女は床に倒れたまま動けずにいた。
「お前なんか、生まれてこなければよかったんだ!」
母は吐き捨てるように言うと、足音も荒く部屋を出ていった。
遠ざかる足音を聞きながら、冷たい床に転がっていたリューリは、ふと、頭の中に違和感を覚えた。
ずっと、喉元に引っかかっていたものが外れたような――急速に思考が明晰になり、そして。
――私は、魔術師のヴィリヨ・ハハリ……そうだ……自分は男性だった! そして……何者かに殺された筈……
リューリは、痛む後頭部をさすりながら身を起こした。
不意に蘇ってきた記憶は、「自分が生まれる前のこと」なのだと、彼女の中に確信が生まれた。
――駄目だ、死んだ時の衝撃の所為か、殺される直前のことは、はっきりと思い出せない……
リューリは、何者かに突き刺された冷たい刃が自身の体内に滑り込む感触と、急激に血液を失って意識が遠のく感覚を思い起こしたものの、何故そのような事態に至ったのかは分からなかった。
同時に、彼女の脳内には、この家で生まれてからの記憶が鮮明に蘇ってくる。
――これは……いわゆる転生というものか? この身体も自分自身のものという感覚があるし、私の精神が他人に憑りついている訳ではなさそうだ。家族に似ていないのは、外見が魂に引っ張られているということなのか? それにしても……
改めて自身の身体を調べてみたリューリは、小さく溜め息をついた。
――やせっぽちで、頻繁に叩かれているから痣だらけだし、どこへ出しても恥ずかしくない被虐待児というやつだな。むしろ、今まで生きていたということは、私は結構丈夫なのかもしれない……前世では孤児だったが、こんな扱いをされるなら、親などいないほうがマシというものだ。
ふと思い立ったリューリは、右手の人差し指を立て、短く呪文を唱えた。
指先に点った小さな炎を見て、彼女は、この家に生まれてから初めての微笑みを浮かべた。
――転生しても、魔法の知識と技術を持ち越していたのは幸運だった。そうなれば、やることは一つ。この家にいたら、いずれ惨めに死ぬだけだ。せっかく転生したのなら、続きの人生を死ぬまで生きてやる。魔法の研究だって、まだまだ途中だったんだ。
日が暮れ、皆が寝静まった夜半、リューリは寝床として宛がわれていた屋根裏部屋から、台所に向かった。
一定範囲内の音を消す呪文を唱えておいた為、家の中は静寂に包まれている。家族に気付かれることもないだろう。
「当面の食料くらい、貰っていってもバチは当たるまい」
傍にあった布袋に詰められるだけパンや干し肉や菓子を詰め込んで、リューリは、こっそり家を出た。
「何も良い思い出はないが、生み出してくれたことにだけは感謝してやろう」
飛行の呪文を唱えると、リューリは星々の輝く夜空へと飛び立った。