第9話:ヤエコトシロ
三瀬川さん達がかつて会ったという人物に会うために、自分達はポータルを通っていつもの街へと帰ってきた。あの海の底に居た存在がどんな行動をしてくるか分からないため、あまり悠長にするわけにはいかないということで、すぐにJSCCOの本部へと向かった。
まだ日中ということもあってか、本部のロビーにはそこで働いているであろう人々が何人も行き来しており、建物全体に忙しない雰囲気が漂っている。
「すみません。霊魂相談案内所の三瀬川です。依頼されていた件で少し協力を頂きたくて……」
三瀬川さんが受付にそう伝えると、やがて自分達はある部屋へと通された。恐らく会議室の一つであろうその部屋には長机を取り囲むように椅子がいくつも置かれており、そこで待たされることになった。
「受付、何て?」
「ここでしばらく待っててくださいって」
「ん。じゃあその間に確認しておこう」
黄泉川さんが小さな体で椅子に座り、高さを調整しながら話し始める。
「まず私と魔姫が見たあの宇宙人みたいな奴について」
「魔姫ちゃん。本当に宇宙人みたいな見た目だったんだよね?」
「はい。アタシには少なくともそう見えましたけど……」
「ちょっと描いてみてもらってもいいかな?」
そう言って三瀬川さんはこちらに向けてスマホを机上に置く。その画面にはペイントアプリが開かれており、どうやらそこに自分が見たものを描いて欲しいようだった。
「あ、アタシが描くんですか?」
「うん。命ちゃんから教えてもらったの。魔姫ちゃんお絵描き上手なんだよね?」
確かに自分で言うのも何だが、絵を描くのは人並み以上には上手いつもりである。あの『大禍事件』が起きたあの年から、いつも以上に絵を描くようになった。それまではただ手癖だけで描いていた絵だったが、あれ以降初めて専門的に絵の勉強を始めた。プロになるつもりは無いし、それで金を稼ごうなどとも思っていないが絵を描くこと自体は嫌いではない。
「ウチも気になります! 見してくださいお姉さん!」
「……簡単にでいいんですよね?」
「うん。何となく分かればいいよ」
普段スマホで絵を描くことなど無いため少し苦戦はしたが、ペイントアプリ自体はそこまで複雑な操作を覚えなくてもいいため、あまり苦戦せずに進めることが出来た。途中何度か葦舟がこちらを覗き込んできたため、その度に追い払う必要があったが。
「……出来ました」
「やっぱり上手な人は速いんだね」
「まぁ……すごい……簡単に、適当に描いた感じですけど……」
面と向かって人に絵を見せることには慣れておらず、急に恥ずかしくなってしまったため三瀬川さんの顔は見ずにスマホを渡す。普段ネットなどに絵を上げる事はあるものの、実際に描いているところを見られている上に面と向かって見せるというのはやはり気恥ずかしいものがある。特に描いている最中を見られるなど出来る事なら一番避けたいことだった。
「どう、縁ちゃん?」
「ん、間違いない。こんな感じだった」
「これが宇宙人さんですかぁ……確かに宇宙人っちゅう見た目ですね」
「本当にこんな服着てたの?」
「ん。私達が着てるようなのと同じようなやつだったと思う」
どうやら三瀬川さんは宇宙人が人間と同じような服を着ていたということに驚いているらしい。それも無理もない話だろう。実際に自分も宇宙人を描いてくださいと言われれば、間違いなく服を着ていないグレイ型の宇宙人を描くはずである。それほどに、何故か自分の中では宇宙人は服らしき物を着ていないという認識が植えつけられているのだ。
「服の細かいデザインまでは見えなかった?」
「私は見てない」
「アタシもそれどころじゃなかったですし……」
「そっか……」
三瀬川さんは何かが引っ掛かっているらしく、絵を見ながら小さく唸った。
「賽お姉さんどうしたんですか?」
「いや、私の考え過ぎかもしれないんだけど……何か変だなって……」
「変?」
「魔姫ちゃんが描いたこの絵を見ると、この頭の大きさだとこの服、着れないと思うの」
それを言われて自分の中でも違和感が湧き上がった。
確かにあそこから脱出する時に出会った宇宙人は全員服を着ていた。それも特に変わったデザインではない普通の服である。当時は必死だったため気がつかなかったが、今になって思い返せばあの頭の大きさでは首が通らない筈なのだ。
「確かに……こんなの着れる訳が……」
「……服に見えてたけど本当は違ってたとか?」
「どういう意味、縁ちゃん?」
黄泉川さんは自分自身のスマホを弄ると、その画面をこちらに向けてきた。そこには海に生息しているタコの画像が映っていた。
「あくまで仮説だけど、あの宇宙人みたいなのはタコみたいに擬態をしてたんじゃないかと思って」
黄泉川さんによると、タコの中にはウミヘビやヒラメなどに擬態するミミックオクトパスという種もいるのだという。今のところ人型の生物の中でそれほどの擬態能力を持っている生物は発見されていないが、もしもあの宇宙人達がその擬態能力を持っているのであれば、一見首が通りそうにない服でも着ているように見せられるのではないかという。
「ありえない話じゃないかな……コトサマの中にも他のものに擬態する性質を持ってる人もいるし……」
「あいつらがコトサマなのか、それとも宇宙人なのかは分からないけど、可能性はあると思ってもいいと思う」
「もしほうじゃとしたら、何で宇宙人さんはそんな擬態したいんですかね?」
「それは私も知らない」
宇宙人達に擬態能力があるのではないかという新たな説が出たところで、会議室の扉が開かれた。顔を出したのはこの本部で働いているという研究員の一人で、どうやら三瀬川さんが話していた奇妙な存在と面会する準備が整ったらしく、その報告に訪れたようだった。
研究員に連れられて本部奥にある研究棟へと足を踏み入れると、いくつもあるガラス窓の部屋の中で様々なコトサマの研究が行われていた。単純な身体検査をしている者も居れば、中にはその特異性の検査を行っている部屋まであった。
「こちらです」
自分達が通されたのは廊下の一番奥にあった研究室だった。今回の調査は極秘ということもあって、研究自体も一部の研究員にしか任されていないらしい。話によると、これから会う存在は場合によっては予想外の災害を引き起こす可能性があるようで、それもあって窓ガラスすらも無い研究室で厳重に管理されているそうだ。
「あれから何か変わった事ってありましたか?」
「いえ……我々も研究を続けてはいるのですが、時折支離滅裂な反応を返すだけで有益な結果は何も……」
厳重なロックを通り抜けた先で待っていたのは、診察台らしき物に腰掛けている一人の女性だった。自分よりも数歳年上のように見えるその人物は、虚ろな目をしたまま俯く様にして座っていた。
彼女の近くの作業台でパソコンを触っていた別の研究員が口を開く。
「お待たせしました。検体№88番にお会いしたいとの事でしたが……」
「はい。少し調べたいことがあるんです。……触っても?」
「今のところ数値に異常は見られませんので、あまり刺激しなければ大丈夫かと」
「ありがとうございます」
そう言うと三瀬川さんは女性の前で身を屈めると、その頭に手を触れた。
「黄泉川さん、あの人が……?」
「ん。菖蒲と命が見つけてきた奴。私と賽は八重事代って呼んでる」
その呼び名が何を意味しているのかまでは分からなかったが、やがて三瀬川さんは手を放して立ち上がり、こちらに顔を向けた。
「あの時と同じ……記憶が混線してる」
「……そこは同じか」
「あのあの! ウチらにも分かりやすぅ教えてもらえると嬉しいのですが!」
「分かってる。今から教える」
黄泉川さん曰く、今目の前に居るこの女性は複数の魂を持っているのだという。複数と言っても多重人格という訳ではなく、頭蓋骨の中で発生している時空間異常の影響で複数の脳や魂が混ざってしまっているらしい。それもあってか体がその現象に付いて行けず、こうして自我を失ってしまっているかのように常に無反応なのだそうだ。
「あの子は菖蒲達が任務中に発見して連れ出した奴で、未だにどこの誰なのかも分かってない」
「記憶を読んだ感じだと、人体実験みたいな事をされてるのは間違いないの。ただ、それがどこで、誰にされたものなのかは分かってないんだ」
姉ちゃん達はかつて鹿児島に任務で向かい、そこで『巨頭オ』と書かれた看板を発見して、そこで頭部の肥大化したコトサマに襲われたのだという。黄泉川さん達は実際にその現場を見た訳ではないため正確な見た目までは分からないが、自分達が見たあの宇宙人のような存在に見た目の特徴が似ているのではないかと考えたそうだ。
「同じかまでは分からないけど、まさかと思ったわけ」
「それウチ聞いたことあります! 昔ネットで見ましたその話!」
「ん。私達も同じ情報を確認してる。最初はデマかと思ってたけど、少なくとも頭の大きいコトサマが居るのはあれで確定した」
続けて黄泉川さんは三瀬川さんに問い掛ける。
「賽、記憶は流してみた?」
「う、ううん。まだやってないよ」
「じゃあやってみて。確か質問をすると、反応が返ってくるはずでしょ? さっき魔姫が描いた絵の記憶を流せば何か反応が変わるかもしれない」
どうやらヤエコトシロと呼ばれているこの人物は、普段は何も喋らず動かないそうなのだが、何らかの質問をされた際には反応を示すのだという。一見支離滅裂にも思える言動なのだが、時折その中に彼女の過去を指しているのではないかと思われる発言が出てくる事があるそうだ。その性質から、ヤエコトシロにあの絵を認識させることで、何か普段とは別の反応や発言をするのを黄泉川さんは期待しているようだ。
「やってみてもいいですか?」
「今のところ数値に異常は出ていませんので問題は無いかと。ただ、もし異常が出た場合はすぐに中止していただけると」
「分かりました。ありがとうございます」
研究員から許可を貰った三瀬川さんは改めてヤエコトシロの前で屈むと、その頭部に手を触れて問い掛ける。
「ヤエさん……あなたはこの人物を見たことがありますか?」
直後、ヤエコトシロはカッと目を見開き、勢いよく顔を上げて三瀬川さんを見つめながら話し始めた。
「アクセス許可アクセス許可。お久しぶりです製造者様データを検索した結果少し待てその情報へのアクセスは許可されていないいいいいい大丈夫大丈夫大丈夫どうせ私達は捨てられたんだから誰も気にしない」
あまりの勢いに圧倒されてしまった。ヤエコトシロはまるで機械か何かのように、息継ぎもせずに矢継ぎ早に喋り出したのだ。葦舟も同様に彼女の突然の言動に驚きを隠せていなかった。
「あなたはこの絵の人について何か知ってる?」
「知っています知っています知っていますワンワンワンワン我らがこの情報について話すことは許可されていない直ちに中止せ全員捨てられたんだから今更無意味だよ僕らは捕まったんだ」
「捕まった?」
「ワンワンワンワンお姉ちゃんはいいって言ってるよ俺もこれ以上隠す意味は無いと思う勝手な行動は許されななななな不正アクセスの可能性を検知、聞こえますか聞こえますか? 聞こえているなら救済してください」
三瀬川さんは黄泉川さんへと視線を向け、互いに頷くと黄泉川さんがヤエコトシロの近くへと移動する。
「質問。あなたを作ったのは、そいつらで間違いない?」
「……アクセス、不許可。アクセス……権限、削除。僕ら、私達は……連れていか、れた」
「……どこに連れて行かれたの?」
「暗い暗い海、底の底の方で、私と皆は繋がれた」
研究員達の顔に動揺が見える。どうやらヤエコトシロがこういった反応を示したのは今回が初らしい。それまでは先程のような支離滅裂な発言しかなく、ここまではっきりと質問に答えようとしているのは前例が無いようだ。
「調査のために、作られた」
「調査っていうのは何のことかな?」
「地上の調査……人間の調査……だけ、ど失敗作は捨てられた」
見開かれているヤエコトシロの目から涙が一滴伝う。
「時空の狭間……林の中に皆一緒に捨てられた」
直後、室内に警告音のようなものが響き始めた。どうやら室内の磁場が急速に乱れ始めたらしく、これ以上この場に留まるのは危険だというサインのようだ。時空間異常は磁場の乱れによって引き起こされるとされており、現在発生しているこの乱れは彼女の頭蓋骨の中に存在している時空間異常が引き起こしていると考えて良いのだろう。
「皆さん危険です! 退室してください!」
研究員から押されるようにして、自分達はすぐさま部屋から退室させられることになった。その際、三瀬川さんは何か見ることが出来ていたのか少し動揺している様子だった。
「ぶち大変な事になりましたね……」
「前にもああいう事があった。何が発端で起こるのかは分からないけど」
「……あの、三瀬川さん何か見えたんですか?」
「え? ……う、うん」
全員の視線が彼女に向けられる。
「何が見えたの賽?」
「……宇宙人みたいな人達が、喋ってる景色……多分、あの子の記憶だと思う」
「……見えたの?」
「うん……それに正体も、分かっちゃった」
黄泉川さんは周囲を見渡し、他に誰も居ないことを確認してから再び尋ねた。
「何だったの?」
「……多分だけど、あの宇宙人みたいな人達は……」
三瀬川さんの額に汗が滲む。
「海底人……」
昔からオカルトな話題の一つとして存在していたそれの名前が、彼女の口から告げられた。