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パート1。Giving Machine

 アメリカに来て、一番、日本との差を実感した出来事を紹介しよう。

 もちろん、日本との差と一言で言っても、様々なジャンルがあって、また、法律、食事、宗教、言語、自然環境、どのジャンルを取っても、アメリカと日本の間には大抵大きな差が存在するということは、私自身が身をもって経験している。しかしその上で、私が「一番」と断言できるのは、経済、文化、人間性などの要素を全て包含した、文字通りの「アメリカ」と「日本」の差だと感じたからだ。




  クリスマスを目前に控え、私は友人の家族と一緒にショッピングモールに来ていた。話によると、十二月二十五日のクリスマス当日の朝に、家族でプレゼントを交換し合うのだそう。

 各々が店に入って一通り欲しいものを手に入れた後、フードコートで友人が突然、「ギビングマシーン(Giving Machine)に行かなきゃ」と言い始めた。私は初めてその単語を聞いた時、与える(Giving)機械(Machine)と脳内で翻訳して、てっきり自動販売機のことを言っているのかと勘違いした。しかし、友人の説明によると、どうやら普通の自動販売機ではなく、貧しい国に寄付する専用のものがあるのだそう。

 私は、そんな機械が存在するのかと驚かされた。そんな、人間の善の部分だけを利用するなんて、理想郷でしかないと思っていたから。

 しかし、驚くべきは、その利用者の数。

 その機械は、テニスコート程の広さの場所の中央に、八台設置されていたのだが、なんと、その広場を埋め尽くすほどの人が、列を成して並んでいたのだ。幸い、友人の母親が先に並んでくれていたので、殆ど待つことはなかったが、彼女が言うには、少なくとも三十分以上は待ったそう。

 順番が来た瞬間、私は誰よりも真っ先に機械に歩み寄って、そして、中を見た。

 角が丸まった正方形の白いカードに、アフリカ系の子供の写った写真が貼ってあり、その下に文字が添えてあった。自販機の上から下まで、かなりの種類があり、例えば、鶏を細い腕で抱えている少年の下には、「鶏を二羽プレゼントする」と書かれていたり、パソコンを眺める少年の下には、「ノートパソコンを一台寄付する」と書かれていたりした。

 私の隣で、友人の母親が、そのカードに割り振られた番号を入力していた。

「えっと、ヤギ一個と、あと、学校用品が二個でいいんだよね?」

 息子に確認する母親。果たして、いくらぐらいになるのだろうかと、私は値札に目をやった。

 ヤギ、七十ドル。学校用品、三十五ドル。

 ……私は、目を疑った。

 単純計算で、百四十ドル。

 一ドル百四十円だとしても、日本円で二万円近くになる。なぜそれほどの金額を、あっさりと寄付することが出来るのか、私は理解が出来なかった。しかも、その寄付の為だけに、溢れんばかりの人が集まっていたということを考えたら、余計言葉を失った。

 その後も私達は、子供用のおもちゃを選んだり、高くて珍しい靴を見に行ったりしたが、私の脳裏にこびり付いた先程の光景が、頭から離れることはなかった。何が彼らをそこまで善良な人間に育て上げるのか、私はただただ、気になって仕方がなかったのだ。




 帰り際、ふと、日本人とアメリカ人の大きな差について、留学中度々思っていたことを思い出した。

 それは、一言で言うならば、「余裕」の差である。

 アメリカの人々は、日本人と違って、殆どの人が多趣味だ。しかもそれらの趣味が、ゴルフ、スキー、フィッシング、ハンティングなど、お金や時間のかかるものである場合も少なくない。このようなことが出来るのは、金銭的もしくは精神的に余裕を持って生活できているからなのだろう。一方で日本人の場合、少なくとも私の周囲にいた大人は、平日休日共にみな疲れ切っていて、仕事で鬱なども別にそこまで珍しくなかった。

 ただ同時にそれは、単純に自分の周囲の人間が裕福なだけで、多趣味で余裕があるのはアメリカ全体のほんの一部分だけなのかもしれないなとも思った。実際、「アメリカは格差社会」などと他から揶揄されている割に、生活している中でそれほど経済格差は感じなかったし、スラムのような場所も見かけたことすらなかった。

 「光あるところに影あり」という言い回しがあるように、闇の部分を覗くことで、より深く、アメリカという国について知れるのかもしれない。そう思うと、アメリカでの楽しみが増えた気がして、少し嬉しくなった。




 追記。

 このような寄付専用マシンが日本に導入されるには、生活的余裕の他にも、国民と宗教の深い繋がりが欠かせないということに気づいたので追記しておく。

 アメリカは日本と違って、キリスト教が国民一人ひとりにきちんと根付いていると感じる。

 アメリカの人々には、キリストがどういう人物で、どのような人生を歩んだのか、何が偉大で、どんな教えを説いたのか、信じるに値する情報が幼い頃から刷り込まれている。そのため、人によって信仰に深浅(しんせん)はあるものの、キリストを信じない人は居ないし、国民全員が常識的にキリストへの感謝の念を持っている。

 だが、日本人の場合はどうだろう。仏教や神道の現存する文化として、祭り、お盆、初詣、節分などが代表的だが、果たして、日本国民の何パーセントが、これらの文化に信仰を持って接しているのだろうか。また、そもそもとして、どれだけの日本人が、神や仏陀の存在を信じているのだろうか。

 もし日本がアメリカと同じように、クリスマスに合わせてGiving Machineを導入したとしても、寄付される額はたかが知れたものにしかならないだろう。なぜなら、あの機械を有用なものにするためには、生活的余裕の他に、格差を身近に感じることで生まれる慈愛と、クリスマス文化との信仰的な関わりを、国民一人ひとりに求めていかなければならないのだから。

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